エル・チョリーヨ 

またちょっと時間が空いてしまいましたが、またパナマの話に戻ります。
さすがにもうそろそろ終わりですけれどね・・・。


アメリカがパナマ運河を管理していた頃、
運河地帯に含まれていたアンコンの丘は、当然パナマ人が立ち入りできない場所でした。
丘の天辺には運河地帯の責任者(提督?)の家や米軍の南方基地があったとか。


運河地帯がパナマに返還された時、
運河地帯がパナマのものとなった象徴としてアンコンの丘に立てられたのが巨大なパナマ国旗でした。


そんな事情があるからこそ、アンコンの丘、そしてそこに堂々と掲げられているパナマ国旗は
独立とか愛国心とかそういうものすべてまとめた象徴であり、
だからこそアレックスが熱く語ってくれたのだなー、と
まあこれは後になってからわかったわけですけれどもね。


こうしてアンコンの丘にまつわる話はおしまい。
行ったわけでもないのに話なげーよ・・・(笑)


ちなみに、アンコンの丘に行かなかった理由というのは
「独立記念日の月だし、ひょっとして何か行事やってて通行止めになってるかもしれないから」
というアレックスの判断でありました。


自然保護区で野生動物がいるし、パナマシティや運河が見渡せるスポットとして人気あるようですが
一方で強盗とか出るから危ない、という話もあるみたい。
まあでもちょっと行ってみたかったな・・・という気はしています。


さて、その後カスコ・ビエホに行ったのですが
その途中、エル・チョリーヨと呼ばれる地区を通りました。
アンコンの丘の南側(太平洋側)にある地区ですが、
ここはアレックスが「危ないところ」と言ったように
グアテマラシティのセントロの裏通りに似たような雰囲気がそこはかとなく漂っており・・・。


運河建設当時、カリブ諸国からやって来た労働者が住み着いてできた地区なのだそうで、
現在でもその子孫達が多く、カリブ料理なんかもあるそうです。

運河返還後の1989年12月20日、
マヌエル・ノリエガが大統領だった当時のパナマにアメリカが侵攻した時、
米軍はこの地区にあったパナマ軍の参謀本部に侵入、エル・チョリーヨは壊滅。
一般市民の死者については未だに公式な発表はなく、
1000人とも5000人とも言われています。


現在のエル・チョリーヨはその後建てられた家やアパートが並ぶのだそうで、
エル・チョリーヨ全体を撮った写真はこちら


写っている小高い丘がアンコンの丘で、その奥に運河が見えています。
新市街はこのずっと右側。
アパートが写っていますが、このアパートが何というか。


言葉では説明しにくいので、写真探してみました
ちょっと日本の昔のアパートを思わせるような、
中の部屋は多分小さいんだろうな・・・という感じのアパートでしたが、
とあるアパートの2階のベランダに、
子供用の自転車がひょいっと引っ掛けてあったのが記憶に残っています。
公共スペースに置くと危ないので中に入れたいんだけれど
屋内が狭いのでこうやって収納しているのかな?と思ったのですが、
まあひょっとしたら子供が勝手に乗って出て行かないように
こうして掛けてあっただけなのかもしれないですね。


明らかにカリブ系と思われる人が多く、
ちょっと他の地区の明るさとは別の空気が流れていましたねぇ。
まあアパートのペンキ塗りなおせば良いだけかもしれないですが(笑)
アレックスは白人系なので余計居心地悪かったのかもしれないですが、
実際に犯罪率ではパナマのトップをいっている地区なのだそうです。


そしてそのエル・チョリーヨの隣にあるのがカスコ・ビエホでありました。
ちょうど独立記念日の行事関連であちらこちらが通れなくなっており、
そんないきさつもあって通ったエル・チョリーヨでしたが、
個人的にはちょっとゆっくり歩いてみたい気分になるところだったりして・・・



[ 2012/01/25 23:19 ] 旅行記 | TB(0) | CM(0)

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