セリート・デル・カルメン IV 

Cerrito del Carmen

この碑文には
「教会建立二百周年
 これはバイエ・デ・ラ・エルミタ、二百周年を迎えた現在のグアテマラシティに
 初めて建設された教会である。
 1976年1月2日 グアテマラ市」
と刻まれておりまして、
1776年1月2日に遷都されたグアテマラシティの二百周年を記念した内容となっています。


この約1ヶ月後、1976年2月4日に大地震が起こり
国内各地で25,000人の死者を出すことになるのですが、
グアテマラシティはアンティグアのように放棄されることなく
中米最大の都市となり、聖テレサの
「この像が置かれたところは大きな町となるでしょう」
という言葉は成就したのであります。
(前々回のエントリーではこの言葉を誤訳していたので訂正してあります)


さて、このセリートにまつわる不思議な話や伝説はいろいろあるようですが、
グアテマラの伝説や民話を集めたエクトル・ガイタンの
「ラ・カイエ・ドンデ・トゥ・ビベス(La calle donde tú vives, あなたが住む街角)」にも
「セリート・デル・カルメンの怪しい光」という話が収録されています。




セリートの付近にまだ粗末な小屋と家畜たちがいた頃のこと。
カルメル山の聖母の信心会の一人が
酒を飲んでいたとは言え、カルメル山の聖母の祝日の前の晩、
聖母の悪口を言っていたという噂が広まった。


その農夫ホセ・マリア・アクシン・コヨクは
信心深く礼儀正しい人物であったが
息子を病で失っていた。


人々は
「チェマ・アクシンのせいで悪いことが起きるんじゃないか」
と心配した(訳注:チェマはホセ・マリアの愛称)。
数年前に旱魃が起こったりコレラが流行ったりしたのも
そんなことがあった後だったからだ。
天罰が下るのも時間の問題だと誰もが思っていた。


カルメル山の聖母の祝日が盛大に行われた。
しかし人々は心配でならなかった。
中にはチェマをリンチにかけるべきだといい出す者までいた。


午後の祈りが終わった後のことである。
セリートの教会の上部から強い光が輝いているのを何人もが目撃した。
この火の玉のような光はセリートの周囲を飛び回り、付近の家に引火した。
人々は驚いて逃げ出し、その光が遠ざかっていくまで隠れていた。
皆、これはチェマ・アスキンが聖母を罵った天罰だと考えた。


チェマは大いに反省し、赦しを求めた。
しかしチェマの話は代々語り継がれることになる。


29年後の1649年4月14日、
再び火の玉のような光が出現した。
チェマが罵ったせいだという者もいたが、
チェマは既に亡くなっていたので、
そうではないと言う者もいた。


1680年の3月25日にも同じ光が出現し
人々をパニックに陥れた。
いつもセリートの近くの民家や牧草を燃やして消え去るのである。
この光は1681年1月20日、
1691年9月18日にも出現した。


事態を憂慮したセリートの司祭らは十字架を建てた。
それ以降、怪しい光は出現することなく現在に至る。


そしてこの光のことは教会の記録に書き記されているのである。




司祭らが建てたと言われるカラバカ十字(一生懸命探したのだけれど、訳語が見つからず・・・)は
今もセリートに建っています。
手持ちの写真がないので、リンクをぺたり


カラバカ十字は、キリストが磔刑にされたその十字架の破片で作られた十字架のことのようで
オリジナルはスペインはムルシア州のカラバカ・デ・ラ・クルスのバジリカに納められているのだとか。
そのレプリカがこのセリートにも建てられて、
それ以降、妙な光は一切出没しなくなったという話。


これ以外にも、幽霊が出るとかヨローナ(泣き女)が出るとか、
いろいろな怪奇現象と縁のある土地のようですが、
日中訪れる分には問題ないはずです!(多分)


ちょっとその光を見たい気もしないではないですが・・・。



[ 2012/08/24 23:58 ] 街角 | TB(0) | CM(0)

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