弱者の状況-ポロチク地方のこと 

長々と書き連ねてきたポロチクの話、
もうそろそろ一旦終わりになります。


今回はアルベルト・アルセという記者が書いている記事。
アルセは以前ここにアップしたコスタスールのサトウキビ農場の記事を書いた人でもあり、
ポロチクについても度々訪れて記事を書いています。
現在はホンジュラスにいるので、
グアテマラの国内問題について書くことは少なくともしばらくはないのでしょうが。


この記事は元々はプラサ・プーブリカに掲載されたか、
あるいは掲載するために書かれたものと思われるのですが、
少なくとも私はプラサ・プーブリカの方でこの記事を見つけることができませんでした。
2011年9月16日の日付のあるこのブログのタイトルは
Wendy en Guatemala, el país de nunca jamás.
(グアテマラというネバーランドのウェンディ)


記事後半に出てきますが、ネバーランドはピーター・パンの住む、
子供達が永遠に子供のままでいるところ。
ウェンディはピーター・パンに登場する人物でもあり、
重度の栄養失調で大きくなることのできない女の子のことでもある、
印象的なタイトルです。




ウェンディはケクチ族の女の子だ。年齢は2歳半で体重は6キロ。片方の目は既に視力を失ってしまった。このまま成長できたとしても、もう片方の目の視力も失うのみならず、重大な精神遅滞を伴うと見られている。深刻な栄養失調の症状である。ウェンディの飢餓は架空のものではない。グアテマラでは他にも多くの子供達が同じ飢餓に苦しんでいる。そこには顔があり、原因があり、解決がある。状況があり責任がある。歴史さえ存在している。


ウェンディの家族はアルタ・ベラパス県のポロチク地方でトウモロコシを栽培していたが、今年3月から5月にかけて行われた立ち退き命令で追い払われた800家族の1つである。インヘニオ・チャビル・ウツァフの警備員、警察、軍は、農民らが占拠していた土地から物理的に追い出すだけでは満足せず、生育中であったトウモロコシを焼き払った。一家はトウモロコシ栽培のために借金を重ねていた。そのトウモロコシがあれば、ウェンディのような栄養失調は防げたかもしれない。プラサ・プーブリカはポロチクでの出来事については以前から報道を続けてきた。


ウェンディが被害者であった立ち退き命令の執行から現在に至るまで、パラミリタリーによる暴力行為で農民3人が亡くなり、何人もが負傷している。6月20日には米州人権委員会(CIDH)が、立ち退かされたケクチ族800家族に対して食糧、保健、身体の安全を保証するようにという勧告を出している。この勧告は7月5日までに農民らの身体的安全、健康、食糧、住居を保証するようにという内容のものであった。


記者は、立ち退かされた800家族の代表として農民統一委員会(CUC)が行った総会、大統領府人権委員会(COPREDEH)との会合に立会い、パラナ農場を現在「半分占拠」している共同体の人達と一緒に一夜を過ごし、最低限必要な事実関係を把握した。このレポートは、グアテマラを襲う子供達の栄養失調の最悪の結末を反映する、ささやかな物語である。


何百人もの先住民の抗議に対する植民地時代や共和国時代の何百人ものエリート層のリアクションは、「まったく普通」「通常通り」であった。この定義はポロチクの土地紛争について研究を行っているグレッグ・グランディンが使っているものである。1871年、民主革命の後、政府は何世紀も以前からケクチ族が住んでいた土地を初めて登記した。その時から現在に至るまで、先住民は父祖の時代から彼らに属してきた土地で自分達の作物を育てる権利を要求して戦い、戦いの中で死ぬことを厭わなかった。現在のこの状況は、過去何世紀にもわたってその土地に起こってきた紛争が繰り返されているに過ぎない。ウェンディの飢餓は土地の分配システムが失敗したということの明らかな証明に過ぎない。


恐怖に彩られた総会


9月1日木曜日。山の斜面でケクチ族の農民男女25人による総会が行われた。屋外のため、むっとする暑さから逃れるために日陰で行われたが、始終マントをはらって蝿を追い払いながらの会合であった。この25人は立ち退き命令により住居を失った800家族の代表で、数年前から占拠し続けている農場で戦略を練っていた。彼らはママ・マキンの名の下に集まっていた。農婦であったママ・マキンは土地の権利を求めて活動し、1978年に軍隊によって殺された。この農場はその場所から数キロのところにある。パンソスの虐殺事件である。


その会合の大部分は、ここまで来るために必要だった、彼ら自身には負担することが不可能な交通費の精算と、政府へのリストの提供の可否に費やされた。政府は農民らの必要を図るために、インヘニオ・チャビル・ウツァフの地所から立ち退かされた人々の名前と所在地のリスト要求していた。農民らは恐怖に囚われていた。「どうして立ち退きの前にそのリストを作らなかったんだ?」「どうして立ち退きの前に食べ物や家や健康のことを聞いてくれなかったんだ?どうして行き場のない動物のように私達を追い払ったんだ?」「今更どうして彼らの言うことを信じられるんだ?」何度も繰り返された質問である。


