サン・ロマン農場 

前回の記事で出てきたサン・ロマン農場について補足しておきます。


ActionAidという国際NGOが2008年に出した
「グアテマラにおけるバイオディーゼルのプランテーションと食物生産のための土地の減少」
Valle del Polochic(バイエ・デル・ポロチク)というサイトに掲載されている資料の内、
「アルタ・ベラパス県の農地の再配分」を参考にしています。


サン・ロマン農場、と呼びますが、グアテマラの場合fincaと表記されるのは
何も実際に農業が行われている農地だけではなく
自然林などもfincaと表記されていたりします。


「農場」と言うよりは「広大な土地の名称」として使われているようで、
実際の土地登記を見ると、その土地の登記名としてfincaが使われていたります。
アウロラ空港がある地域もその一つで、あそこはFinca La Aurora。


人が住むようになったり、集落として開発されるようになると別の名前ができるのですが
そんなわけで、サン・ロマン農場は元々は単なるジャングルであり
農地として開発されていた土地ではないようではあります。


そのサン・ロマン農場の面積は約9万ヘクタール。
内戦時にはアルタ・ベラパス県の各地から逃れてきたケクチ族が住み着いたそうですが、
その中には1978年にパンソスで起こった虐殺事件の生存者も多数いたそうです。


1983年、この農場は政令91-83号により国防省に移管されます。
自然も野生生物も豊かな土地柄だったため、
1995年には生物多様性の保護のための自然保護区と国会で決議されました。


さて、時の経過とともに、この自然保護区に34の共同体が出来上がります。
この内14は和平合意により内戦の国内難民と認定され、
グアテマラ国内難民審議会(CONDEG)を通して土地の取得手続きを開始します。


最初に行ったのは国防省が有する権利を抹消することで、1998年12月2日に実現。
サン・ロマン農場の大部分は農地移行機関(INTA)の管理下となり、
残った部分が再び国防省の管理下となりました。


1999年、サン・ロマン農場はINTAの後を継ぐこととなった土地基金(Fontierras)の管轄下となり、
緩衝地域(保護区に隣接する地区)を共同体の農民に払い下げることが決定します。


2001年にプロセスが終了し、
Fontierrasは2113世帯に土地の権利書を渡します。
自然保護区の中にあった3つの共同体は他へ移転せざるを得なかったのですが、
これにはCONDEGが立ち会っっています。


こうして念願の農地が得られた農民だったのですが、
土地を得て間もない頃から、土地取引が多数発生したのでした。
中には農民に権利書が渡されているセレモニー会場にでさえ
土地を買い付ける人の姿が見かけられたという話もあります。


念願の土地は得たものの、土地以外に何もないとか
技術指導をしてもらえなかったとか、
そういう状況で放棄される土地が増え、
土地を売却する人が続出したのでした。


更には1999年の土地基金法によりが可能になったことも大きいです。
1962年に制定された農地改良機関では、
国から払い下げを受けた土地は10年間売却停止となっています。
その規定を取り払い、土地を自由経済の流れに任せたのが1999年のことでした。


こうしてサヤスチェでは次の共同体で多くの人が土地を失う結果となったのでした。
  1. ラ・トーレ 100%売却
  2. エル・ロサリート 100%
  3. エル・アレナル 98%
  4. エル・ポルベニール I 98%
  5. サン・ラファエル 80%
  6. ラス・ポサス 75%
  7. ラス・カルメリタス 45%
  8. サン・フェルナンド 35%


そしてこれらの土地を買い、急成長を遂げたのはアブラヤシ企業だったのでした。


[ 2012/10/26 06:00 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

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