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戦いを好まなかった将軍 (その2) 

昨夜は眠い中で書いていたらいろいろとミスがあったようで、
やっぱりそういう時はとっとと寝るべきなのでありますね(^_^;)


なので今日は早い時間にアップしておきます(笑)
2回目は選挙に敗北してから大統領になるまで。







クヘル・ラウヘルー将軍が大統領に就任すると、
リオス・モントは駐在武官としてマドリッドに送られた。
体のいい厄介払いである。


仕えるために仕える者


1981年3月のある暑い日の午後、ジム・デゴヤン牧師は説教台で汗をかいていた。
教会は満員で、暑さはますます耐え切れなくなってきた。
牧師は「エフライン、窓を開けてもらえないか」と頼んだ。
群衆の中から豊かな口ひげを蓄えた人物が立ち上がった。
牧師は急いで付け加えた。
「まだご存知ない方のためにお知らせすると、
 エフラインはこの教会の保守を受け持っています。
 何かあれば彼に伝えてください」。
エフラインの妻は赤くなったが、
本人は牧師の「皆に仕えるために」という提案に満足していた。
その数日後、彼が教会の廊下を箒で掃いているのを、子供たちの1人が目撃した。
他にも将軍が屈んで床を掃除しているのを見てびっくりした人たちもいた。
「仕えるのに使えない者は使えない」と彼は言っていた。


選挙に敗北した後、彼は失意の内にスペインに向かった。
大使館でのポストは新政権からの残念賞に過ぎず、
マドリッドではあと少しで権力に届くところだったのにという失意に身を震わせる日々を過ごした。
真っ暗な谷間に落ち込んだような気がしたであろうが、
そこで「暗い谷間の中から主は私を救った」と歌う祖母の声を思い出したのかもしれない。
そして教会の中で、祖母の隣で感じたと同じ安らぎと温もりを思い出したのであろう。


いつまでも島流しの身に我慢しきれず、1977年に帰国を決意した。
「この次にグアテマラを去ることがあるとしたら、死ぬ時だ」と彼は周囲に漏らしていた。
その頃、アルフレッド・カルシュミット、アルバロ・コントレラス、
フランシスコ・ビアンチといった福音派の信者が、
毎週末集まって聖書について話し合っていた。
ある時、元大統領候補のエフライン・リオス・モントが特別ゲストとして招かれた。
それ以降、ベルボ教会で活動するようになり、
ますます宗教に興味を示すようになっていった。
後にベルボ校の校長に任命されたが、
最初の頃はあまりにも大きな声で話すために生徒が怖がるので、
声を落として話してくれと言われたという。
「ずっと軍の隊長をしてたものですから、そう簡単には変えられないこともありました」。
教会活動には熱心に参加し、
当時を知る人によれば教会への献身度は完璧なものであったという。
信仰に身を捧げるために生きていたのである。


当時のエフラインを知る人によれば、彼は常に幅広く忠言に耳を傾けるタイプであり、
大抵の場合、教会の長老に相談せずには何事も決められなかったという。
1981年10月、彼の元に数人の政治家がやって来てプロジェクトを持ちかけた。
政党を作って連立し、大統領候補にならないかというのだ。
リオス・モントはその場で返答せず、数日考えさせて欲しいと言った。
教会の仲間とともに断食と黙想をすれば正しい答えにたどり着けるだろうと考えたのだ。
祈りの中でビアンチに「主はお前に別の扉を開かれるであろう」という啓示が示された。
「これはお前のためのものではない」と。
他の仲間達もこれに同意であり、この時点で政治活動に戻るのは価値のないことだと言った。


しかしながらリオス・モントは疑問を抱いた。
その日の午後、彼はバレーボールをしに出かけたが、
ジャンプをした時に踵を挫いてしまった。
ギプスをはめて戻ってくると「主は政治家の道には進むなと仰っているようだ」と
教会の仲間達に冗談口をきいた。
ビアンチは正しかった。ちょうどその時別の扉が開かれようとしていた。
選挙運動も投票すらも必要のない扉が。


選ばれし者


まさか自分の思考が一瞬の内に突き抜けて別の場所を彷徨うことになろうとは、
エフライン・リオス・モントには予想だにしなかったに違いない。
その日は午後に父母会が予定されており、以前から心の中で準備を行なっていた。
しかしその日、彼の頭の中はもっと重要なことで一杯になった。
政府の先頭に立つこと。
学校の指導者から国の指導者になることで。


