「中南米の乱:第3部・グアテマラ、エルサルバドル編」 

毎日新聞メキシコ支局長の國枝すみれさんは
以前から中米や南米に関わる記事を書かれていましたが
今回はグアテマラとエルサルバドルに焦点を絞った記事を書かれています。


著作権等の関係からここでは記事をそのまま掲載することはしませんが
是非ご一読頂きたく。


中南米の乱:第3部・グアテマラ、エルサルバドル編
1 特殊部隊カイビレス
2 陸軍米州学校、卒業生は
3 ギャング、入会儀式は殺人
4 弾圧批判の大司教暗殺


現代の話かと思うとロメロ大司教暗殺の話が出てきたりして
ちょっと???と思う部分もあるのですが、
案外これが外から見たこの国の姿なのかもしれないなーというのが
とりあえず率直な感想。


記事についてのコメントはまたあらためて書いてみます。




[ 2012/08/31 20:45 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

セリート・デル・カルメン V 

怪しい光も治まって月日が経ち・・・。
エルミタ盆地はあいかわらずのどかな日々が続いていましたが、
セリート・デル・カルメンにはやがて司祭が常駐するようになり
礼拝堂も少しずつ大きな建物になっていったのでありました。


Cerrito del Carmen


1773年7月29日、当時首都であったアンティグアが大地震で崩壊すると、
首都をどうするかという話し合いがもたれました。
アンティグアのあるパンチョイ盆地にそのまま再建しようという意見もありましたが、
他の土地へ遷都することとなり、
エルミタ盆地とハラパ盆地のどちらかにしよう!ということになったのです。


まあでもパンチョイ盆地からも近いエルミタ盆地になったのは当然の帰結のような。
グアテマラシティへ正式に遷都されたのは1776年5月23日で
その名もLa Nueva Guatemala de la Asunción。
アスンシォンの新グアテマラ、
アスンシォンはセリートの近くにあった地域名みたいなもので
このセリートの麓、アスンシォンの辺りを中心として新しい首都が建設されたのでありました。


以来、236年間にわたって発展を続けてきたのがグアテマラシティで
こうして聖テレサの「この像が置かれたところは大きな町となるでしょう」
という言葉が成就することとなったのであります。


セリートに関する話でもう一つだけ。
スペインからもたらされたカルメル山の聖母の像は
16世紀半ば頃のものと見られる小さな木製の像なのですが、
2001年にセリートから盗み出されるという事件がありました。


その後しばらく杳として行方が知れなかったのですが
2年後の2003年、チマルテナンゴ県テクパン・グアテマラ市(奇しくもグアテマラ最初の首都だった町)の
パンアメリカンハイウェイ沿いに放置されていたのを地元の人が見つけ
家に置いてあったのが見つかったのでありました。


聖母像は一部破損するなどダメージもあったのですが
1年間にわたる修復を終えてセリートに帰り
グアテマラシティの守護者の一人として現在も慕われているのであります。


Cerrito del Carmen



[ 2012/08/30 23:15 ] 街角 | TB(0) | CM(0)

セリート・デル・カルメン IV 

Cerrito del Carmen

この碑文には
「教会建立二百周年
 これはバイエ・デ・ラ・エルミタ、二百周年を迎えた現在のグアテマラシティに
 初めて建設された教会である。
 1976年1月2日 グアテマラ市」
と刻まれておりまして、
1776年1月2日に遷都されたグアテマラシティの二百周年を記念した内容となっています。


この約1ヶ月後、1976年2月4日に大地震が起こり
国内各地で25,000人の死者を出すことになるのですが、
グアテマラシティはアンティグアのように放棄されることなく
中米最大の都市となり、聖テレサの
「この像が置かれたところは大きな町となるでしょう」
という言葉は成就したのであります。
(前々回のエントリーではこの言葉を誤訳していたので訂正してあります)


さて、このセリートにまつわる不思議な話や伝説はいろいろあるようですが、
グアテマラの伝説や民話を集めたエクトル・ガイタンの
「ラ・カイエ・ドンデ・トゥ・ビベス(La calle donde tú vives, あなたが住む街角)」にも
「セリート・デル・カルメンの怪しい光」という話が収録されています。




セリートの付近にまだ粗末な小屋と家畜たちがいた頃のこと。
カルメル山の聖母の信心会の一人が
酒を飲んでいたとは言え、カルメル山の聖母の祝日の前の晩、
聖母の悪口を言っていたという噂が広まった。


その農夫ホセ・マリア・アクシン・コヨクは
信心深く礼儀正しい人物であったが
息子を病で失っていた。


人々は
「チェマ・アクシンのせいで悪いことが起きるんじゃないか」
と心配した(訳注:チェマはホセ・マリアの愛称)。
数年前に旱魃が起こったりコレラが流行ったりしたのも
そんなことがあった後だったからだ。
天罰が下るのも時間の問題だと誰もが思っていた。


