人にはどれだけの土地が必要か-ポロチク地方のこと 

ポロチク川はチャマ山脈とラス・ミナス山脈に源流があり
タマウ、トゥクル、テレマン、ラ・ティンタ、パンソスといった町を通り、
パンソスでカアボン川と合流し、イサバル湖に流れ込む水量の豊かな川です。長さは194km。


パンソスと隣のエル・エストール付近は北をチャマ山脈、南はラス・ミナス山脈に挟まれた低地で
ポロチク川が大きく蛇行しているこの地域は
Valle de Polochic(バイエ・デ・ポロチク)と呼ばれています。
Valleと言っても谷間でも盆地でもないし(東側はイサバル湖)
谷とか渓谷とか言うのはちょっと違うんじゃ・・・と思うので、
とりあえずここではポロチク地方と無難に呼ぶことにします。


パンソスの標高は18m。
アルタ・ベラパス県の県都であるコバンとよりも
ポロチク川をランチャで往来できるイサバル県の町々との方が縁が深そうな土地柄です。
以前は電車の駅があって、
アルタ・ベラパス県各地で収穫されたコーヒー、ゴム、綿花等を
大西洋側の港に送る中継地だったのだとか。


guate.jpg

地図はクリックで拡大します。
黄色のピン、Panzósと書かれているところがそうです。
白い線が県境なので、ほとんどイサバルなのがお分かり頂けるかと。
左の方の小さい飛行機マークがコバン、
左下の黄色いピンがグアテマラシティのアウロラ空港の辺りです。
Google Earthなどで探される場合は北緯15度23分、西経89度38分付近になります。


住民はケクチ族が多く、若干ポコムチ族がいるそうです。
ラディーノは多分少数派でしょうね。

 
首都から陸路で行こうと思うと、コバン経由かイサバル経由になりますが、
どちらもやたらと時間がかかる上、パンソス付近を通る道路はあまりいい道路ではないようで、
先月でしたか、知人がイサバルの方から車でパンソスを通りコバンまで行ったのですが
「すごい道だった」ってこぼしていました。
SUVでも通るのが大変なら、ウチのウサギの耳号ではとても通れないだろうな・・・。


さて、この付近の土地、以前は悪名高きユナイテッド・フルーツ・カンパニー(UFCO)のものだったそうです。
マヌエル・エストラダ・カブレラが大統領だった頃、UFCOがグアテマラに上陸、
UFCOが来れば国内のインフラ整備も進めやすいし、経済も発展する、
そう考えたカブレラは1904年、同社に対する税の優遇措置を与え、
建設途上で頓挫していた鉄道の建設をやってもらう代わりに運営を一任、
更には土地も提供したのでありました。


加えて、第2次世界大戦時、アメリカの圧力を受けて
当時の大統領であったホルヘ・ウビーコはドイツ人の土地を接収。
最初のドイツ人移民は1844年にグアテマラ入りしたそうですが、
それ以降、かなりの人数が移住しており、
アルタ・ベラパスのコーヒー農場など、ドイツ人が経営していたものが多かったのでした。
ポロチク地方についてはよくわからないのですが
その辺りも接収されてなぜかUFCOのものになったという話もあり、
そんなこんなで広大な土地を手に入れたUFCOですが、
一説ではポロチク川流域では1500カバジェリーアの土地を所有していたとか。
1カバジェリーアは大体45ヘクタール、つまり67,500ヘクタール、
だとすると675平方キロで、琵琶湖よりちょっと大きい面積。
てか、パンソスの面積が638平方キロだそうですから、それより大きいぢゃん・・・。
この数字、マジなのか(かなり疑わしい気がする)。
ちなみに隣町、イサバル県のエル・エストールは2,896平方キロ。
ここにPolochic Banana Companyが出来上がったわけですが、
土地の大半は使用されないまま、休耕地になっていたのだそうです。


そこに目をつけたのがハコボ・アルベンス大統領。
1954年の農地改革でこの土地を接収して国有地とし、
それを農民に分けていくのですが
この時かなりの土地を手に入れたのがフラビオ・モンソンという人物でした。
6期市長を務めており、その地位を利用したのだろうと思われます。


そんなポロチク地方にコスタスールでサトウキビ栽培をしていた
インヘニオ・グアダルーペが引っ越してきたのが2005年。
コスタスールでは競争が厳しく、小さなインヘニオでは太刀打ちできないというのが理由でした。
ポロチク地方は生産量こそコスタスール程ではないものの
土地の利用料や原料となるサトウキビ(多分人件費込みの数字のような)が安価に入手できるだろうという計算で、
ポロチク地方の37の農場、計3600ヘクタールを購入したのでありました。


・・・というところからこの物語は始まります。


インヘニオ・グアダルーペが購入して設立したのは
チャビル・ウツァフという会社と同名のインヘニオ。
インヘニオ・グアダルーペはウィドマン一族が経営していますが、
ウィドマン一族は19世紀末にドイツから移民として来た
カール・ウィドマンとスサナ・ルナ夫妻に端を発します。
コスタスールでのコーヒーやサトウキビ農場の経営で財をなした一族で
カールの孫のウェンディは元大統領オスカル・ベルシェの配偶者でもあります。
伝統的オリガルキーではないものの、
オリガルキーとも姻戚関係にあり、
そこに近い、つまり権力の周辺にいる人たち。


その一方で、土地の登記とか何も気にせず
先祖伝来の生活を守って畑を耕してきた人たちがいます。


何となく想像がついてしまうと思うのですが、
「権力者が農民の土地を取り上げてしまって、
 農民は耕す土地がないから農場で低賃金でこき使われ、
 自分たちの耕す土地が欲しいと主張、
 一方権力者は土地の権利書をもってここは自分の土地だと主張する」
という、かなり不毛な紛争が始まるのであります。


不毛と表現しては不謹慎だと怒られそうですけれど。


書きながら、
トルストイの「人にはどれだけの土地が必要か」という民話をふと思い出してしまうテーマではありますね。


というわけで、ポロチクの土地紛争の話、
多分これからしばらく続きます。



[ 2012/04/22 22:06 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

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