エフライン・リオス・モントは学校の執務室にいた。
父母会の準備をしていた時、秘書が慌てた様子でやって来た。
クーデターが起こったので子供を迎えに来るという電話があったというのだ。
将軍は驚いた。
しかし数分後に秘書が戻って来た時にはもっと驚くことがあった。
「ラジオではあなたに大統領になって欲しいと言っていますよ。
 中央公園に来て欲しいと」。
それを聞いた時に電話が鳴った。
その日、3月23日は彼の人生を大きく変えることとなった。


その頃、ポルタル・デル・コメルシオでは
フェルナンド・ロメオ・ルカス・ガルシアから権力を奪い取ったばかりの青年将校らが集まって
バリケードを築いていた。
グループのリーダーであったロドルフォ・ムニョス・ピローニャもその中にいた。
彼は指を鳴らしながら、どうしてこんなに時間がかかるのかと落ち着かなかった。
グループの1人が入ってきた時、新大統領がやって来たとロドルフォは興奮したが、
彼がもたらしたのは悪いニュースだった。
「大尉、リオス・モント将軍は来られないそうです」。
ロドルフォは椅子に崩れ落ちると大きなため息をついて言った。
「なんてこった。何と厄介なことになってしまったんだ」。
一番大変なところはもう終わった、そう思っていたのだ。
ルカスには勝利した。
しかし実際には、問題は始まったばかりであった。
青年将校グループは疑問を抱くことなくリオス・モントを選んだのであった。
何と言っても選挙に一度勝ったのであるし、既に政権構想や協力者もいるはずであった。
加えて士官学校の校長であったこともあり、
学校の中では既に指導者であると考えられていた。
しかも外部である国民からも指導者として尊敬を得ていた。
しかし、リオス・モントはやって来なかった。


学校では、混乱した電話がかかってきていた。
リオス・モントは教員としての生活に慣れていたところで、
用意もできていないのに
学校の指導者から国の指導者になる生活に飛び込むなどというのは予定にはなかった。
将校には10分待ってくれ、こちらから電話をかけるからと伝え、その間に忠告を求めた。
学校では誰もが全知の神に祈り、助けを求めた。
最終的に将軍は決意した。
「恐れも感じるが、同時に心の平和も感じる」。
そして赤いフォルクスワーゲンのバンを発車させると指令本部を目指した。
指令本部では、これからどうなるのか、誰にもわかっていなかった。
ムニョス・ピローニャは希望を失い、将校らを集めて言った。
「おい、リオス将軍はやって来ないようだ。どうしたらいいだろう」。


その場で名前の上がった人物については、皆がそれに賛成というわけではなかった。
別の人物については、信用がならないと指摘する大尉がいた。
こうして候補者の名前は次々に消されていった。
終いには将校の1人がムニョスを見て進言した。


「大尉、今指揮を取っているのは誰なのですか」。

「私だ」とムニョスは答えた。
「それならばごちゃごちゃ言わずに、あなたが指揮を取られるべきです。
 あなたが大統領になるのです」。

「私は既に自分の身の丈に不相応な仕事をやっている。
 これよりも大きな仕事は私には無理だ。軍事行為を率いることと国を率いることは別物だよ」。


それから間もなく、遂にリオス・モント将軍がやって来た。
リオス・モントが来るのを見たムニョス・ピローニャは、全身の力が抜けていくのを感じた。
興奮のあまりに抱きつきたいほどであった。
将軍はしっかりとした足取りで彼のところにやって来た。
ロドルフォは起立し、踵を打ち合わせて敬礼した。
「将軍、クーデターがあったことを報告致します。次のグアテマラ大統領は閣下です」。


「誰が指揮を取るのだ」と将軍は尋ねた。

「閣下、あなたです」とムニョスが答えた。

「誰が指揮を取るのだ」、将軍は再び、声を荒げて尋ねた。

「あなたです、閣下!」ムニョスが応じた。

「誰が指揮を取るのだ」、将軍は三度尋ねた。

「閣下、あなたに指揮を取って頂きたいと思ったのでなければ、
 お呼びすることはなかったでしょう。指揮を取るのはあなたです、保証いたします」。
リオス・モントは声を和らげた。
ムニョス・ピローニャはグアテマラに新大統領が誕生したことを理解した。



