「死体を見たことある?」 その1 

む。3週間あいてしまいました・・・。


8月はバタバタと忙しかったこともあって、
ゆっくりと文を練ってる余裕がなかった・・・というのは言い訳です。


グアテマラウォッチングにも疲れてきていたりもするのですが
(だって全然良くなる兆しがないし)
9月はもう少し書けるといいな・・・と期待しつつ。
8月最後の日に少し書いておこうとおもいます。


これだけあると、あれを書こうかこれを書こうか迷うわけですが
いきなり時事に戻るのもちょっと辛いので
8月29日のエル・ペリオディコ紙に載っていた記事をご紹介しようかと。
もっともこの記事も実に辛い記事だったりするんですけれど。


グアテマラシティは危ない・・・と良く言われますが、
どこも同じように危険なわけではありません。
危険地帯として有名なのが7区や18区の一部。
こういうところには出前や宅配サービスはおろか、タクシーでさえ近づかない。


そういう危険な地区と呼ばれているところに住む子供達に
「死体を見たことある?」と聞いたのがマルタ・サンドバルという新聞記者。
本文が長いので、前後半、多分2回に分けての掲載となると思います。
以下、原文通りではありませんが、ほぼ訳となっています。




「死体を見たことある?」


「ここからね、血が出ていたの」
マリアは首を触りながら話す。ダニエラはそれを遮って言う。
「そうそう、撃たれて、ものすごい血が出てた」
他の子供達は銃で撃たれたところからどんな風に血が流れ、
どういう風に命が失われ、やがて消えていくかを知っているとでも言うように頷いた。
この子供達はテレビで見て知っているのではなく、実際に見て知っているのである。


ミスコ市の公立小学校5年生の教室である子供が話してくれた。
「お腹を刺すと洋服がみんな真っ赤になる。
 一度見たことあるよ、白いシャツだったんだけれど、すぐに真っ赤になった」。
このクラスの子供達はまだ11歳になっていないのである。


死のすぐ側に住んでいる子供達はそれがどんなものかを知っている。
死体の周りに人が集まっているのを見ると、怖がるのではなく野次馬の中に紛れ込む。
他の子供達が映画でしか見ないものを、彼らは見ているのである。


危険地区のいくつもの小学校を訪れて、暴力犯罪をどう思うかを尋ねてみた。
もちろん子供達には犯罪を捜査しているのではなく、
加害者を知ってるかどうかも言う必要はないことは念を押した。
私の目的は加害者を探し出すことではなく
2010年のグアテマラの子供達がどんな風に成長しているのかを知るためだったからである。


話をした170人の子供達のうち134人が死者を見たことがあると答えた。
何人もの死者を見たという子供もいる。
更に驚くことには、死の瞬間に居合わせたという子もいる。
カロリンヒア、ミラグロ(といった住宅地)やサコフ村では
ほぼ全ての子供達がそういう経験を有していた。


精神衛生連盟のマルコ・ガラビオトは次のように語る。
「暴力犯罪にさらされると、精神衛生や行動に影響を及ぼすが、
 子供の場合はその影響が大きい。今更調査などしなくても、明らかだ。」


「暴力犯罪に慣れるにつれ、自分でもそれを行うようになる。
 それが普通だと思うようになる。それが人間性や人生の一部だと思い込むようになり
 自分で犯罪行為を行うようになる。
 この国で、暴力行為がどんな風にエスカレートしていくかを見れば明らかだろう。
 慣れるのみならず、人間らしさを失っていく。
 2009年3月、ロス・ゴリオーネス少年院で、
 少年たちのグループが英語の教師を殺し、心臓を取り出して踊ったという話がその例だ。
 彼らは完全に人間らしさを失っていた」。


タクシー運転手が殺害された。遺体は車の脇の路上に残されている。
警察は「犯罪現場」と書かれた黄色いテープを周囲に張る。
大人はその周りで見ているが、小さい子供2人がその下を通って中へ入っていった。
このような光景は珍しいものではない。
死者があるところには、子供もいるのである。


