「死体を見たことある?」 その2 

う、またしても時間が・・・。
ちょっと内容が重いのでどうも・・・というのが今回の言い訳です。
懲りずにご訪問いただいている皆様、ありがとうございますです。
前回の続きです。




祖母が家に来ていたのでケーキを買うのはいいアイディアだとレディは思った。
セーターを着て、祖母、叔母、弟と一緒にケーキ屋へ行き、
チョコレートケーキを買うと、家に向った。


帰り道、道端にはアトール(注:重湯のような飲み物)を飲んでいる男性がいた。
道に座りこんでいたが、壁に背をもたれかけ足を前に伸ばしていたので、邪魔だった。
祖母は「酔っ払いよ」と言って、男性の前を通ろうとした。
ちょうどその時、バイクがスピードを上げてやって来た。
見たというよりは耳に突き刺さるような弾丸の音を感じた。
祖母はレディを突き倒し、レディは下の通りまで転がって行った。
叔母は弟の上に覆いかぶさった。
混乱の数秒が経過すると、アトールを飲んでいた男性は亡くなっていた。
祖母は腕から、叔母は肩から血を流していた。弾丸がかすったのである。
レディが立ち上がると、チョコレートケーキが道に潰れているのが見えた。
祖母は早く弟を連れて家に帰りなさい、と叫んだ。
泣きながら家に帰り、救急車を呼んでと父親に頼んだ。


楽しいはずの日がどうしてこんなことになったのか、
彼女には理解できなかった。


その日以来、レディは良く眠れなくなった。
夜は寝付かれず、頭がかっかとした。
怖くて眠れないと母親を起こしたが、
母親には抱きしめてやることしかできなかった。
9歳のレディは外に出るのが怖かった。母親が外出するのが怖かった。
父親が仕事に行くのが怖かった。
祖母と叔母は無事だったが、レディは二人がもう少しで死ぬところだったという考えを
頭から追い払うことができなかった。


精神科医のロドルフォ・ケプフェルは次のように説明する。
「グアテマラの子供達は、死を自然に起こるものだとか、人生に起こりうることだとか、
 そういう風には把握していません。
 そうではなく、第三者によって引き起こされるトラウマ的出来事と理解しているのです。
 そのためザナトフォビア(Thanatophobia)、すなわち死への恐怖の文化ができるのです。
 死がどこにでも存在していると考えるようになり、
 それに抵抗するには自分も力を使うしかないと考えるようになります。
 最初は空想やゲームの中です。
 しかし、7歳や8歳の子供が暴力的傾向を見せるようになり、
 死に抵抗するためにはこれしかないという経験を重ねていくことになるわけです」。


話をした子供達の多くが、死体を見て怖かったとか
銃声を聞くと恐ろしいと言っていた。
この恐怖は、次に死ぬのは誰かを決めるのは自分達自身だと感じることで
乗り越えることができる。
恐怖ゆえにピストルを突きつけることになるのである。
これは社会にとって大いなる脅威となる。
ガラビトはある母親の話を教えてくれた。
彼女は自分の息子を殺されるのではないかと怖れたあげく、
マラに入るようにと息子に勧めたのであった。
「だって鍵をかけて閉じ込めておくわけにはいかないんですもの。
 マラにならないと殺されると思ったから」と彼女はそれを正当化している。


レディはエル・ミラグロの公立小学校で勉強している。
10歳になる前にこういうトラウマを負ったのは、クラスで彼女だけではない。
「死体を見ても怖くないよ、だってもう何度も見たし」
「僕はバラバラ死体を見たことあるよ」とクラスメートたち。
他の子供達はそれを聞いても笑っている。真剣に受け止めたりはしないのだ。


「初めて死者を見た時や、暴力犯罪に触れた時は大きな衝撃を受けます。
 しかし、常にこのような衝撃にさらされていると、耐え切れずに病んでしまいます。
 それ故、習慣化という自己防衛本能が働くのです」とガラビト。
「暴力的な状況で生活するのに適応するために、感情が麻痺したようになっていきます。
 そうすると、回りで起こっていることにもあまり影響されなくなります。
 子供達も同様に慣れて行くわけですが、それが普通だと信じることは危険です。
 子供達にはそれは普通なことではないと、不健康で人間性に反しているのだと
 理解させることが大切です」とサラ・ペレイラ。