何ヶ月も前から受けてきた嫌がらせの数々を何時間にもわたって言い合った。農民らの一番の要求は、ポロチク地方に長年にわたって恐怖を植え付けてきたパラミリタリー組織の解体だということに拘っていた。この組織は、企業や警察が行動を起こさないことに不満を持つ人々が組織したものだと言われているが、この組織の暴力行為による結果は明らかである。土地を要求するための闘争に参加し続けようとする者は段々減少しており、証言のリストは長く続く。


ケクチ語とスペイン語の通訳であるE.H.はこの会合を呼びかけた人物で、パンソスの家にも尋ねて来る者がいるという。「ウィドマンはリーダー全員の写真を撮っています。その後、インヘニオの警備員が3度私の家にやって来ました。彼らが来ると私は隠れて、妻と娘が応対します。彼らは仕事があると言ってくるのですが、いつも最後には私の身の安全を守るためにはグループから抜けて、インヘニオのために仕事をするのが一番だと言い残していきます。そうしないと、私の身の上に何か起こるかもしれないと」。


脅迫されたのは彼一人ではない。8月24日、J.B.はエル・エストールから共同体にトラックで帰る途中、警官から降りるよう言われた。他の乗客全員の前でトラックから降りると、12人の警官に取り囲まれ、特に何の理由もないまま所持品検査や嫌がらせを受けた。警官らは「農場に問題を起こし続けると、困ったことになるぞ」と彼に警告した。ミラルバイエのV.C.は何度も嫌がらせを受けている。やり方はいつも同じだ。「バイクが近づいてきて、『ピストルを持っていたらこれ以上旦那様を困らせることのないようにこいつを撃ってやるんだが』と言うのです」。リオ・フリオのM.C.は立ち退き執行の後住んでいる家の後ろの方から銃で脅されたり奇声を浴びせられたりしている。


占拠している農場でのCOPREDEHとの夜の会合


総会の翌日の9月2日、ラ・ティンタで大統領府人権委員会(COPREDEH)と農民の間で、米州人権委員会(CIDH)の保護措置を取るようにという勧告に関する2度目の会合が行われた。農民側はビデオやカメラに撮影されることを恐れるあまり、ちぐはぐなものになってしまった。政府が用意したケクチ語の通訳は内容を省略したりするなど悲惨なもので、農民らの意気を更に消沈させる結果となった。


農民達の恐怖を実際に理解し、政府機関との関係を把握するために、ラ・ティンタからパンソスのパラナ農場の集会所まで数時間かけて同行し、一夜を共にした。その光景は最新のセンセーショナルな恐怖映画のようであった。真っ暗闇の中で稲光が数秒間あたりを照らし、闇の中を幾人もの影が動き、私達についてきた。真っ暗闇の中で長さ5メートル、幅3メートルばかりの金属板2枚と何本もの支柱ででき上がった家に辿り着いた。


パラナ農場には92家族が住んでいた。3月の立ち退き執行の後、22家族が残った。10カバエリーアにわたって広がる焼き払われたトウモロコシの残骸と道路の間で生活している。小さな火の灯りで最初に目にしたのは、銃弾によって開いたたくさんの穴であった。8月10日、インヘニオ・チャビル・ウツァフの警備員約30人を乗せたピックアップ・トラック3台が夜中に彼らを襲い、3人を負傷させた。その中には女性1人と子供1人が含まれている。その日以降、女性や子供は別の場所で眠り、男性が夜警をしている。


彼らはその襲撃の話を何度も繰り返した。到着してから2時間で、その時の出来事に関する疑問は全て解消した。夜の闇を音で覆いつくす6発の銃声が2度聞こえた。恐怖で逃げ惑う人達や、襲撃に備えて配置につく人達がいた。もし実際に起こっていたら死者が出ただろう。その点については何の疑問もない。柵の両側にいるどちらもが武装していた。こちら側もあちら側もである。1時間以上、私達のいる場所に平行して真っ直ぐに歩きながら発砲しているのが、彼らが持っている懐中電灯の灯りからわかった。


農民の一人フェデリコ・C.は次のように物語った。「私は以前にも戦ったことがあります。しかし、私の仲間と一緒ではありませんでした。1987年、14歳だった時、テレマンで軍に拉致され、6年間、兵士として戦わなければなりませんでした。私には土地を守る用意ができています。川の方に向かえば、何人もの農民が埋められているところをお教えできますよ。彼らを殺したのは軍です。この土地には私達の血が流されています。この農場を占拠するという行為は、私の人生の中で、自分自身の土地を持つということに一番近いのです。子供達に自分自身の土地を残してやることができなければ、子供達は飢えて死んでしまうでしょう」。


