ジェノサイドか否か (4) リオ・ネグロのこと 

グアテマラの内戦で、今まで罪を問われた人はいなかったか、
というと実は国内で有罪判決が出て懲役刑になっている人もいたりします。


グアテマラシティーの北にあるバハ・ベラパス県のラビナル市に
リオ・ネグロという村があります。
1982年、国軍及び自警団(PAC)により住民が虐殺されるという惨劇の舞台となった村でした。


話は少し遡るのですが、1978年、この地域に水力ダム建設の話が持ち上がります。
世銀、米州開発銀行などの援助を得て進められたこの計画、
現在のグアテマラの電力供給に欠かせないダム及び発電所となっているのですが、
建設には、当時その付近に住んでいたアチー族住民の立ち退きが必要でした。


しかしながら、政府から割り当てられた土地は
以前の土地ほど豊かではなかったことなどから、
多くの住民が故郷に戻って来ておりました。


その住民たちを殺害したこの事件、
後にリオ・ネグロの虐殺事件と呼ばれるようになります。
とは言え、全員が一度に殺害されたわけではなく、
1982年の3月13日に177人、5月に82人、9月に92人が殺害されたとか。
生き残ったのはわずかばかりの子供たち。
彼らは兵士らに引き取られ、奴隷のような生活を送ることになります。


その中の一人がヘスス・テクー・オソリオ(Jesús Tecú Osorio)。
1971年生まれのヘススは、虐殺事件で家族のほとんどを失い、
PAC隊員の家に連れて行かれましたが、
幸運なことに、やはり虐殺事件を生きのびた姉が
2年後にヘススの親権を主張、奴隷生活から逃れることができました。


そして1993年。まだ内戦の終結しない頃に、
ヘススはこの虐殺事件の責任者3人を告発、
虐殺された人々が埋められている場所の発掘を要求します。


現在ですら、グアテマラでは力を持っている相手に対抗しようとする時には
常に自分の身に危険が及ぶ可能性が存在します。
当時も、一時ほど激しくなくなったとは言え、暗殺はまだまだ続いておりました。
そのようなリスクを犯してまで真実を語り、正義を求めた彼には、
1996年、リーボック人権賞が授与されております。
リーボック人権財団のサイト(英語)。


そしてヘススが告発した元PACの3人には、
「人道に対する犯罪を犯した」として98年に死刑判決が下りました。
この判決は99年に懲役60年に減刑されましたが、
この36年の内戦に関連して国内で有罪判決が出たのは、
このリオ・ネグロの虐殺事件と95年のシャマン事件くらいではなかったか・・・。


ヘススはその後、賞金を元に新しい希望の財団を創設、
学校を建設したりして、ラビナルの人々のために活動しています。


リゴベルタ・メンチュさんほど有名ではないですが、
グアテマラの内戦を語る時に忘れてはならない人だと私は思います。



[ 2008/03/04 20:25 ] 内戦 | TB(0) | CM(0)

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