戦いを好まなかった将軍 (その1) 

時間がかかってしまいましたが3月18日のエル・ペリオディコ紙日曜版に掲載された
エフライン・リオス・モントのバイオグラフィー「戦うことを好まなかった将軍」
少しずつ掲載していきたいと思います。


初日の今日はリオス・モントが大統領選に出て落選するまで。
文中に「将軍」と出て来たら、基本ホセ・エフライン・リオス・モントのことであると思って下さいませ。






遠くに立ち上る煙を見て、悪夢はまだ終わっていなかったのだと悟った。
ベンハミンはその前日、機嫌よく目覚めた。
市場の日で、村は普段よりも彩りに溢れていた。正午近くに公園の方に出かけた。
彼のゴム長靴は濡れた土の道路にめり込み、頭上の帽子は額に小さな穴が開いていた。
途中で姉の家に立ち寄った。
外では4人の甥っ子らがニワトリを追いかけて走り回り、痩せこけた犬が大きく体を揺さぶった。
やがて近所の人が「軍隊が来るぞ」と興奮した様子でやって来た。
ベンハミンは他の村で軍人らがやったことを聞いていたので怖くなった。
「ちょっと見てくる」と姉に言って出かけようとした時、
11歳の甥っ子が彼の腕を引っ張って「僕も一緒に行っていい?」と尋ねた。
ベンハミンは姉に目で尋ねた。
「いいわよ」。
彼女は知らなかったが、この決断が長男の命を救うことになったのである。


ベンハミンは下の道に降り、
武装した大勢の兵士が村人の家に出入りして誰かを探しているのが見えるところまで行った。
その付近を通る者は誰彼なく捕らえられていた。
甥っ子は彼の手をぎゅっと握りしめた。
まるでこれから起こる出来事を隠すかのように濃い霧が太陽を覆い始めた。
ベンハミンは怖くなって、甥っ子とともに繁みの中に潜り込んだ。
何も考えないように努めながらじっとしていた。
何かを考えると、それが音を立てて、隠れていることがばれてしまうような気がしたからだ。
身動ぎ一つしないまま、兵士らが村中の女性を姉の家に押し込んでいくのを見た。
背中の赤ん坊を取り上げて空き地に放り投げるのを見た。
レイプされる女性らの叫び声を聞いた。
沈黙の内に、藁屋根の家に手榴弾が投げ込まれるのを見た。
そうして火がついた。
ベンハミンは泥の中に投げ込まれた子供たちのことを思い、涙に濡れた目を開いた。
その時兵士が彼を見つけ、まるでいなくなったウサギを見つけでもしたかのように、
中尉に連れて行ってもいいかと尋ねた。
しかし中尉は拒否し、
「このくそったれ共は我々の背嚢に小便をひっかけるからダメだ。
 そこら辺の家の中に放り込んでおけ」と命令した。
兵士は直ちにその命令に従った。


プラン・デ・サンチェスの女性は、その日、全員死んだ。
男性は別の家の中で焼き殺され、生きのびた者は暗闇に包まれた山に逃げようとした。
ベンハミンは甥っ子の手を引いた。
肉のやける匂いが鼻をつんざき、目はすでにガラス玉のようになっていた。


最寄りの町であるラビナルでは、
黒い頭髪と白髪混じりの口ひげをたくわえた人物の映像がテレビに映しだされていた。
「たとえばですよ、
 今ちょうどこの時に、5000人の兵士が国民の皆さんの平和のために働いていることを知っていますか?」
彼は視聴者に尋ねていた。
「そう尋ねたのは、いろんな人からこう聞かれます。
 『グアテマラではゲリラと戦っているのですか?』と。
 私はちょっと考えてからこう返答しました。
 グアテマラが戦っているのではなく、戦っているのは兵士です。
 皆さん、ゲリラは軍隊だけの問題ではありません。
 そうではなく、グアテマラの社会問題なのです。
 そう、つまりあなた自身の問題なのです」と映像は締めくくった。
ベンハミンはそれを聞いていることができなかった。
隠れたまま、一人でどうしたら良いのだろう、甥はどうなるのだろうと考えようとしていた。
ベンハミンはテレビに出ていた男のことを知らなかった。
それどころか、28年後に2人の人生が情け容赦なく交差するようになるとは想像だにできなかった。


