すれ違う主張-ポロチク地方のこと 

長い長い前置き(のようなもの)が続いた後で、
やっとパンソス農民の話になります。


パンソスのベーヤ・フロールという農場を占拠する農民たちと
農場主、市長にそれぞれインタビューした、
2011年1月のエル・ペリオディコ紙の記事を取り上げてみたいと思います。


このベーヤ・フロールという農場には
ケクチ族の農民が農場の一部を占拠して共同体を作っています。
この農場は、現在はチャビル・ウツァフのものとなっているのですが、
農民たちはビニールシートで覆っただけのテントで雨露をしのぎながら生活をしています。


そんな貧しい共同体でも、夜は交代で警備に当たります。
いつ何時、立ち退きを求めているチャビル・ウツァフ側の人間がやって来るかわからないから。
夜警に立っていたフリオ・カアルは土地紛争でおじを2人亡くし、
彼自身も銃で撃たれて手の一部が欠けているとか。
「私らは銃は持ってません、マチェテだけですが怖くはないです。
 私らはここにいる権利がありますからね。
 12歳の時から働いてるんで。ここで育ったんですよ。
 私らはここでトウモロコシとフリホールを育てて
 子供達を養いながら静かに暮らしたいだけです。
 この3年で3度立ち退きさせられましたよ。
 元々あんまり持ってる物はありませんでしたが、全部焼かれてしまいました。
 今では何にもありませんわ」。


ここの人たちの多くは元パンソス市長のフラビオ・モンソンが
このベーヤ・フロール農場を経営していた時に
モソ・コロノとして働いていた人たちなのだそうです。
「あの旦那は乱暴な人だったです。
 誰かが仕事もせずに通りを歩いていたら、農場に連れてきて働かせるんです。
 銃で脅されました。ありがたいことに、もう死んでしまいましたけれどね」。


交代で夜警に立ったサムエル・ククルによれば、
モンソンが農場を息子たちに分割した時、
労働者への清算を行わず、
労働者ごと土地を分割し、息子たちが労働者を追い出したのだとか。


グアテマラの労働法では、雇用主が労働者を解雇する場合、
賠償金(日本で言うところの退職金)が支払われることになっていますが、
そういうものもないまま住んでいた農場から追い出されたと言うわけです。
彼らには他の仕事のアテがあるわけでもない。
他の農場で一日働いてもせいぜいQ25~30しか支払われない。
そこで自分達の「権利」を主張して、
元々働いていた農場の一角に住むことを決断した、ということのようです。


さて、ベーヤ・フロール農場はフラビオ・モンソンが娘アミンタに譲渡したものでしたが
兄(弟?)のエクトル・モンソンはこうコメントしています。
「あの農場は3度も占拠されて、どうしようもなかったんで
 アミンタは売却することにしたんですよ。
 警備員もいたけれど、武器を持ってやって来て、警備員に発砲するんです。
 あいつらは政府が農場を買うための金を出してくれるのを待ってるわけですよ、
 でも政府には土地を占拠する農民全員のための金はありませんからね」。


「国には私有地を保護する義務があり、無断で侵入してくる人物を排除する責任があります。
 農民の手に国の農業を任せたら、生産性はどん底になりますよ。
 サトウキビ、コーヒー、アブラヤシは輸出用作物です。
 農民は自分達の分しか作りません。教育も足りないし。
 50年前、私が学校に通っていた時はスペイン語だけが公用語でした。
 農家の子供も、学校に来ればスペイン語を覚えざるをえなかったのです。
 今じゃ彼らの言葉で授業が行われるじゃないですか。
 これでは進歩は覚束ないですね」。


「政府のコントロールは日に日に弱くなっています。
 土地占拠の問題が解決しないようならば、土地所有者と占拠者の間で
 深刻な状態になりますよ」。


度々立ち退き処分にあってきたベーヤ・フロールの共同体の農民は
自分達の食べ物すらなく、
他の共同体で余ったトウモロコシを分けてもらっている状態だとか。
そんな状態では食料が十分にあるわけもなく、子供達は栄養失調、
下痢や風邪にかかったとしても、薬を買うお金があるわけでもなく。