この学校の多くの子供達がお祭りの日に起こった悲劇を覚えていた。
小太りで浅黒い少年は観覧車の上から何が起こったのかをすべて見たと言う。
3人の男が銃を手にして入って行き、探していた男を撃ったのであった。
被害者は子供を抱いていたが、撃たれる瞬間、子供を守るために遠くに放り投げた。
下で見たのはラウラであった。彼女は両親と一緒にカートの順番を待っていた。
最初の銃声が響いた時、母親はラウラを台の下に突き飛ばし、そこから見たのだという。
他の子供達は被害者が冷たくなって横たわり、
妻や子供達が泣き叫んでいるのを見たと話してくれた。


他の学校でも同じような状況であった。
子供達は遺体がどんな風であったとか、
昨夜の銃声がどんなであったとか、口々に説明してくれる。
教育省のスーパーバイザーが私に同伴してくれていたが
ミスコ市にあるサコフ・チキトの小学校に行くべきだと勧めてくれた。
「そこの方が状況はもっと激しくて深刻だから」。
その学校では今年に入って生徒が3人殺されており、
その内の1人はまだ3年生であったという。


小さな丘にある学校に着いた。
壁にはディズニーのキャラクターが描かれ、
休み時間に遊べるようなバスケットボールのコートもある。
4年生の教室では机が一つ空いていた。
その机を使っていた生徒は20日前に殺されたのだという。
子供達は行儀良く本を読んでいた。
私は自己紹介をし、質問を投げかけた。
「死体を見たことある?」
答えはなかった。誰も話したがらなかった。


「暴力犯罪の多いところではできないことも多くなります。
 暴力犯罪の多いところには不安が沈殿していくのです。
 話さないということも症状の一つです」とケプフェル。
子供が暴力犯罪にさらされているようなところで、
社会が生き延びられるだろうか?
「戦争や爆撃や多数の死者があったような場所では、
 長い年月の間に進歩がなかったと言うことはできません。
 そういうメカニズムを築いてきたからです」とケプフェル。
「イギリスでは戦時に家族と共にいた子供達はトラウマにも強く
 病気にもなりにくかったと言われています。
 家族と離れいていた子供達の方が精神的に弱かったのです」。


「仲が良く思いやりのある家庭の子の方が、
 外の暴力犯罪の影響を受けにくいことがわかっています。
 お互いに無関心で思いやりのない家庭で育ち
 暴力犯罪にさらされ、友人の影響を受けて育つような子は
 当たり前ですが犯罪行為に走る確率が高くなります」とペレイラ。


唯一の出口は家族である。
家族が暴力犯罪になびかなければ希望はある。
しかし兄弟や両親が犯罪に手を染めるようであれば、危険性はあまりにも高くなる。
「子供は家庭で価値観を学びます。
 命を尊重することも、家庭で学ぶべきことです。
 外にある暴力犯罪は、自分たちの家庭の価値観にはそぐわないものだと
 両親が教えることができれば
 子供達はそれを学ぶきっかけとなるのです」とペレイラ。


「ある社会の将来が安定するのかそうではないかは
 どうやってその苦しみを乗り越えて再構築していくのか、
 どうやって修復していくか、によるのでしょう。
 残念ながら私達には悪い前例しか残されていないのです。
 和平合意の調印から現在に至るまで、私達はその傷を癒せずにいます。
 それと対決してこなかったからです」とケプフェル。


レディは、今度銃撃があったら祖母が死ぬのではないかとか
誰かが携帯電話を盗むために父親を刺すのではないかなどと怖れている。
しかし、強くなって忍耐する以外にないのである。
怖いことを考えずに、毎朝起きて元気に学校へ行くようにしなければならない。
誰かが後をつけてきていないかとか、
バイクが近くにいないかとか、
マラの一味が通りにいないかとか、
そういうことについて始終警戒を続けているため、
学校に着いた時、彼女はもうクタクタになっている。


9歳の女の子にはあまりにも辛い話である。
あの教師の問いかけが私の頭につきまとって離れない。
「この子供達を救うためにはどうしたらいいのでしょう?」





[ 2010/09/11 23:35 ] ニュース | TB(0) | CM(1)

死観

かって戦場だった国、そして今も戦地となっている国の、子どもたちを思う。命が、たやすく失われる場所で、生きなければならない子どもたちを思う。「殺しあう動物」としての人間であることは悲しい。けれど、傷ついた心を救おうと抱きしめる誰かがいる限り、希望はあると信じたいです。
[ 2011/01/26 12:01 ] [ 編集 ]

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