パナマの歴史 

アンコンの丘の話を続ける前に、スペイン侵略以降のパナマの歴史について触れておこうと思います。
ネットで調べた情報が主なので、間違いや読み違いもあるかもしれません。
そういうところがあったらご指摘頂けるとありがたいです。


パナマは元々コロンビア領で、スペインから独立した時もコロンビアの一部でしたから、
中米というよりは南米という方が文化的には近いのだろうと思います。
南米の解放者として名高いシモン・ボリーバルの指揮下、
大コロンビアの一部として独立したのが1821年11月28日。


とは言えシモン・ボリーバルはやがて失脚、大コロンビアも
現在のエクアドルやらベネズエラやらが分離していったために段々小さくなり、
19世紀半ばに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し、
更にはカリフォルニアのゴールドラッシュに沸くアメリカが
喉から手が出るほど欲しがっていたパナマ地峡の通行権を差し出すことで
やっとヌエバ・グラナダ共和国としての主権を認めてもらうという有様。
そのアメリカがさっさと現在のパナマの地に太平洋側と大西洋側を結ぶ鉄道を建設したのが1855年。
でも国防上それだけでは十分ではないと考えたアメリカは
20世紀に入るとともに既に通行権を有しているパナマに運河の建設を行うことを決定したのでありました。


それとは別に、1881年にはスエズ運河を建設したフランス人のレセップスが
コロンビア政府より運河建設権を買い取り、建設に当たったものの失敗しています。
(技術的な問題、マラリアなどの伝染病、資金不足などが主な理由とか)
(またこれとはまったく別に、運河建設の場所としてニカラグアとパナマが競ったという
  なかなかおもしろい話もあるのですが、 ここでは全然関係ない話なので、やめておきます。
 これも例のアレックスが楽しいお話にしてくれたのですよー)


またヌエバ・グラナダ共和国は1863年にコロンビア合衆国となり、
やがて1886年にはコロンビア共和国へと変遷したものの
1899年には千日戦争と呼ばれる内戦が勃発、
なかなか落ち着かない政情であったようです。


そんな時にアメリカ大統領となったのがセオドア・ルーズベルト。
まだコロンビアの内戦の終わらない1902年にレセップスのユニバーサル・パナマ運河会社から
運河建設権を買い取ることを決定。


ここで特筆しておくべきなのは、
このパナマ運河会社がコロンビア政府から運河建設権をゲットした際に、
運河建設権を外国政府に譲渡してはならないとの条項があったこと。


これはつまりレセップスの会社が建設し、運営はコロンビア政府・・・という意図であったわけですが、
アメリカ政府としてはこれじゃあ、おいしいところがないじゃないかと。
そんなわけでアメリカ政府はどさくさに紛れてコロンビア政府とエラン-ヘイ条約なるものを交わします。
曰く、コロンビアはユニバーサル・パナマ運河会社の運河建設権をアメリカ合衆国に売却することを認める、
曰く、運河地帯の排他的管理権等をアメリカ合衆国に付与する、
曰く、アメリカ合衆国は補償金として1000万ドルを、運河地帯の使用料として年25万ドル×9年を支払うこと等。
この合意に至るまでに1年以上かかったようですが、
争点になっていたのは常に金額だったようで、
パナマ側は当初補償金$1000万(キャッシュ)、使用料年額$100万×15年を要求してたといいますから
結構安く済んだのかもしれないですね、アメリカとしては。


しかし、コロンビア国会は
「自分とこの領土なのに他国に排他的管理権をやり、天然資源をタダで使わせるなんてもってのほか」
などとまことにごもっともな理由でこの条約の批准を拒否。


こういうコロンビア政府の態度に業を煮やしたのが
独立推進派のパナマのコロンビア人であり、アメリカ政府であり、
両者の算盤勘定が一致して、やっとパナマの独立にこぎつけるのであります。


先ほどのエラン-ヘイ条約が最終的にボツとなったのが1903年8月。
その頃からコロンビア共和国のパナマ方面で、不穏な動きが始まります。
独立推進派はアメリカ政府や一部軍人の協力を得、
コロンビア政府が遂に派兵を行ったのが同年11月3日。


ここで登場するのがパナマ運河鉄道。
兵士らは太平洋側を船で北上し、
鉄道でパナマシティ入りすることになってたらしいのですが、
運河鉄道は実は独立推進派の味方で、
軍隊まるごとではなく、将軍ら将校クラスだけを乗せていったんだそうです。
パナマシティの方では念入りに用意した兵士の一団が待ち構えており
丸腰同然な将校たちは、当然あっさり取り押さえられたんだとか。


こうして同日パナマシティで独立宣言が行われ、
翌11月4日にはとりあえず新政府なるものが樹立。


慌てたコロンビア政府はパナマ政府(と名乗る)当局に必死の引きとめ工作、
エラン-ヘイ条約も批准する、コロンビアの首都もパナマシティにするから、
何とか独立だけは思いとどまってくれ、と泣き落としを図るかと思えば
今度は軍隊を送って脅してみたりと、あの手この手を使ったもののいずれも失敗。
同時に、パナマを国家として承認する国がラテンアメリカ、北米、ヨーロッパに広がり、
コロンビアとしてももうどうすることもできなくなってしまったのでありました。


最終的には1922年、アメリカより$2500万の補償金と
コロンビア戦艦のパナマ運河の無料通行権なんてものを貰って
コロンビアもパナマを国家と承認。
一方のパナマは運河地帯をアメリカに丸ごと渡してしまって、
アメリカの傀儡のような状態で独立国家としての歩みを始めることになります。


と、ここまでが第一部。
いつまで経っても終わらないパナマの話、一体いつまで続くんだろう・・・。



[ 2012/01/06 00:34 ] 旅行記 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://guatebuena.blog108.fc2.com/tb.php/804-b5f3b358