カルメル山の聖母の祝日が盛大に行われた。
しかし人々は心配でならなかった。
中にはチェマをリンチにかけるべきだといい出す者までいた。


午後の祈りが終わった後のことである。
セリートの教会の上部から強い光が輝いているのを何人もが目撃した。
この火の玉のような光はセリートの周囲を飛び回り、付近の家に引火した。
人々は驚いて逃げ出し、その光が遠ざかっていくまで隠れていた。
皆、これはチェマ・アスキンが聖母を罵った天罰だと考えた。


チェマは大いに反省し、赦しを求めた。
しかしチェマの話は代々語り継がれることになる。


29年後の1649年4月14日、
再び火の玉のような光が出現した。
チェマが罵ったせいだという者もいたが、
チェマは既に亡くなっていたので、
そうではないと言う者もいた。


1680年の3月25日にも同じ光が出現し
人々をパニックに陥れた。
いつもセリートの近くの民家や牧草を燃やして消え去るのである。
この光は1681年1月20日、
1691年9月18日にも出現した。


事態を憂慮したセリートの司祭らは十字架を建てた。
それ以降、怪しい光は出現することなく現在に至る。


そしてこの光のことは教会の記録に書き記されているのである。




司祭らが建てたと言われるカラバカ十字(一生懸命探したのだけれど、訳語が見つからず・・・)は
今もセリートに建っています。
手持ちの写真がないので、リンクをぺたり


カラバカ十字は、キリストが磔刑にされたその十字架の破片で作られた十字架のことのようで
オリジナルはスペインはムルシア州のカラバカ・デ・ラ・クルスのバジリカに納められているのだとか。
そのレプリカがこのセリートにも建てられて、
それ以降、妙な光は一切出没しなくなったという話。


これ以外にも、幽霊が出るとかヨローナ(泣き女)が出るとか、
いろいろな怪奇現象と縁のある土地のようですが、
日中訪れる分には問題ないはずです!(多分)


ちょっとその光を見たい気もしないではないですが・・・。



[ 2012/08/24 23:58 ] 街角 | TB(0) | CM(0)

セリート・デル・カルメン III 

Cerrito del Carmen

前回の1871年のグアテマラシティの写真に
似たような角度で一枚撮っていたのがこれ。
木と木の間、向こうの方にポツリと見える青い丸屋根がカテドラルで、
右側の木に一部隠れているのがパラシオ・ナシオナル(国家宮殿)。


140年の間に全く変わってしまったのね・・・(まあそりゃそうか)。


Cerrito del Carmen

一番目立つ建物は一際大きいパラシオ・ナシオナル、
てなわけで、そっち方面にズームインしたのがこれ。
右側の教会はサン・セバスティアンかな。


さて、セリートの物語、実はまだ続きます。




聖母像を礼拝所に奉った翌日。
住民が祈りを捧げにやって来たのに、礼拝所はもぬけの殻。
そう、聖母像がいなくなっていたのでした。


誰もが泥棒!と思って方々を探してみたもののどこにも見当たらず。
結局、元のむさくるしい洞窟に「帰宅」されていたのでありました。


「一体どうしたことだ」
「マリア様ともあろうお方が実家に帰ってしまわれるとは」
「でもきっと、あの礼拝所がお気に入らなかったんだよ」
「あんなむさくるしい洞窟の方がいいっていうのか」
「わしらにはわからん」
「マリア様に聞いてみるしかないんじゃないか」
こうしてフアンに、礼拝所を建てるから聖母様にどこがいいか聞いてほしいとお願いしたのでした。


その数日後。
フアンは皆と町の真ん中にある丘に行ってみました。
そしてその丘とカルメル山が似ていることに気づき、
この丘に礼拝所を建てて聖母像を奉ることにします。



私はカルメル山に行ったことないので、
はっきりしたことは言えないのですが
カルメル山って少なくともこのセリートよりはかなり大きいし、
山の上からは地中海が見える!という話。


確かに平地の中にぽこっとできているところは似ているのかもしれないですが
セリートは1,2分で登れちゃうし、
この前帰省した時に行った金沢城址の方がよっぽど大きいわ・・・。


まあでもマリア様が「ここにする!」って言ってくれれば、
大きいとかそんなことはどうでもいいわけで。




セリートは草ぼうぼうの荒地だったのですが、
住民はさささっと草刈りを済ませると小さな小屋を2つ作り、
1つに聖母像を、もう1つをフアン用としたのでした。


ここにちゃんとして礼拝堂が建設されたのは1620年のことで
壁には石材、屋根には瓦が使われ、
フアンが寝起きするための居室も礼拝堂の前に造られていました。


こうしてできた礼拝堂には付近の住民のみならず、
ピヌラ、ミスコ、ペタパといった
現在のグアテマラシティの隣町からも人々が訪れ大賑わい。


そうしていつしかこの付近は
バイエ・デ・ラス・バカスという名前から
バイエ・デ・ラ・エルミタ(Valle de la Ermita、隠者の谷)と呼ばれるようになりました。



まあ、隠者の谷も間違いじゃないけれど、
なんで聖母の谷とか呼ばれなかったんだろう?と思うのは私だけですかね?


