証言 

どうしようかと迷ったのですが、TBすることにしました。
TB先はこちら
日本の某大手新聞社のオンラインサイトにある風変わりなコラムです。
まずはそちらの方から読んで頂きたく。


コラムに出てくるアルゼンチン映画、
La noche de los lápices(ラ・ノーチェ・デ・ロス・ラピセス)という
1976年にアルゼンチンで実際に起こった弾圧事件を描いたものです。
この映画について書くのが今回の目的ではないので内容についてはスルーしますが、
Googleビデオにアップされていますので、見てみたいという方はこちらで。
ただし、スペイン語音声のみ。90分弱の映画です。




さて。


その映画を見たり、事件について調べたりしていた時に
引っかかってきたのが
ミゲル・エチェコラツ(Miguel Etchecolatz)という人物。
(私にはエチェコラスと聞こえるのですが、
 エチェコラツという表記が定着しているようなので、こちらで)


1976年から83年、アルゼンチンでは政府による国民への弾圧が繰り返し行われていました。
私はアルゼンチンについては詳しくないので間違いもあるかもしれませんが、
汚い戦争と呼ばれるこの弾圧行為、
やはりこれも冷戦の影響を受けたもののようで、
政府が弾圧したのは左派、あるいは左派と見なされた人物でしたが
政府はこれを「国家再編成プロセス」と呼んで正当化します。
(ちなみにこのアルゼンチン・メソッド、後に中米に輸出されたそうです。
 まったく、いらんことを・・・)


この弾圧による行方不明者は13000~30000人とされていますが、
当時の弾圧行為、軍政下の犯罪であり、長らく恩赦の対象となっていましたが、
2005年にアルゼンチンの最高裁が恩赦法を違憲と判断したことにより
近年、当時の軍幹部らへのやり直し裁判が続いています。


エチェコラツは映画の事件当時、
ブエノスアイレスの警察の要職にあった人物で
アカ狩りの指揮を取っていました。


エチェコラツは2006年、殺人、拷問、誘拐等の罪で終身刑の判決を受けますが
彼の有罪の決め手となったのは、当時やはり拉致され、拷問を受けたものの
生き延びることができた人たちの証言によります。


その証人の一人がホルヘ・フリオ・ロペス(Jorge Julio López)。
1976年10月に拉致・監禁され、拷問を受けたものの生き延び、
2006年のエチェコラツの裁判には原告として参加し、法廷で証言しています。


その法廷でのロペスの証言。
これが今日の本題です(あー、やっと辿り着いた)。
このブログに関係のないアルゼンチンの話をするのも、
このロペスの証言の映像を見ていただきたかったから。
先日のロメロ大司教の説教と同じように、
記録に残す価値のある、貴重な映像だと思います。


聞き取れる範囲で聞き取ったスペイン語と
(アルゼンチンのスペイン語は、本当に聞き取りにくい・・・)
その簡単な訳を【続きを読む】のところにアップしておきますのでご参考まで。
(間違ってる箇所もあると思うので、ご指摘頂ければ有難き幸せ)。
でも、言葉の意味よりも何よりも、見ていただきたいのが映像です。




2006年と言えば弾圧事件から30年。
アルゼンチンでさえ30年が必要だったという事実は重いです。


グアテマラでもリゴベルタさんがリオス・モントを告発しようとしましたが
結局諦めて、スペインまで行って告訴していますからね・・・、
そのスペインでの裁判の方も、最近はとんと音沙汰を聞きません。


スペイン大使館焼き討ち事件のような、
明らかな国際法違反の事件についても
国内では一切裁きが行われていないくらいですから、仕方ないのかな。


話は戻ります。
ロペスさんらの証言もあってエチェコラツは終身刑となりますが、
証言をしたわずか3ヶ月後の2006年9月18日、
ラ・プラタ市役所に向ったはずの彼が突如失踪、
その行方は現在に至るまで不明のままです。


まだまだ汚い戦争時代の裁判が続くわけですから、
見せしめとして処刑されたと思われるのですが
表向きは民主主義の世の中で、
それもアルゼンチンのような国でこんな事件が起こるとは。
言葉もありません。


アルゼンチンでもそうなら
グアテマラのこれは仕方ないのか。
リオス・モントが生きている間に
有罪判決が下されることはあるんでしょうか。


せいぜい長生きしてちょうだい、リオス・モント。







(最初の48秒ほどは、判事とロペスの間で
 どこに囚われていたか、という確認が行われます。
 以下、ロペスが述べるのは
 ポソ・デ・アラナ(Pozo de Arana)に監禁されていた時の出来事)


Y el día cinco, aparece, eso sería la 11 o 12 de la mañana,
no sé porque la hora no tenía,
aparece Patricia Dell Orto con el marido, toda torturada,
la tortura en un día dos, junto con nosotros.
Les hacían pregunta qué hacía en la unidad base,
y Patricia no respondía, y marido estaba tirado todo lastimado,
y ella, hasta un mechón de acá la arrastra y le sacaron el pelo
y todo sangraba por acá, todo.