共同体の一人は
「もしもう一度追い出されるようなことがあれば、ゲリラにでもなった方がマシだ。
 もうこんな生活には飽き飽きした。
 私らはいつも礼儀を守って話をするのに、農場主は全然わかってくれない。
 私らの権利を尊重してさえくれれば、安心して生活できるが、
 そうじゃなかったら私らの祖父や父がやったと同じように立ち上がるしかないだろう」
とまで言っています。
もっともそれが皆の総意というわけではないようですが。


ククルはこう言います。
「いつもいつも、私らが土地を占拠していると言われるが、それは違う。
 私らはここで生まれたんですよ。
 サトウキビの連中の方が後から無断で侵入してきたんです。
 あの人たちは遠くからやって来たんですよ。
 皆、連中が土地を買ったんで残念に思っています。
 連中はパンソスの市長とグルになって、私らと敵対するんです。
 でも、一体どこに行けと言うんでしょう?」


サトウキビやアブラヤシの大きなプランテーションが出来上がった結果、
農民が自分達のための作物を栽培することができる土地は
ほんのわずかになってしまっているのです。


パンソス市長のリカルド・ルンムレル(当時)はドイツ系で
この地区に大きな影響力を持つ農場主の一人でもあります。


「市ではポロチクへの投資を歓迎しています。
 企業は住民に仕事をもたらします。
 市の人口は65,000人で、大半が貧困の状態にあります。
 市はいろんな企業と活動し、最低賃金を上げることに成功しました。
 以前は支払いはごくわずかでしたが、今では法律の規定通りに支払われています」。


「トウモロコシを栽培する人たちは同じ土地で働いています。
 私たちは土地を横取りしたわけではありませんし、
 土地の用途を変更したこともありません。
 農場を占拠している人たちは土地を持ってないと言いますが、
 土地を手にしても、結局売りたがるんです。
 仕事があればあるほど、こういう状況は減るでしょう。
 ですから、企業が鉱業やサトウキビ、アブラヤシやそういうものに
 投資してくれる方がありがたいわけです」。


「農民が土地を売ってしまう」というのは
確かに実際にあったことのようです。
内戦後、国有地が農民のための土地として売却され、
農民一人ひとりに権利書が渡されたわけですが、
その土地をプランテーションに売却したケースはあるのだとか。


やっと手に入れた土地を手放す理由が何なのかは不明ですが、
一時的にまとまったお金を入手し、
プランテーションで働くようになった後で後悔し、
他人の土地を借りてまたトウモロコシ栽培に戻る人たちもいるそうです。


また、土地の購入を狙っている側の人が
その土地の権利を持っている人に嫌がらせをして
売却せざるを得ないように仕向けることもあり、
市長が言うほど簡単な話ではないと思うのですが。


とにかく、お互いの主張はどこまで行っても平行線、
というよりはお互い別の言語で会話でもしているような、
そんな無力感を感じます。
農場主らが「あいつらは学のない農民だ」と言えば
農民は「あいつらはよそ者だ」と言う。
農場主らが「ここは私有地だ」と言えば
農民は「私達はここで育ったんだ」と言う。
直接顔を合わせて会話しているわけではないだけにお互いの主張が際立つのでしょうが
水と油のように異質なものを混ぜあわせてしまって収拾がつかなくなったような感じです。


土地問題はもちろん元々植民地政策に由来するものであり、
独立後は貧富の差、そして民族差別により助長されたものですが、
お互いに、相手の文化や価値観への理解、
少なくとも相手の立場を理解しようとする姿勢なしには
解決の糸口すら見つからないように思います。


この記事、最後にダリオ青年の話が出てきます。
ダリオは15歳の女性と結婚を考えている若者です。
でも、家族に対する責任、例えば
服や食べ物を買ってやれるかとか、
父親としての子供に対する責任とか、
そういうことを考えると「怖いというよりは恥ずかしい」のだそうです。


ダリオは数年間小学校に通ったことはあるけれど、
避妊については知識がなく、
女性の生理についても
「保健所で月に一度我慢しないといけないと言われた」という程度。


そういう彼が家庭を築き、
食料や衣類に困らず、
子供を学校に行かせて、
具合が悪ければせめて薬を買うだけのお金を得て暮らせるためには何が必要か。


ダリオが求めているのは、
「自分の土地を耕し、家族のための食料を栽培して、
 残ったものを市場で売って現金収入を得る」というささやかな暮らし、なのですが。



[ 2012/05/01 23:52 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

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