現在でもグアテマラシティのあるこの盆地は
バイエ・デ・ラ・エルミタと呼ばれていますが、
その名前の由来はフアン・コルスだったということになります。


この数年後、フアン・コルスは忽然と姿を消してしまい、
その後の行方についてはまったく不明です。


でもフアンがアビラから持ってきたカルメル山の聖母像は
今も大切に受け継がれ、毎年7月16日のカルメル山の聖母の祝日には
プロセシォンは行われるし、露店は出るしのお祭り状態。


Cerrito del Carmen

ま、そんなお祭りのない普段の日にも
ふらりと立ち寄ってぼーっとするのに良さそう。


今度はもう少しお天気の良い日に行ってみたいな。


[ 2012/08/23 23:52 ] 街角 | TB(0) | CM(0)

セリート・デル・カルメン II 

Cerrito del Carmen

セリート・デル・カルメンの一画にたたずむ像が一つ。
この方、名前をフアン・コルスといいます。
今日はこのフアン・コルスのお話を。




イタリア人のフアン・コルス(ってこの名前は全然イタリアっぽくないんですが)は
フランシスコ会第三会の修道僧でした。




突然ですが、いきなりここで用語の解説になります。


カトリック教会の修道会には男子会のみの修道会(たとえばイエズス会)、
女子のみの修道会(たとえば聖心会)もある一方で、
フランシスコ会のように男子会(第一会)、
女子会(第二会、フランシスコ会の場合はクララ会)、
そして在世修道者のための第三会を持つ修道会も存在します。


第一会と第二会がそれぞれ出家した修道者のためのものであるのと対象に
第三会は普通の家庭生活を営みながら、
その会の精神に従って生活することを希望する人たちのためのものです。




さてフアンさんは17世紀の初め頃にエルサレムへの巡礼を行い、
今度は、当時未開の地であった新大陸へ行って隠者となることを決意したのでありました。




・・・物好きな。




そうして港に向って西へ西へと移動中、
フアンはスペインのアビラという町を通ります。



アビラはカルメル会という修道会を改革した聖テレサ(1515-1582)を輩出した町です。


聖テレサと言っても、ピンと来る方はあまり多くないかもしれませんが、
ダン・ブラウン原作の「天使と悪魔」で
トム・ハンクス演じるラングドンがイルミナティを追い求めながらローマを駆け巡っていた時、
「火」のシンボルとして使われたサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会の像、
って言うとピン!と来る方もいらっしゃるかも。


ベルニーニ作の「聖テレサの法悦」という、アレです。
本当に見事な彫刻。
ローマはどこへ行っても美術品だらけでいいなぁ~。


えーと、何の話でしたっけ。




フアンが新大陸へ渡って
隠者として生活しようと考えていることを知ったカルメル会のシスター達は
聖テレサが亡くなる前に願っていたように、
カルメル山の聖母の像を彼の地に持って行ってくれるように頼みます。



カルメル山というのはイスラエルにある山で
預言者エリヤが祈りを捧げたところとも聖書に記されています。
この山に修道院を築いて暮らした修道者がカルメル会の起源ですが、
「カルメル山の聖母の修道会」というのが正式な名前で
カルメル山の聖母というのは多々ある聖母のタイトルの一つであります。
カルメンという名前もこのカルメル山の聖母から派生した名前ですよね。




フアンはその依頼を「合点承知」と快く引き受け、
どんなところに聖像を置くべきかとシスター達に尋ねます。
「それはマリア様が自分でお決めになられるわ」とシスターらしく雲を掴むようなご返答。
もっとも、聖テレサは「大きな町に置いてね」と言っていたのだそうで
聖テレサは「この像が置かれたところには大きな町ができるでしょう」と言っていたのだそうで、
その言葉を胸にフアンは聖像を抱えて船に乗り込むと、大海原へと旅立ったのでありました。
(間違いがあったので訂正しておきます)




Castillo de San Felipe

サン・フェリペ要塞。
あんまり関係ないけれど、
大西洋を渡ってやって来ると、こんな感じのところに着きますよ、ってことで。




35歳になったフアンは新大陸のグアテマラ総督領に上陸します。
現在のグアテマラシティのラス・バカス川のほとりに2つの洞窟があったのですが
1つを住居にし、もう1つに聖母像をまつって隠遁生活開始。
洞窟から出てくるのは年に2度お布施を貰いに回る時だけという
完全なヒッキー生活。


聖テレサの遺言の「大きな町」には程遠いド田舎だったラス・バカス川のほとりで、
土地の人たちも「何かうさんくさい男が住んでいる」と思いながらも
洞窟におかれた聖母像があまりにも見事だったこともあって
度々洞窟を訪れるようになります。