5日目、時計がなかったので良くわかりませんが午前11時か12時頃、
パトリシア・デル・オルトとその夫が連行されて来ました。
2人とも体中に拷問を受けていました。
パトリシアは髪の毛をひとつかみむしりとられ、こちら側は出血していました。


Al otro, bueno después de adaptan así palenque lo decíamos cepo nosotros,
la tienen atada en frente donde estábamos nosotros tres.
Y el marido estaba tirado en el suelo, y patea,
"este Gómez" decía, "levantáte", dice, lo mete tu,
como que puedo decir…,
él era jefe, lo tratamos como jefe, le daba otro nombre,
que ahí está otro muchacho, Montonero, dice,
"le va a dar vergüenza que un jefe sea tan flojito", está tirado.


2人とも手を縛られて私たち3人の前にいました。
夫は床に伏せていましたが、
男が蹴飛ばして「おい、ゴメス、立てよ」と言いました。
彼は私たちにとって上の立場のような人でした。
別の男が「上官のくせにこんなに弱虫じゃあ、恥ずかしいだろうが」と言っていました。


Etchecolatz estaba ahí costado, y allá mandábalo,
"dale, dale, dale, subí un poco más", dice,
"subíla que este gringo", dice, y "este que está carnavaliza", dice,
una vez me mira allá otro lado que estuvo dice que sólo picaneé, dice,
se dio vuelta dice, porque así será floja,
allá con la batería de la maquina está así como sobrándome,
y se me ponía cerca, pero con una capucha, un estilo capucha peluda y de mono,
así: "me conocés?" dice, "así el guapo como aquella noche".
Resulta que, sí, a mí me decía, resulta que a ese día,
a mi no me hacía mucho la picana, porque con la batería no me hacía mucho,
sentía cosquillero y todo.
"Ahora, acá vas a sentir", dice, "vas a ver",
y les dice a los otros cargándome así, que prendé a dedito de la cache de la máquina, dice.

エチェコラツはそこにいました。そこで
「やれ、やれ、もっと上げろ」と命令していました。
「このグリンゴ(注:アメリカ人の意味)にもっとやってやれ、こいつは焼肉だ」、
裏返しにして焼くようにともいいました。
私の側に立つと「俺が誰かわかるか?」と言いました。
彼は猿のような覆面をしていました。
その夜、電気ショックの機械がバッテリー式のものだったせいで、
私はあまり苦しみませんでした、ちょっとビリビリくる程度でした。
「もっと強くするからな、今度は感じるぞ」と言い、機械をチャージするよう命令しました。


-¿Quién decía todo eso?
Etchecolatz! El señor Etchecolatz.

-誰がそう言ったのですか?
エチェコラツです。エチェコラツ氏です。


-¿El era que decía todo lo está contando usted ahora?
Todo! Y mandaba otro, y el otro repetía, cuando yo le digo,
"sí, sí, tá bien, lo que usted dice",
"Primero, guacho gringo, guacho, de mierda, gallego de mierdazo,
decime Señor, Señor Comisario", dice así.

-あなたが今話されていることは、すべて彼が言ったのですね?
全部です!そうして別の男に命令し、その男が繰り返しました。
私が「わかりました、おっしゃる通りにします」と言うと、
「まずな、このくそったれ、様をつけるんだよ、警視様と言え」と言いました。


A la noche llegó toda la patota, y llegó un tipo gangozo que hablaba así,
"Huevona, ◎×▼□", a lo grito.
Primero, lo hagaron y los tiran a toda la celda junto.

夜になると、ヤクザのような人物がやってきました。
最初に、牢の中の全員に伏せるよう命令しました。


Y ahí Patricia me dice, "¿quién sos vos?", dice,
"¿López, sí?", dice, "mirá", dice,
"si vas a mi casa", dice,
"acordáte de al salir, decíle a mi nena y a mis padres, avisále donde estuve", me dice.
Y ahí los dejan a tres un ratito,
y preparan la cosa, no sé cuanto estuve ahí, y como a la media hora, sí así calculo,
lo saca la Rodas, y el gangozo se le dice,
"Hijo de puta, así que tuviste. Así que tuviste aquel me hace pon poniéndo retrero vos".
"Paraya, hijo de puta", a Rodas le decían paraya, porque era paraguayo.
Agarran y lo sacan, y pobre siento con un martillazo y un tiro,
con una, sería una pistola de, con silenciador, y siento un tiro y un grito, "Aaah",
y no habló más nada.
Después había unos tipos los que me parece que era sentía que lo llevaban,
después la sacan a Patricia, Patricia le gritaba,
"No me maten, no me maten, lléveme a una cárcel, pero no me maten,
quiero criar a mi nenita, mi hijita!" le gritaba.
Y ello no, la sacaron, y van a ver ustedes,
un día encuentra el cadáver tiene tiro metido de acá, y le sale por acá, Bum! Otro tiro.