むかしむかしあるところに


男の子が中庭の土の上で兵隊ごっこをしていた。
兄弟たちを整列させると行進するよう命令した。
この1ダースばかりの子供達は優しい父と厳しい母に育てられていた。
ホセ・エフラインは兄弟の3番目で、
ウエウエテナンゴの生まれ育った村で兵士の一隊が行進していくのを見てから、
兵隊ごっこをして遊ぶようになった。
彼はその時既に、将来は将軍になるのだとわかっていた。


父親のアントニオ・エルモヘネスはラ・コモディダーという商店の店主であった。
その店は安いという評判であったが、それは父親がツケで買う人を断れなかったからであった。
ツケを踏み倒す人があまりにも多かったため経営が成り立たず、この店を売却せざるを得なかった。
新しい店主はアントニオを店員として雇った。
こうしてリオス・モント一家の運命は店主から店員の一家へと、大きく変化したのであった。


30年代初め頃、ホセ・エフラインは好んで祖母が
「主は深い谷間から私を救い、悪から解放した」と歌うのを聞いた。
祖母は熱心なキリスト教徒で、孫たちが教会に親しむようにと心を砕いた。
エフラインには聖書を読めば0.5センターボ、
一緒に教会のミサに行けば1センターボを与えていたが、実際のところ、お金は必要ではなかった。
彼は教会に行くのが好きだった。
子供達の1人、マリオが神父になりたいと言ったので、
エフラインの両親は教会で結婚しなければならなかった。
当時は両親が結婚していなければ、神父になれなかったからである。
こうして一家はよりカトリックに親しむようになった。


エフラインは生真面目で厳しい母親と優しく甘い父親という正反対の両親に育てられた。
母は子供達に罰を与え、父は彼らに飴を与えた。
祖母は奉仕について、母はミサについて話した。


思春期となり、軍隊に入りたいという夢が実現する時が来た。
しかし、彼は乱視であったので、そのままでは士官学校への入学が認められたなかった。
賢い少年であったエフラインは、視力検査表の文字をすべて記憶して検査に臨んだ。
士官学校の仲間らは、エフラインのことを従順で環境に適応することのできる生徒であったと評している。
ある時催された士官候補生のダンスパーティーで、
人生の伴侶かつ3人の子供の母親となるテレサと知り合った。


士官学校を卒業した後は、同校の教官として勤務した。そして数年後には士官学校の校長になった。


校長


ルイス・アウグスト・トゥルシオス・リマ(士官学校出身の軍人、
後ゲリラに身を転じFARの司令官として活躍。1941-1966)は
セサル・モンテス(トゥルシオス・リマの死後FARの司令官となり、後にURNGの司令官の1人となる。1942-)
のところにやって来ると、用件を切り出した。
「クレイジー・リオス・モントの調査をしてくれ。あいつは気をつけないといけない」。
「クレイジー・リオス・モント?」とモンテスは尋ねた。
トゥルシオス・リマは将軍が校長だった頃に学校で起こったエピソードを語った。
「あいつは他人を困らせるのが好きなんだ。
 我々が整列しようとしている時に『気をつけ!』と叫び、
 その後誰も聞き取れないような低い声で命令を出すんだ。
 で、誰も何もしないもんだから、罰としてカンカン照りの中を背嚢と銃をしょって何時間も走らせるんだ。
 それを見て笑っているんだぜ。誰かがひどい目にあっているのを見るのが好きなんだな」。
その時セサル・モンテスは頭で理解したが、後にはそれを身をもって確認することとなった。
将軍はサディストで人間らしい感情に欠けた人物なのである。


一方、ロドルフォ・ムニョス・ピローニャ大尉
(リオス・モントが大統領となった時のクーデターの首謀者の一人)は、
校長について全く別の印象を持っている。
リオス・モントは士官候補生たちの健康をとても心配しており、
ちゃんとした料理が出されているかどうかを確認するために厨房にやって来たりした。
「校長というのは大抵校長室にいて、出入りする時にだけ見かけることができるものだと思っていました。
 でもリオス・モントはスープの中にすら現れました。
 集会で彼が話すとモチベーションが高まると、皆感心していました」。