そうするとやっぱり皆、
「こげな粗末なところにマリア様置いとくわけにはいかね」
って思うわけですよね。
フアンの同意を得て礼拝所を建設し、
無事その中に納められたのでありました。


めでたし、めでたし。




話の中に出てくるカルメル山の聖母の聖像、
私は実物は見たことないのですが、写真はこちらで見られます。


そんなに美しい像か?と正直言って思っちゃいますけどね・・・。
(だって二重顎だし、四頭身だし)
ちなみに、冒頭の写真でフアンが手にしている箱の中に
この聖像が入っていたのだと思われます。
そう、小ぶりな像なのですよ。


ついでにもう一枚ペタリ。
さすがにフアン・コルスが来た頃のグアテマラの写真はありませんが、
これは1871年にセリートから撮った写真だそうです。
右の方にカテドラルが見えているけれど、なんとものんびりとした田舎で、
確かに牛がいても全然違和感ないような。


こんな時代もあったんですよねぇ。



[ 2012/08/22 23:46 ] 街角 | TB(0) | CM(0)

セリート・デル・カルメン I 

Cerrito del Carmen

セリート・デル・カルメン(Cerrito del Carmen)は
グアテマラシティの歴史を語る時に必ずといっていいほど登場するところです。


セリートはセロから派生している語句で丘の意味。
その名の通り1区にある小高い丘のことで、2区と6区にも接しており、
私も行ってみたいとは思っていたのですが、
「あの付近は危ない」という評判があったんですよね。


近年、グアテマラシティが1区の歴史的地区の復興作業に励んでくれたお陰で
セリート・デル・カルメンもすっきり整備されて健全な雰囲気となり、
だったら一度行ってみたい!と思っていて
祝日だった8月15日、セリート・デル・カルメンまで行ってきたのでした。


Cerrito del Carmen

セリートの散歩道。
グアテマラシティのお庭部隊の仕事でしょうね。
写生している人なんかもいて、周囲のむさくるしい1区とはここだけ雰囲気違う・・・。


さて、ここを「グアテマラシティの歴史を語る上では欠かせられない」と紹介した以上
歴史を物語ることになるんだろうな・・・と思うのですが、
ちょっと長いし、退屈ですよ!!!(と一応前置き)



むかしむかし、アンティグアがグアテマラの首都だったころ。


華やかな首都であったアンティグアとは対象的に
現在のグアテマラシティは木や草が生い茂る単なるド田舎でありました。
寒い時期には北風がびゅーびゅー吹き降ろし、
トウモロコシの栽培くらいしかできないような土地だったのであります。


そんな田舎のセリート付近を領地としたのはコンキスタドールのエクトル・デ・ラ・バレーダ(Héctor de la Barreda)。
バレーダは「俺様にこんな何もない土地を寄越しやがって!」
と内心では腸がグツグツと煮えくり返っていたこととは思いますが、
その一方で豊かな牧草があるのだから、きっと牧畜に向いているに違いない!と考え、
現在のキューバから牛を連れて来たのでありました。


こうしてグアテマラ最初の畜産農家となったバレーダでしたが
彼の想像以上に牧畜は成功し、
やがてこの地は「牛の谷(Valle de las Vacas)」と呼ばれるまでになったのです。



グアテマラシティにラス・バカス川という、やがてはモタグア川に流れ込む川があるのですが、
その名前って、きっとこの時代に由来するんでしょうね。
ひょっとして牛も流れるほど水かさの多い川なんだろうかとずっと思っていた私・・・。


ま、時々死体が流れているみたいですけれどね・・・(現在)。


コホン。


そのラス・バカス川はセリートよりも東側、低くなったところを北に向って流れています。




牧畜に成功したバレーダ一族は、本国より親戚一族が続々と入植し、
彼らの土地はリンコン・デ・ラ・レオネーラ(Rincó de la Leonera)と呼ばれるようになりました。
ただし、この名前の由来については不明、とWikipediaに書かれています。




ここまでが序文かな。
この後、舞台はスペインへと飛ぶのですが、続きはまた。


[ 2012/08/18 12:07 ] 街角 | TB(0) | CM(0)

被昇天の聖母の祝日 

8月15日はグアテマラシティの市祭です。
カトリック圏で市祭というと基本は市の守護聖人の祝日のこと。
なので市祭という言い方ではなく
Feria Patronal(フェリア・パトロナル、守護聖人の祝日)などという呼び方をします。
グアテマラシティの守護聖人は被昇天の聖母で
2区のイポドロモ・デル・ノルテ付近で屋台が出たり移動遊園地が開催されたりするのですが
実は行ったことありません!!!