誰かが料理したり眠ったり、子供達のためにより良い将来を計画するための場所が家だとするなら、この22人の農民は既に1年近く彼らの家を守り、これからもそれを続けていく覚悟と準備をもっている人達である。眠りと沈黙があたりを支配する。出来事には回答はない。彼らを恐怖に陥れようとする者もいる。それでもなお、農民らはこの夜を平穏だと表現した。しかし、それがすべてではない。


「昨日(9月1日)、インヘニオの従業員が警備員と警察官を連れてトラクターでやって来ると、サトウキビを植え始めました」。マルセリーノ・C.は、女性達が黒いトウモロコシでトルティーヤの用意をする傍らで、サトウキビを植えるための穴が文字通り彼らの住居にまで開いているのを示した。黒く焼けたトウモロコシの実や茎がまだそこにはあった。「警察はいつも彼らといっしょにいます。インヘニオの人達を守るけれど、私達のことは守ってくれません。毎日やって来て、インヘニオの人達が働いている間、私達のことを脅すのです」。


農場の周囲を歩き回って住民らと顔見知りになると、恐怖に続いて空腹に襲われた。50歳のベナシオ・B.は2人の子供の父親だ。彼の小屋を見せてもらった。ベナシオにとっては、外部の人からどう見られているのかが一番辛いという。「誰かが外を通ったり私達のところにやって来るとするじゃないですか。そうすると、私達が地面を耕していないので、浮浪者だと思うわけです。でも私は物心ついた時から働いていますし、子供を育てるために土を耕していたいだけなんです。わずかばかりの他人からの賃金なんて真っ平です」。


壁の外は豊かであった。「カボチャ、キュウリ、スイカは何もしなくても実がなります。最も、もう無くなってしまいましたけれどね」。家の中は極貧である。彼らの所有する物と言えば、ダンボールのベッド、手作りの木製のベビーベッドと歩行器、トウモロコシを挽く道具が全てである。「昨日は何も食べていません。明日は仕事があると聞いています。30ケツァルの仕事で、もう12ケツァルのトウモロコシ粉を頼んであります。これで妻はトルティーヤを2日間用意できます」。空腹で過ごすのですか、と尋ねてみた。「そうです。でも私達が最悪というわけじゃないですから。フェデリコと話してみてごらんなさい」。フェデリコとは夜の間何時間も一緒に過ごし、内戦当時の軍での経験を話してくれていたが、家族のことはまだ聞いていなかった。それを恥じていたのかもしれないが、ウェンディのところに連れて行ってもらった。ウェンディは飢えで死にかけていた。暴力的に立ち退かされた人達を保護するために米州人権委員会が出した勧告に対する政府の対応は、まったく不完全なものでしかなかった。


土地の状況について把握するため、COPREDEHとの集会に話を戻そう。農民らは合意の内容や期間について守られた例のない会合に疲れており、COPREDEHは長く細かい役所の手続きのために必要なデータや期日通りの回答を求めていた。その場で話し合われたことはほとんど何一つ守られたことがなかった。この問題では、公式な発表と現実の間に大きな隔たりがあり、政府の戦略は時間稼ぎではないかと思わせるものがあった。つまり、選挙まで残りわずかなので、この問題は9月11日に投票箱で決定される次の政権に任せた方が良いのではないかということである。


農地保障局アルタ・ベラパス県事務所のビニシオ・バルガスは「裨益者となる可能性のある人達のリストアップをしようとしたのですが、アクセスの困難な土地に分散して住んでいる人が多く、不可能でした」と言っている。記者は9月3日土曜日の夜明けから2時間ほど経った頃、土地紛争では象徴的な場所であるパラナ農場から100m程のところにある道路沿いの小屋の中でウェンディに会っている。


保健省の法務顧問バイロン・オリバは農民組織をサポートする人権組織の存在に感謝の意を示して止まないが、人権組織の方は保健省が何の行動も起こさないと非難している。オリバは彼の部局では「予防及び治療システムを準備しているが、リストがないことには何も始められない」と何度も繰り返し説明した。ロサリオ・B.はキニチに住む老女であるが、500年の苦難を映すような彼女の落ち窪んだ目はその言葉に返答したがっているようであった。


