アンコンの丘 

長々と続いたパナマ旅行もそろそろ終わり。
3日目、ミラフローレス・ビジターセンターを訪問した後、
「アンコンの丘とカスコ・ビエホとどっちがいい?」と聞かれたのですが、
結局カスコ・ビエホに行くことになりました。


行ったのはカスコ・ビエホだったのですが、
ガイドを務めてくれたタクシー運転手のアレックスが話していたアンコンの丘のことは
彼の祖国への誇りと共にちょっと印象に残ったので
その後ちらりと調べたことも付け加えて書いておきたいと思います。



(GFDL: Photo by Dozenist


パナマシティの西側、運河に近い方は割と平坦な地形ですが、
そこにひときわ目立ってそびえるのがこのアンコンの丘。
高さは199mで、何よりも天辺に巨大なパナマの旗が掲げられているのが目立ちます。


運河ツアーに行った時、この丘の麓を通ったわけですが、
いやでも目につくのですよね、巨大な旗が。
そうしてアレックスの説明が始まるわけです。


「運河地帯がアメリカの支配下にあった時、
 アンコンの丘もその中に含まれ、頂上にはアメリカの国旗が掲げられていた。
 パナマ人はアンコンの丘に立ち入ることができなかった。


 1964年、学生達が丘に入り込み、アメリカの国旗を降ろして
 パナマ国旗を掲揚した。」


もう2ヶ月くらい経っているので忘れた・・・けれど
概略としてはこんな話だっと思います。
このエピソードを、それはそれは大切な、大事な話のように語るのですよ。
話の内容よりも、アレックスの語り口とか、
パナマ人であることの矜持とか、そちらの方を覚えています。


実際、この出来事は運河地帯をアメリカに召し上げられていたパナマ人の愛国心と
アメリカへの反感に火をつけることとなったようで
この事件があった1月9日は「殉教者の日(Día de los Mártires)」と呼ばれており、
(宗教じゃないので正確には「殉教」じゃないのでしょうが、そういうニュアンスの言葉が見つからなくて~)
やがて運河地帯のパナマへの「返還」を盛り込んだ1977年のトリホス・カーター条約へと繋がってゆきます。


ちょっと時間が押してきたので続きはまた後日。


[ 2012/01/05 00:20 ] 旅行記 | TB(0) | CM(0)

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