だって遠い。。。


2区は土地勘があんまりないので、車転がしていくとどこに止めていいかわからないとか
バスで行くにはちょっと不便だとか危ないとか、まあ理由はいろいろあるんですけれどね。
私の場合はグアテマラシティを南から北へ縦断する感じになります。


ま、そんなわけで今年も2区の祭りの本場には行ってないのですが、
1区のセントロ方面に行ってきました。
今ちょうど車が故障中なので(これにはものすごく悲しい話があるのですが)
グアテマラシティが運営するトランスメトロに乗って出発。


Transmetro

プラットフォームがあって、必ず係員(市の交通担当職員か交通警察)がいるので
グアテマラでよくあるバス強盗とは無縁です。
バスは専用レーンを走るので混雑に強い。
でも走るスピードが亀並みなので、結局一緒だったりするのかも(笑)。


私達の乗ったバスはかなり混雑していましたが、
同じようなルートを行く一般の赤バスはガラ~ン。
赤バスはどこでも止まってくれるので乗りやすいのですが
降りたいところで降ろしてくれなかったり、強盗があったりで
最近はトランスメトロの利用者がかなり多くなっている感じです。


現在トランスメトロは2路線あるのですが、
バス停に入るところで支払うので、乗り換えの時に別途料金が発生しないのも強味。
料金は超オトクなQ1。
といいとこずくめのようなバスですが、
路線が少ないこと、バス停とバス停の間隔が結構あることが欠点かな。
乗り換えも現在は2ヵ所しかできないような気がする。
路線の方は今後も延長&新路線建設が予定されています。


Plaza Barrios

さっきのバス停はここ、プラサ・バリオスの前にあります。
がら~んとした広場に銅像一つ。
ここは以前はバスターミナルで、
グアテマラ南部(コスタスール)に向うバスでごった返していたところ。
向こうの建物は鉄道博物館。ドミノピザが入っているのね・・・


セクスタ・アベニーダをずっと歩いてていたら向こうの方から音楽が。
きっとアレだ!と思ってそっちの方へ曲がってみました。
ちょうど郵便局のアーチのところ。

Centro Histórico

向こうの方に黒い集団が見えますよね。
ちょうどプロセシォンがこの付近を通過しているところでした。
折角なのでセプティマ・アベニーダへ移動。


Centro Histórico

聖母像なので、プロセシォンには女性が多い。
もっとも聖母像の御輿を担いでいたのは男性でしたが。
最初にやって来るのは旗印。この辺はのんびりしてるんだけれど・・・


Centro Histórico

御輿と一緒に歩く人たちも結構多いので、御輿が来る頃には道路中人だらけ。
セマナサンタの大掛かりなプロセシォンとは違ってこじんまりとしてはいますが。
この御輿は80人用で、担ぎ手は交代制。


Centro Histórico

行っちゃった・・・。


御輿の後には音楽を演奏するブラスバンドがしずしず・・・


Centro Histórico

なんだ!ピザ食べながらかよ!!!


大太鼓やティパニみたいな担げないものは、台車に乗せて動かします。
んで台車を引く人ってのも別途いるんですよね。
御輿の担ぎ手は交代できるけれど、音楽隊は基本交代なし。
長い道中なのでお腹が空くのはまだ理解できるとして。


片耳にイヤフォン突っ込んだままトランペット(だったかな)を吹いていた人もいた!!!
えーそれはちょっとマズイんじゃ。。。


Centro Histórico

その後には言わずとしれた信者さんと売り子さん。
チャプリン・コロラドの派手派手人形がちょっと場違いなような・・・。



[ 2012/08/15 23:36 ] 街角 | TB(0) | CM(0)

競歩狂騒曲 

なんか気の乗らない鉱山関係の話はすっかり放ったらかしのまま
オリンピックみたりなんかしていました。
今回はグアテマラ初(かつ唯一)のメダルもあって
グアテマラでの力の入り方も過去とは比べ物にならなかったような。


てか、はっきり言ってやりすぎだろ・・・。


エリック・バロンドは昨年メキシコのグアダラハラで開催されたパンアメリカン大会の
20km競歩で優勝、オリンピックへの出場権を獲得。
今年に入ってから陸上の世界大会に出て20キロ、50キロとも自己ベストを更新しており
グアテマラから参加する選手の中では一番メダルに近い選手、と言われていました。


アルタ・ベラパス県はサン・クリストバル・べラパス市の、先住民の農家の息子。
パンアメリカン大会では競歩は女子でも金銀メダルを獲得し、かなり話題になったのですが
帰ってきたエリックを待っていたのは暖かい歓迎だけではなかったようで。


プレンサ・リブレ紙のサイトにはこんな記事が載っています。
「バロンドは父親や兄弟とともに
 空港で受け取った風船や花束やスーツケースや金メダルを持って、
 乗り合いバスで首都から家へと向った。」
サンクリストバルの市街地に住んでいるのならともかく、
そこからまだ離れたチユクという村に住んでいるんですが、
写真を見るとどうやら徒歩で帰っていったようで・・・。
Welcomeとか書かれた風船がスーツケースにくくりつけられていて可愛いけれどね・・・。