子供達に、通りで死者を見たらどうするのかと尋ねてみた。
129人の子供達が近づいて見ると答えた。
どうして側に行くのかと尋ねると、女の子が答えてくれた。
「パパじゃないかどうか確認するため」。


他の子供達もこれに同意した。
死者が自分の父親や兄弟ではないことを確かめるために近づくのだ。
子供達は、誰もが被害者となりうることを知っている。


ガラビトは語る。
「警察が来て犯罪現場保護のテープを張るが、生きている人のことは気にしていない。
 テープは遺体から1m半のところに張られる。
 どうして30m離さないんだ?生きている人を守るという意識がないからだろう。
 暴力行為を間近でみないようにするための簡単な方法なのに」。
例えば、ロンドンでは犯罪現場のある区画ごと閉鎖するという。
そのため、どんなに首を伸ばしてみて遺体を見ることはできない。
捜査員や家族だけがそこへ入ることができる。
交通渋滞が起きるのは事実だろう、
しかし、渋滞でトラウマになる人はいないが、遺体では起こる可能性があるのである。


ガラビトは続ける。
「黄色いテープの後ろで死者を見ていた子供達は人間性を失ってしまう。
 そして連鎖反応が起こるのである」。


教師らの一人は生徒達が日々経験する恐怖について涙ながらに語ってくれた。
彼女は子供達が今日はクラスにきていても、
明日になれば恐喝の片棒をかついでいるかもしれないと心配する。
「子供達を救うためにはどうしたらよいのでしょう?何ができるのでしょう?」
彼女は繰り返したが、答えはなかった。


ガラビトは語る。
「暴力現象は世代を経なければなくすことはできない。
 政治家が、100日以内に犯罪をなくしますとか、
 何月何日の何時に犯罪をなくしますとか、言ったところで何にもならない。
 そして新しい世代のために多大な投資をするべきだ。
 悪の連鎖が断ち切れるのはそこからだ」。
精神衛生連盟は暴力犯罪から子供達を守るためのキャンペーンを進めている。
スローガンは「暴力的に生まれた子は誰もいない」。
子供達に暴力行為は義務ではなく、選択できるものなのだと教えるためである。


暴力犯罪が日常的にあるのかと5年生のクラスで聞いてみた。
答えは一斉に「はい」であった。
「だって毎日あるんだもん」とある子が言ったが、
それに異を唱える子は一人もいなかった。
沈黙があって、やがて女の子が恥ずかしそうに手を上げて発言した。
「普通だからって、それがいいことだって意味じゃないと思う」。
教室は沈黙に包まれた。


しかし、危険地区の子供達だけが危ないというわけではない。
小児心理学者のサラ・ペレイラは話す。
「この国の子供達全員が犯罪行為と共に生きるというリスクを負っています。
 マスコミが提供する内容、周囲の会話、
 誰かの携帯電話が盗まれたとか、殺されたとかいう話。
 そういう話を聞くことでトラウマは大きくなっていきます。
 父親が強盗に襲われたとか、家族の誰かが犯罪にあったとかいうことで
 トラウマを負った子供を何人も診察してきました。
 家族が犯罪の被害者になるかもしれないと感じる子供達は、不安になり脅えるのです。
 恐怖を感じ、悪夢を見るようになり、学校の成績は下がります」。
ペレイラは、父親の車で信号待ちをしていた時に、
バイクに乗った男が父親のこめかみにピストルをつきつけた子供のケースを話してくれた。
父親が携帯電話を渡すと男は走り去ったが、子供は長い間夜眠ることができなかった。
ようやく立ち直ったと思った時に、
今度は家族と行ったモールで男性が殺される事件に立ち会ったのである。



今日はここまで。続きは後日。



[ 2010/08/31 23:21 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

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