そこでパトリシアが私に「そこにいるのは誰?ロペス?」と言いました。
「お願い、私の家に行って、娘と両親に私がどこにいたかを教えてあげて」と言いました。
私たちがそこに残されていた間に彼らは何かを用意していました。
どれくらいいたのかはわかりません。多分30分くらいでしょう。
最初にロダスが連れ出されました。
ヤクザは「このくそったれが、オマエだったんだろうが、このパラグアイのくそったれが」と言いました。
つかんで連れ出し、ハンマーで殴られたような衝撃を感じました。
消音器付のピストルだったのだと思います、
銃声と共に「ああー」という悲鳴があり、その後はもう何も言いませんでした。
その後、何人かが連れ出され、それからパトリシアでした。
パトリシアは
「殺さないで、殺さないで、牢に連れて行って、
 でも殺さないで、私は娘を育てたいの!」と叫びました。
彼らはそれを聞き入れずに連れ出しました。
いつか彼女の死体が見つかったら、
ここから銃弾が入ってここから出ているのを確認できるでしょう。バン!また銃声が1発。


-¿Usted lo vió eso?
Algo observaba, sí, media así de costado estaba,
a Patricia la pude ver, a la que no pude ver bien era Rodas,
y después sacaron el marido, Ambrosio Di Marco,
y también, Ambrosio Di Marco no se levantaba,
entonces lo agarraron entre 2 y 3 lo sacaron y lo llevaron, y otro más, otro tiro.
Ustedes un día que encuéntrenlo, si algún día,
pónganlo y déjenlo, ◎□▼× de guarda ver que tiene tiro acá en la cabeza.

―それを見たのですか?
ちらりと見ました、地面に伏せていましたが。
パトリシアのは見えましたが、ロダスのは良く見えませんでした。
その次は夫のアンブロシオ・ディ・マルコでした。
彼はもう立てなかったので2,3人でひきずっていきました。
そして銃声がもう1発。彼の遺体が見つかったら見て御覧なさい。
頭に銃弾があるのがわかるでしょう。


-¿Vió eso?
Lo vi, sí. Después me tiré al suelo ya.
Yo digo porque esperar, saque a mí, porque prefería que me maten, no me dejen vivo.
Por Dios, le digo, eh.
Yo hasta pensé, si un día salgo, y lo encuentra Etchecolatz, yo lo voy a matar, yo!
Así pensaba.
Y después, digo, puta, y mato, digo y voy a matar a porquería de esa, un asesino serial,
no tenía compasión, él mismo iba a pateaba así, no hay nada armonía, después,

-それを見たのですか?
見ました。その後、私は地面に突っ伏しました。
どうして待たないといけないんだ、私をここから連れ出してくれ、
殺せ、私を生かしておくなと言いました。
また、もしここから出ることができたら、エチェコラツを見つけて殺してやる、とも考えました。
この野郎、あんな畜生、情け容赦のない人殺し野郎は殺してやる、と思いました。
彼自身がこうして蹴飛ばしたりしていたのです、人間らしさのない人物でした。


-¿El personalmente,……?
Él personalmente, él personalmente,
le digo a todos los que están presente, dirigió la matanza esa.

-彼自身がですか?
そうです、彼自身がです。
ここにいる皆さんに言うことができます、あの男はその虐殺の指揮を取ったのです。

[ 2009/03/01 00:44 ] | TB(0) | CM(2)

ホルヘ・フリオ・ロペス

ホルヘ・フリオ・ロペス 今何処に、如何しているのしょうか?
 昨年アルゼンチンに出かけました。まったく何も知りませんと言うか勉強不足でした アルゼンチンについての知識がまるで貧相 この事実を知っていたらきっとブエノスアイレスの風景も空気も全く違っていたでしょう。
 こんな酷い事が有ったにもかかわあずホルヘ・フリオ・ロペスは生き抜けたことも驚きです 言葉が有りません。
[ 2009/03/01 17:11 ] [ 編集 ]

私も

>新山礼子さん

南米の話になると疎いです。
アルゼンチンと言えばタンゴとサッカー。他に何かありましたっけ?みたいな。
中米だけ、グアテマラだけでもう十分、ってこともあるんですけれど。

ロペスのような話は、残念ながらそれほど珍しい話ではないのだと思います。
彼の証言が心に響くのは、殺された人たち、
特にパトリシアへの愛情が
言葉の端々からほとばしり出ているからなのでしょう。
パトリシアの最後を語るロペスの表情の切ないこと。


アルゼンチンはいつか私も行ってみたいところなのですが、
私が専ら行きたいと思うのはパタゴニア。
アルゼンチンの話も、機会があったら教えて下さいね。


それからやっとわかった。
この前の「れいこ」さんって、新山さんだったのですね。
すっかり別の方かと思ってしまいました・・・
[ 2009/03/01 22:27 ] [ 編集 ]

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