パンアメリカン大会と言えば、オリンピック予選も兼ねるアメリカ大陸の大会で、
そこの金メダリストに対して地元では何の歓迎もなかったということで、
まあそりゃ自宅まで帰るのは本人の責任なんでしょうが、なんつーか・・・。
一応「グアテマラオリンピック委員会の勧めによって」歓迎会は行われなかったようで、
本人にとってはそんな面倒なものなしで、ゆっくり休める方が良いのかもしれないですけれどね。
「預言者は自分の故郷では歓迎されない」という言葉を髣髴としてしまいます。


オリンピックでの銀メダルを獲得した後は
グアテマラのみならず各国メディアからの取材攻勢で
エリックのみならず競歩チームの皆にインタビューあったらしく
まだ皆競技を残しているのにちょっと可哀想な雰囲気。


一方地元サンクリストバルは銀メダル獲得と共に(あるいはそれ以前から?)お祭り状態、
大統領も大喜びでテレビにのっかってエリックと会話、
翌日から新聞には銀メダルを称えるありとあらゆる広告が並び(今日もまだあった)、
いつもぐだぐだ喧嘩してるのか何してるのかさっぱりわからない国会では
異例の速さでエリックに大騎士章という勲章の授与とQ50万の報奨金を決定、
更には大統領ったらエリック・バロンド賞なんてものを作って
すぐれた若手スポーツ選手を毎年表彰するとか言ってるし・・・。


笑っちゃったのは大統領が
「ご両親が50キロのレースをロンドンで見られるようにする」とか言い出したこと。
いやそれ、本人にとっては気が散るだけですから!!!
しかも招待するって言うんだったら、予算取ってなんてケチくさいこと言わずに
ポケットマネーで出しなさいよっ!


一方「市長は他人のふんどしで相撲をとってる」というエリックへのインタビュー記事が新聞に載り、
「以前の市長は家やら何やらをくれると言っていたのに、何もしてくれない。
 それなのに、自分がメダルを取ったらここぞとばかりにしゃしゃり出てくる」という内容。
市長側は「それは以前の市長が約束したことで、今、市にはお金ないんよ」と専守防衛。


なんかね。
レースに集中しててよ、エリック。


さてその競歩のご一行は明日16時過ぎにグアテマラへ帰国。
その後、帰宅ラッシュめがけて市内の凱旋パレードが予定されていて
テレビ・ラジオで生中継が行われる模様。


この狂騒、しばらくは続きそうな・・・。


ま、何はともあれ、おめでとう、エリック。
(と私もやっぱり便乗組だしな)



[ 2012/08/12 23:23 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

運の良かった国立中学の話 

グアテマラの義務教育は6年間。
公立の小学校はほぼすべてが国立小学校で
教育省が校舎や設備や教科書といったものをすべて負担します。


そういうシステムだから隅々まで手が行き届くわけがなく
小学校の校舎といっても、教室が足りずに屋外で授業したり、
トタン屋根で雨が降ればうるさくて授業ができなかったり、
雨が降ったら泥の床がぬかるみになったり、
そういう状況は少しずつ改善されてはいるようですが
まだまだ足りていない状況。


前政権が小学校の無料化と
子供を学校に通わせれば現金を支給するという政策は
小学校に通う子供を増やした、という意味ではすばらしいものなのですが
一方、設備面での不備は改善どころか悪化した感があります。


小学校でそうなら、義務教育ではない国立中学校はどうなるんだろう?
学校の数そのものは小学校よりぐっと少なくなりますし、
比較的都市部に建設されることが多いので、
校舎そのものは小学校よりはずっとまともであるようです。
でも一校辺りの生徒数が多いので
午前・午後・夜間の3部制をとるところも多く
(おもしろいのは時間によって校名が変わるところで、
 一つの校舎に2つとか3つの校名の看板があったりする)
また設備そのものは生徒数に対しては不十分という学校もあるようです。


教育省に言ってもお金がないから無理。
となると次に探すのは寄付や資金援助で、
校舎を増築したり、設備を改善するために日本の援助を受けた学校もあったりします。


そして今日の本題はこちら。
ウエウエテナンゴ市にある生徒数876名の国立アレハンドロ・コルドバ中学校では
生徒の保護者が資金を拠出して、
1教室の増築、2教室の改築、PCラボの建設と設備の購入をやってしまったという話。


資金集めを実施したのはどうやら父母会。
昨年と今年、通常の授業料とは別に拠出金の提供を受け、
そのお金で改築とか増築とかやっちゃいました、って言うと
なんだかものすごく簡単なことのようですが、
これを実現しちゃうというのは相当に大変なことだったのではないかと想像します。


まず第一に。
申し訳ないけれど、グアテマラ人、お金に汚い(笑)。
多分学校側が呼びかけ、父母会で資金を管理したんだと思うのですが、
ちゃんと資金を管理してくれるのかどうか、信頼できないと思う人がいてもおかしくないわけで、
それなのにこれだけの金額が集まったということは
子供の将来のためなら多少の出費は惜しくないという親心に加えて、
学校の状況が悲惨すぎてみてられないとか、
校長先生が信頼できる人物であるとか、
父母会の会長が信頼に足る人物であり、実行力もある、
などと言った好条件がすべて揃って初めて実施できたのではないかしら。
そういう意味では運が良かったというか、恵まれているというか。


