戦いを好まなかった将軍 (その5) 

5回でやっと完結となるこのリオス・モントのバイオグラフィー、
最終回は政権を追われてから現在まで。


全部をアップした後、明日以降、少しコメントしてみます。








共和戦線のリーダーとして


2度権力に手を触れた。
その内1度は504日間も我が物とした。
しかしリオス・モントのような人物にとっては、それはわずかに過ぎない。
大統領の座を追われて5年後の1990年、
彼は再び挑戦した。5つの小さな政党からなるプラットフォーム90という連立が彼を擁立した。
副大統領候補はハリス・ウィトベクであったが、
この時は憲法裁判所がクーデターに加担した者は大統領候補になれないという
1986年に制定された憲法の規定を理由にこれを阻止したため、何もできなかった。
グアテマラ共和戦線(FRG)の創立者の1人であるフアン・カジェーハスは
「もし立候補できていたら最初の投票で勝っていただろう。
 それについては疑いの余地がない」と考えた。


次の選挙では別の戦術をとった。
国会議員として立候補し、身内の人物を大統領候補するというものだ。
「彼はいかなる方法でも構わないから権力を取ろうとした。
 自分が立候補できないのなら、コントロールできる人間を代わりにしようとしたわけです」とカジェーハス。
党内では将軍の参謀であったフランシスコ・ビアンチに信望があったが、
将軍は別の計画を練っていた。
若手の国会議員でカリスマのあるアルフォンソ・ポルティーヨである。
しかしポルティーヨを取り立てたことで党の創立者の間には不満が広がった。
「権力への野心のために自分の理想や周囲の人間を裏切ったのです」とカジェーハス。
「多分、彼はビアンチをコントロールすることは不可能だとわかっていたのでしょう。
 でもポルティーヨなら大丈夫だと」。


1999年、彼はその目標を達成した。
ポルティーヨが選挙に勝ち、彼は国会議長となった。
初めて合法的に勝ち取った職である。
しかしそれだけでは満足しなかった。
その次の選挙では大統領候補として立候補することが認められ、選挙を争ったのである。
結果は3位で大統領には届かなかった。
しかし、奇妙なことに内戦が最も激しかった地域で票を得た。
ネバフでは将軍が6600票を獲得したのに対し、URNGはわずかに800票であった。
ベンハミンが住んでいたラビナルでは2704票でトップであり、URNGは314票であった。
これが最後の公的生活となった。
そしてまた再び、彼の意志とは関わりのないところで注目が集まっているのである。


被告席の老人


1982年7月19日の早朝、ベンハミンは震えながら山を降りてきた。
彼の後には甥が続いた。
鳥肌が立ち、母親と兄弟らの叫び声は耳に残ったままだった。
まだ煙の立ち上る家にたどり着いた。
生き延びた人たちが少しずつ戻って来た。
村人のほとんどが殺されたので、何が起こったのか誰にも理解できなかった。
女性は1人として生き延びられなかった。
ベンハミンは母や妻、姉妹、姪たちを探した。
しかし見つかったのは拷問された痕の残る遺体だけであった。
ほどなく軍務委員がやって来て、
ただちに遺体を埋めて後は口をとじていろと軍が命令している、
「言うとおりにしなかったら、戻ってきて今度は残った者も殺されるだろう」と言った。
ベンハミンと甥は沈黙と恐怖の内に、大急ぎで家族全員を埋めた。
11歳の子供には、どうして二度と彼の母親が眠る前に額を撫でてくれないのか、
どうして二度と兄弟たちと遊ぶことができないのか、
どうして二度とおばあちゃんからお話を聞かせてもらえないのかを理解することはできなかった。


ベンハミンと甥は近くの村に引っ越し、時間の経過とともに立ち直っていった。
ベンハミンは再婚し、3人の子供をもうけた。
子供の1人は町で民間の警備会社に勤めている。
恐怖や苦しみを忘れようとしたが、できなかった。
現在、ベンハミンはプラン・デ・サンチェスと他の11の村で起こった虐殺事件の1000人以上の虐殺について、
エフライン・リオス・モントを告発する正義と和解の協会の会長である。
裁判は既に始まっており、リオス・モントは自宅拘禁となっており、
弁護士らはこの決定を覆そうと準備をしているところである。


将軍が権力にあった504日の後、多くのことが変わった。
税金について言えば付加価値税が導入され、経済は大きく成長した。
内戦もまた変化した。ゲリラ戦力は減少した。
グアテマラ人のメンタリティーも変化した。盗みをしない、嘘をつかない、
横暴を働かないを働かないというのがスタンダードになった。
しかし恐らくもっとも変化したのはペテンの小さな土地であろう。
子供らが走り回り、女達がトルティーヤを作り、男達が働いていた、
トウモロコシ畑のあるその土地。ドス・エレスと呼ばれたその村は、
リオス・モントが権力を引き渡した時にはもう誰一人残っていなかった。
住民全員が亡くなったのである。
もしその村が消滅してしまったことが、
軍の指揮官として彼がいたことと関係があるのであれば、
裁判所がこれを判断し、その決定がこの物語の終末に書き込まれなければならないであろう。(完)




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まとめteみた.【戦いを好まなかった将軍 (その5)】

5回でやっと完結となるこのリオス・モントのバイオグラフィー、最終回は政権を追われてから現在まで。全部をアップした後、明日以降、少しコメントしてみます。共和戦線のリーダー物とした。しかしリオス・モントのような人物にとっては、それはわずかに過ぎない。大統領?...
[2012/04/15 14:35] URL まとめwoネタ速suru