ガスパル・イロムの死 

グアテマラの歴史を少しかじると、まず最初にいきあたるのは、1960年から96年の36年間に及んだ内戦のこと、になるでしょう。

 

その内戦時にはゲリラ組織URNG(グアテマラ統一戦線)の司令官として、内戦後は政党となったURNGの指導者の一人として活躍してきたロドリゴ・アストゥリアス(Rodrigo Asturias)15日、亡くなりました(急性心不全、らしい)。65歳です。

 

この名前を見てピン!と来た方は鋭い。ノーベル文学賞を受賞したミゲル・アンヘル・アストゥリアス(Miguel Angel Asturias)の息子です。

 

内戦時、ゲリラの多くは身許が明らかとならないよう偽名を名乗っていたのですが、ロドリゴ・アストゥリアスはComandante Gaspar Ilom(ガスパル・イロム司令官)と呼ばれていました。このガスパル・イロムという名前、パパ・アストゥリアスの作品の中にも登場しますが、インディヘナの抵抗運動の指導者から取ったものなのだそうです。

 

60年、独裁政権に対して発生したゲリラ活動は、冷戦という時代の流れを得て大きくなっていきます。ニカラグアのサンディニスタ革命やエル・サルバドルのゲリラ組織FMLNの活動も、こういう時代の要請の中で発生していったものです。

 

アストゥリアス、ホルヘ・イスマエル・ソト(パブロ・モンサント司令官)、リカルド・ラミレス(ロランド・モラン司令官)、リカルド・ロサレス(カルロス・ゴンサレス司令官)らが率いていた4つのグループが集まってURNGが結成されたのが1980年。

 

アメリカの膝元で起こったこれらの「社会主義に基づく反政府活動」は、アメリカの介入もあって徹底的に叩かれることになります。それでも民衆の支持を得たゲリラ活動は、96年の和平合意に至るまで決して潰えることはなかったのです。

 

ガスパル・イロムは理想を掲げてゲリラ活動に身を投じた人物でした。ノーベル文学賞作家の息子としての、安楽な生活を放棄して、銃を手にし、命を削る日々を送ることを選択したわけです。父親の方は、息子がゲリラ活動に身を投じることを心良く思わず、パパ・アストゥリアスの晩年は息子とは疎遠になっていたと聞いています。

 

残念ながら、その理想を実現することのないまま亡くなられましたが、現代のグアテマラを語る上で欠くことのできない人となりました。

 

・・・・・・時の流れを感じてしまいますね。




[ 2005/06/18 04:10 ] できごととか | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://guatebuena.blog108.fc2.com/tb.php/394-e940404a