「この校舎ではこの中学校の他、教員養成校の生徒も学んでいるが
 PCラボは中学校の生徒専用である」と明記されているところも目を引くのですが
ラボは使えなくても校舎の改修の恩恵には与っているわけで、
言ってみれば棚からぼた餅だから文句は言わないだろうな。
喧嘩はするかもしれないけれど(笑)。


政府から個人に至るまで、
他人の金で何とかしてもらおうとする傾向が強いグアテマラで
こういうイニシアチブが実現したというのはかなりすごいことだなぁと
素直に感心してしまったのでありました。


ま、こういう学校が増えてくれれば、教育省はシメシメって感じになっちゃいそうで、
それはそれでいかんのじゃないかとは思いますけれどもね(笑)。


[ 2012/08/07 23:44 ] 中学校 | TB(0) | CM(0)

シャーガス病を防ぐペンキ 

シャーガス病(Mal de Chagas)はアメリカ大陸各地で見られる風土病で、
毎年1500~1700万人が感染し、5万人が亡くなると言われています。


この病気を媒介するサシガメは、日干し煉瓦(アドベ)の壁や草葺屋根の中に潜り込み、
夜間になると活動を開始して屋内外の人や動物を刺したり噛んだりします。
そこからクルーズトリパノソーマという原虫が体内に侵入して増殖、
血液や組織(筋肉、心筋、神経系細胞など)を侵して時に発病するのがシャーガス病。
原虫が血管や組織にいるので、輸血や臓器移植でも感染することがあるそうですが
日干し煉瓦の建物があるところに多発する病気で、
グアテマラでは東部に患者が多いです。


潜伏期間は数年から数十年、発病しない人もいますが
皮膚症状、リンパ節腫脹、肝脾腫大、心筋症といった症状が見られます。
治療薬はあるのですが、動物実験では有効性は60~70%程度、
慢性のシャーガス病については50%以下という結果で、
薬さえ飲めば何とかなる、という類のものでもない模様。


Wikipedia(スペイン語)を見ていたら、
ダーウィンもシャーガスにかかっていた可能性があるとの記述があってちょいとびっくり。
「アメリカ大陸のエイズ」と表現する人もいるようですが、
うーん、まあそうと言えば言えなくもないものなのかも・・・?


JICAも以前からシャーガス病対策プロジェクトというのを中南米各地で実施しており、
グアテマラのはフェーズ2が終わったところなのかな。
そちらの詳細はJICAのサイトを見て頂くことにして、
今日は新聞に出ていた「ペンキでシャーガス病を防ぐ」という話を。


プレンサ・リブレ紙はニューヨーク・タイムズ紙と提携していて
日曜版にNYTの記事がスペイン語で少し掲載されるのですが、
ウェブ版には掲載されていないので、元々のNYTの記事の方を探してきました。


かいつまんで言うと、スペインのInesbaという会社が開発した
殺虫剤を練りこんだInesflyというペンキを壁に塗ると
シャーガス病の媒介であるサシガメが激減するという話。


ボリビア南東部の乾燥したジャングルであるエル・チャコは
シャーガスの多い地域だったのですが、
この10年間で7000軒の家にInesflyを使った結果、
どの家でも一週間の内にサシガメがいなくなったとか。
その地域のサシガメが確認された家屋は90%からほとんど0になったのだそうです。
すごいことに成虫だけではなく、卵や幼虫にも効果がある!
ナルホド激減するのもうなずけます。


このInesflyは2年間有効だそうですから、
まあ普通にペンキ塗り直すつもりでいればいいのかな。
ただし、WHOはまだInesflyを試験中で、
ひょっとしたら人体への影響なんかもあるかもしれない。
一般の殺虫剤よりも毒性は低く、
現在までのところ環境や健康への影響は報告されていない、とのことではありますが、
少なくとも生態系に影響を及ぼすのは間違いなさそうな・・・。


そうすると多分他の病気がばーっと出てきたりとか、しないのかな・・・?
とか思うのですが、私の頭ではこれ以上踏み込めません(笑)。


現在ボリビアの他、メキシコやアフリカでも実験的に使われていて、
同様に効果を挙げているそうです。


サシガメだけではなく、蚊や他の害虫にも効果があることから
アフリカではマラリア対策として使っていて
一般的な殺虫剤を使用するよりも効果があることは確認済み。


まあそんなわけで、なんか薔薇色の記事なのですが、
ちょっと待って!
ペンキを塗布する家というのはコンクリートブロックなわけで、
コンクリートブロックの家には蚊はともかく、サシガメは元々住まないんじゃ・・・。