ロサリオは腕をまくりあげ、ほとんど動かない左腕を見せてくれた。その腕には黄色から段々薄黒くなっていく打撃の痕がまだ残っていた。「8月28日日曜日、テレマンの市場から孫と一緒に戻ってきた時、2台のバイクに乗った、黒い服を着て顔を隠した4人組が私達を取り囲み、棒で殴りつけてきました。孫が男らに石を投げつけたのでいなくなりましたが、皆が私の言う言葉を聴くので、私を脅したかったのだと思います。それってどういうことなのでしょう?彼らは違いますが、私達はここで生まれ育ったのです。彼らは風にのってやって来たよそ者ですが、私達はこの土地に属する者なのです」。ロサリオはテレマンの保健所にいる予防と治療の保護者のところに行ったが、横領行為を働いているという侮辱の言葉を浴びせられ治療を断られた。話にならないのはいつものことである。


「告発しなさい」と国は言う。「誰に告発しろと言うのでしょう。警察はインヘニオとインヘニオの警備員の側にいて、食事に招待されたりしているじゃないですか」。農民らは警察幹部への不信を繰り返した。


COPREDEHはインヘニオ・チャビル・ウツァフと契約している警備会社について、民間警備サービス総局の報告書のコピーを提出した。その内容は要領を得ないもので、会合の参加者に結論を示す以外の役には立たなかった。それは農民達が告発した暴力行為に触れ、ポロチクには民間警備会社が16社あり、その内の1社はシールド・セキュリティという会社で、同社の従業員1人に対して検察が捜査中であるというものであった。最後に民間警備サービス総局は検察と協力すべしとされていた。それだけでである。


内務省アルタ・ベラパス県事務所のホセ・アルベルト・アルトーラには独自の方針がある。「夜間については警備のシステムを定め、地域担当となった警察官の評価を行います。適当ではないと判断された人物は交代することになります」。こういった望ましい未来像を掲げながら、日々暴力の犠牲となっている人達のことについてはほとんど触れない。この国の治安担当官の口から出てくる言葉は、記者がその地で見聞きしたことと食い違っている。その24時間後、パラナ農場のマテオ・C.は私にこう言うことになる。「ほら、また来ている。インヘニオの警備員と警察官が一緒にね」。


さて農民が提案する番となった。明らかで交渉の余地のないものである。800家族に対する保護措置を取るようにという勧告は2ヶ月半以上前に完了していなければならないものであった。それなのにまるでモルペウスの夢の中に囚われ続け感覚が麻痺しているかのようにリストを作れと言い続けている。農民を住居、食糧、保健を用意した3つの農場に分散させ、国の支援を受けるための調査を受ける。指定されている農場はサンタ・ロシータ、パラナ、オーチョ・デ・アゴストである。


しかしここにも問題がある。「政府は占拠に同意も保証もしません。もし農民が再び農場を占拠すれば、保護措置の対象から直ちに外されます」とCOPREDEHの人権保護局長ウーゴ・マルティネスははっきり言った。恒常的対話システムの責任者ミルドレッド・ロペスも「土地の取得は交渉の対象にはなっていません」と付け加えた。


グアテマラ政府からの提案への回答期限は2ヶ月前に切れているが、農民らの会合では9月29日に再び集まって、保護措置を受けるかどうかを話し合うこととなった。会合でいつも話題になるのは立ち退かされた農民らのリストのことである。政府はリストなしには何もできないと言っているが、農民は政府を信用できない。農民は政府の質問票に書き込むと、その内容が組織のリーダーが誰であるかを判断するのに使われたり、現在不法占拠で農民らに対して出されている125件の法的告訴書類に文書での証拠を提供する結果になる可能性があるということを理解しているからである。


「もし提案を受け入れなければ、保護措置のどの部分が適用されなくなるんでしょうか?」、農民らはCUCの弁護士で彼らの代理人でもあるセルヒオ・ベルテトンに尋ねた。「だって私有財産を守る法と生存権や食糧の権利とが正面衝突しているわけじゃないですか」。弁護士は農民らにこれ以上農場を占拠するのは止めるようにと説得し、その一方でCOPREDEHには提案への回答期限を9月29日まで延長するよう要請している。こうして時が経っていく有様はさながら「ゴドーを待ちながら」の1シーンのようである。


ジェームズ・バリーは前世紀の初めにネバーランドではピーター・パンやウェンディのような子供達は、遊び続けることで成長を拒否することができると想像した。パラナ農場のウェンディにとって、グアテマラは恐ろしい意味でのポストモダンなネバーランドに変貌した。そこでは、19世紀からほとんど変わることなく続いている少数への土地の集中により可能となったアブラヤシやサトウキビといった単一作物のプランテーションが支配している。治安当局の行動や政府の無行動が彼らを保護し、一方で子供達が成長することができないようにしているだけではなく、最悪の方法で死に追いやっている。「緑の飢餓」はこの惑星のもっとも豊かな地域で起こっている。UNICEFは、ウェンディのような先住民については、子供の栄養失調は49%から70%に上昇すると報告書に記している。このような飢餓には期間は関係ない。実現されない期間であるならば、尚更である。





[ 2012/05/29 23:59 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

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