毎週木曜日に行われる集会での士官候補生への講話はいつもほぼ同じだった。
彼は「右側のポケットにはb1-100を、左側には新約聖書を」入れておくようにと勧めていた。
b1-100というのは士官候補生の規則を記した本であり、
聖書は当時熱心なカトリックであったためであろう。


1972年、リオス・モントは将校に昇級、その後参謀本部長となり権力に触れるようになった。
本部長となって数ヵ月後にワシントンへ教員として送られ90日間を国外で過ごしたが、
以前ちらりと目にしただけであった権力に魅了されていた。


裏切られた大統領


政党は党員を国内各地に派遣していた。
投票用テーブルの近くには情報をチェックしてくれる係の人間も配置できた。
データがわかると急いで「集計センター」という名前ながら、
実際には開票結果をまとめるためにキリスト教民主党幹部らが集まった家に連絡が取られた。
夜の10時には皆勝利を確信していた。
リオス・モントは自宅で家族と共にテレビを見ていた。
もうすぐ大統領官邸に引越しとなるのが確実な情勢であった。


リオス・モントが選挙に出るというアイディアは、1973年終わり頃から出ていた。
権力を厚く守り固めている国軍に亀裂を入れ、独裁政治に終わりを告げるのが目的であった。
それをできるのはリオス・モントだというのが衆目の一致するところであった。
「階級の高く、社会に対する考えを有している人物、
特に軍の幹部とあまり係わりのない人物を探していた」と
アルフォンソ・カブレラは話している。
数日間考えた後、カブレラはワシントンへ代理人を送り、
将軍に候補になるよう説得した。
8月末、リオス・モントは辞任し、再び権力を手中にしようと動き始めた。


1973年9月11日、チリではサルバドール・アジェンデ政権が倒され、
グアテマラでは将軍が大統領候補としての最初の記者会見に臨んでいた。
変化について話し、貧困対策を行うことを約束した。
キリスト教民主党(DC)と革命統一戦線(FUR)からなる全国野党戦線の連立で、
アルベルト・フエンテス・モールが副大統領候補であった。


困難かつ資金不足な選挙活動であった。
支持者がそれぞれ自分の車や時間を提供しなければならなかった。
音響担当であったカブレラは、自分のバスを若者用に提供した。
ウエウエテナンゴでリオス・モントは自分もその車に乗せて欲しいとカブレラに頼んだ。
「若い人たちと一緒に行く方が楽しそうじゃないか」。長い道中を若者たちと過ごし、
 国の問題、深い谷間に落ちていくこの国をどう変えていけば良いのかということを話し合った。
候補者は、若者たちの意見に常に賛成というわけではなかったが、
少しばかり討論をした後はいつも自分の意見を変えた。
「敬礼、直れ、ご意見ごもっとも(Saludo uno, saludo dos y lo que ustedes digan)」。
このフレーズは選挙活動の間に有名になっていった。柔軟で、
自分に欠けている部分については自分が折れる用意があった。


3月3日、国内全域で停電があった。
リオス・モントと家族は暗闇の中で結果を待った。
夜11時には政党の集計センターでは既に祝杯が上げられ、誰もが勝利を確信していた。
しかし電気が復旧し、テレビがついた時に映ったのはその逆の結果であった。
リオス・モントは敗北した。次から次へと「インチキだ」という声が沸き起こった。
党の幹部らは戦うよう頼んだ。
しかしリオス・モントはそれを拒んだ。
将軍は戦うことを好まなかった。
アルフォンソが再度戦ってほしいと迫った。


「将軍、我々は勝ったんじゃないか、勝利を守らないでどうするんだ」と彼は言った。
リオス・モントは視線を落として自分は何もしないと決意したと答えた。
「勝ったと主張したら家族を殺すと脅されたんだ。流血沙汰はゴメンだ」。
しかし仲間達はそれで納得したわけではなかった。
「将軍は戦わないということで
 相手側に暴力を止めろというメッセージを送ったつもりだったのでしょうが、
 向こうはこっちが弱気になったと思い込んでしまった。
 お陰で更なる追い討ちをかけられたのです」とカブレラは続ける。
「そうしてキリスト教民主党のリーダーが500人以上殺されました」。