映画「ヘラルディ」 

今日、小僧と一緒に「ヘラルディ(Gerardi)」という映画を見てきました。
1998年4月26日に殺害されたフアン・ホセ・ヘラルディ司教を取り上げた映画です。
制作は大司教立人権事務所。
ヘラルディ司教自身が関わったことのある事務所です。


故に、映画もカトリック教会から見たヘラルディ司教になっていまして
いろいろともう少し突っ込んで欲しい部分、物足りない部分もあるのですが
他方、ヘラルディ司教という人物、
苦しい時代のカトリック教会の苦悩については
うまく描かれていたと思います。


「貧しい人に仕え、神の言葉を説くために」司祭となり、
やがて司教に任命されたフアニート、
司教としての最初の任地はベラパスでした。1967年のことです。
先住民の言葉を覚え、先住民のコミュニティーが豊かになるよう尽力を注ぎ、
74年にはキチェー司教区の司教に任命されます。


時代は内戦が静かに進んでいた時代で、
軍の監視は段々厳しくなって行きます。
80年以降、キチェーは軍とゲリラの間で困難の時を迎えます。
神父やカテキスタ(宗教教育を担当する人)が次々と行方不明になったり
殺されたり・・・・・・。


80年1月に起こったスペイン大使館焼き討ち事件
(農民が大使館に立てこもり、当局がスペイン人外交官と農民らに対し
火をつけ、39人が亡くなった事件)で
政府・国軍を批判した司教は軍からは要注意人物と見なされます。
軍の抑圧に抗議して武器を取った人たちの中には
司教が親しくしていた人もまた多々・・・。
彼らからは是非武装闘争に参加してほしい、と懇願されますが
司教は「武器に武器で対抗してはならない」とそれを拒絶。
(この辺りの司教の苦悩がこの映画の最大の見せ場ではなかったかしらん)


軍の教会に対する迫害は激しさを増す一方となり、
「これ以上の犠牲者を出さないために」司教は教区を後にします。


同じ年、会議のためにローマに行った司教が
グアテマラの入国管理局で入国を拒否され、
やむなくコスタリカで亡命生活を送ることとなります。


クーデターにより政権が変った1982年、司教は帰国を認められ
84年にはグアテマラ大司教区の補佐司教に任命されます。


内戦が終結の兆しを見せてきた88年、
大司教立人権擁護事務所の設立準備が始まり、
96年に内戦が終結した後はこの事務所が中心となって
内戦時の記録を採取する活動が行われます。
98年4月24日、「グアテマラ:二度と再び」と題されたその報告書が発表されますが
その報告書では内戦時の人権侵害や虐殺の大部分は
国軍に責任があると指摘したものとなっていました。


映画は司教がこの報告書を発表するところまでとなっており、
その2日後に殺害されたことについては触れられていません。
もちろんそれを前提とした映画だから、ってことなんでしょうが
司教について知識のない人にとっては、なんてことのない映画でしょう。


それでも、自分が親しくしていたカテキスタがゲリラとなり
一緒に戦って欲しい、と言われて断ったら
「司教は自分達のために何もしてくれない」となじられたりして
苦悩するシーンは胸が熱くなったりしたのでありました。


この映画、多分グアテマラ以外では上映されないのではないかな?
国内でも数館のみで上映中。


ヘラルディ司教の命日がもうすぐやってきますが、
あれからもう12年も経ったのだな・・・、と時の流れの速さを感じます。


ヘラルディ司教の殺人事件の真相は未だ闇の中ですが
実行犯である軍人2人は懲役30年の刑に服役中。
この事件の真相が解明されない限り、
内戦時代の人権侵害に関する和解なんてのも所詮机上の論理、
って気がするのは私だけなのでしょうか。






[ 2010/04/11 23:35 ] 内戦 | TB(0) | CM(2)

本当に、忘れ去られてはいけない歴史の一片ですね。
[ 2010/04/12 12:17 ] [ 編集 ]

>muychinitaさん

一般にはそろそろ内戦のことも風化しつつあるようですが
結局あの内戦はグアテマラという国やその国の人たちにとって
一体なんだったんだろう、という総括みたいなものがほとんどないですよね、この国って。

それをやろうとしたのがヘラルディ司教で、
あんな風に殺されなければ
今は何をしていたのだろう・・・とちらりと思いました。

この国の学校は、内戦の歴史をどのように教えるんだろう。
ちと興味ありますね。
[ 2010/04/13 23:46 ] [ 編集 ]

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