というような話は記事の最後に触れられていて、
「このペンキはアドベの家や草葺屋根には使えないが、
 マラリアが多いところは草葺屋根の多い地域。
 また一旦減少した害虫が抵抗力を持って増えた場合は効果は薄い」。


あら・・・。


その土地の人がコンクリートブロックではなくアドベを使うのは
入手しやすく、かつ乾燥地域に適した建築材であることが大きいのでしょうが、
アドベは地震にも弱いし
(グアテマラで1976年にあった地震で被害が大きかった地域は
 アドベの家が多かったと聞いています)
雨にも弱いし、害虫にも弱い。


ここはむしろ政府が音頭を取って
家の建替え進めた方がいいんでないの?
それは無理だとしてもせめて蚊帳とかあればいいんじゃ・・・。
と思うのですが政府がやるのは一般的には殺虫剤散布。


アドベの壁にはペンキは塗れないけれど、
雨対策として漆喰のように石灰を塗ることはあるから、
そこに殺虫剤成分混ぜればいいじゃん!!!


と素人頭で思ったのですが、どうでしょう。
どなたか試してみません・・・?



[ 2012/08/05 21:56 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

鉱物 

鉱業と一口にいっても、そこらの砂利やら宝石やら金やらウランまで含まれるようですが、
では一体グアテマラでは何が採れるのか!?


有名どころは翡翠、最近では金の生産が好調なようですが、
エネルギー鉱山省の昨年の年次報告書をコピーしてみます。


鉱物 売上量(トン) 売上量(m3) 売上高(Q) 売上高($)
金属計 7,110,339,644.00 923,420,732.99
アンチモン
赤鉄鋼 1,160.27 206,528.00 26,821.82
金(トロイオンス) 382,521.08 4,772,339,677.00 619,783,204.81
銀(トロイオンス) 8,769,794.47 2,335,532,444.00 303,315,901.82
17,045.45 3,000.00 389.61
その他金属 151,133.00 2,266,995.00 294,414.94
非金属計 184,155,299.00 23,916,272.60
粘土 41,198.45 6,367,745.00 826,979.87
鉄分の多い粘土 152,430.52 2,286,458.00 296,942.60
白砂(軽石) 1,447,527.99 11,048,121.00 1,434,820.91
川砂 80,595.66 2,476,057.00 321,565.84
砂礫 702,752.39 10,275,217.00 1,334,443.77
鋳物砂 5,438.10 173,091.00 22,479.35
バラスト 5,438.10 173,091.00 22,479.35
重晶石(バライト) 74.03 23,607.00 3,065.84
玄武岩(安山岩) 1,051,131.98 26,928,427.00 3,497,198.31
ベントナイト 44,462,539.77 1,104,391.00 143,427.40
苦灰岩 4,908.33 776,508.00 100,845.19
石灰岩 83,773,564.21 56,240,006.00 7,303,896.88
カオリナイト
(カオリン石)
4,057,272.73 71,408.00 9,273.77
炭酸塩鉱物 72.00 216,000.00 28,051.95
石英 500.00 15,000.00 1,948.05
結晶片岩 180,552.50 6,066,564.00 787,865.45
滑石 498,037.50 30,679.00 3,984.29
長石 2,890.77 1,826,407.00 237,195.71
花崗岩 59,639.58 27,692,901.00 3,596,480.65
翡翠 84,553,41 151,098.00 19,623.12
板石 410.65 28,287.00 3,673.64
褐炭 2.00 200.00 25.97
鉄ルタイト 90,037.96 5,492,315.00 713,287.66
菱苦土石
(りょくどせき)
311.37 6,115.00 794.16
泥灰岩 500.00 16,825.00 2,185.06
大理石 737.76 6,735.731 874,770.26
砂屑岩 8,607.00 50,201.00 6,519.61
シリカ 1,211.82 432.79 1,283,278.00 166,659.48
タルク 8,318,632.50 478,569.00 62,151.82
凝灰岩 126,137.97 4,962,831.00 644,523.51
漆喰 20,215,435.37 1,937,261.00 251,592.34
合計 7,294,494,943.00 947,337,005.58

ドルへの換算は現在のレート、$1=Q7.7を使っています。
それと、元の表には「苦灰岩」が2度登場していて
売上高にも加算されているのですが、
単純なダブリだと思うのでカットして金額も差し引いてあります。


非金属系は、名前があやふやなものもあるのですが、
大きくははずれていないと思います。


岩石類の名前を調べるのはかなり苦戦しました・・・。


単価が高いのはもちろん金。
トロイオンスは金の質量の単位で1トロイオンスは31.1グラム。
銀はともかく、翡翠ってこんな安いんだね・・・。
大理石は1トンあたり1185ドル。お買い得な気がするのは、多分、気のせいだろう。。。


今日は表を作っただけでちょっとぐったりなので、
続きはまた改めて。



[ 2012/08/02 23:29 ] 鉱業 | TB(0) | CM(0)