ビボラーナ 

突然ですが、8月になることだし、
思い立って少しテンプレートをいじってみました。


3カラムを2カラムにいじったり
フォントを大きくしたりして
全体として老眼に優しいブログ!になっているはずです(笑)。


カスタマイズしたついでに今日は我が家のテラスの花の写真でもアップ。


Asclepias curassavica (viborana)


グアテマラ付近ではビボラーナと呼ばれるらしいです。
学名はAsclepias curassavica。
アスクレピアス・クラッサヴィーカかな・・・?


熱帯アメリカ原産の植物で、ここら辺では雑草みたいなもんらしいです。


この花というか木、
去年の今頃だったか、別の鉢ににょきにょきっ!と生えてきたので
何だろうと思って別の鉢に植え替えてやったところ、
これがまたジャックと豆の木並みにどんどんどんどん成長し、
まっすぐ伸びた木の枝は最終的には150cm。


まさかこんなに大きく伸びるとは思わなかったので
小さな鉢に植えていたのですが、それでも伸びるものなのですね。


Asclepias curassavica (viborana)

葉っぱの感じからわかるかと思いますが、キョウチクトウ科の植物。
キョウチクトウ科の例にもれず、毒性の強い植物なので
害虫・害獣避けに使われたりするみたいです。
ただし、この木に成長する蝶(の幼虫)もいるので、
この木のあるところには蝶もいるのかも。


そういえば去年はこの木に青虫というか毛虫というかが一匹いたんですよねぇ。
どこから来て、どこへ行ってしまったんだろう・・・。


Asclepias curassavica (viborana)

強烈なオレンジが目に鮮やかです。
今年はもっと大きな鉢に植え替えたのですが、
そしたら2mくらいにまで成長してしまいました。
去年は幹が1本まっすぐ伸びただけだったのですが、
今年は根っこの方で分枝してくれて、花がたくさんついたので嬉しい!


悩みは・・・、もっと大きな鉢に植えるべきかどうかってことなんですけれどね。
まあ今年の花が終わるまでは、とりあえずはこのままだなー。


地域によっては
flor de sangre (血の花)
platanillo (プラタニーヨってプラタノのこと?)
hierba María (マリアの草)
mata ganado (家畜殺し)
burladora (いたずら好き)
hierba de cantil (崖の草)
hierba de culebra (蛇の草)
hierba de leche (ミルク草)
flor de agua (水の花)
bailarina (ダンサー)
ipecacuana cimarrona (暴れん坊のトコン-トコンって植物の名前)
とも呼ぶそうです。ちょっと名前多すぎ。


ダンサーってのは、我が家のが典型的だと思うのですが、
ひょろひょろっと伸びて上の方に葉と花がつくので
風が吹くとぷらぷら揺れるところから来ているに違いない・・・!


viboranaも蛇草みたいな意味でしょうね。
子供の頃、ヘビイチゴと呼んでいた草のことをふっと思い出してしまいました。


[ 2012/07/31 23:56 ] グアテマラの住人たち | TB(0) | CM(0)

グアテマラの鉱業をおそるおそる覗いてみた 

グアテマラの鉱業について書いてみるにあたって、
一体どのくらい採掘許可があるんだろう?と思って
エネルギー鉱山省(Ministerio de Energía y Minas, 以下MEM)のサイトを見てみたら、
原油を除いて、ざっと400件くらいがリストになっていました。


最古のものは何と1901年に採掘許可が下りていて、現在もその許可が有効。
ウエウエテナンゴ県のサン・セバスティアン・ウエウエテナンゴにある、
金属を採掘していた小さな鉱山のようですが、ちょっとびっくりです。


20世紀初頭に発行されて現在も有効な採掘許可はその他にもいくつかあるのですが、
鉛の鉱山ばかり、しかも全部ウエウエテナンゴ県に集中しているのが興味深いです。


20世紀後半になると、建築用材として
石の採掘許可が増えていきます。
石灰岩や堆積岩、火山岩の他、大理石(これも広義では石灰岩なんでしょうか?)、
そして土や砂や漆喰もあり、
この時代は建築材としての採掘が増えていったのだろうなーと想像します。


金の採掘開始は、ちょうど内戦の終結の時期と一致しているようです。
現在の採掘許可で最古のものは1998年のイサバル県モラレス市のもの。
採掘許可の前に採掘調査があったでしょうから、
その前から手続きしてたはずとは思うのですが、詳細不明。


当時のアルスー政権は伝統的オリガルキー出身の人でしたから
どうやら鉱山開発を積極的に進めたらしい・・・。
と10年以上経ってからやっと理解している私ですが、
金属鉱山の開発は2000年を過ぎた頃からどんどん増加しています。
外資系の企業が参入して、
広大な土地の採掘が行われるようになったのもこの頃。


最大のものはこの前の話に出てきたCGNこと
Compañía Guatemalteca de Niquelが
アルタ・ベラパスとイサバル両県の
カアボン、セナウ、パンソス、エル・エストール4市にかけて採掘権を持つ248km2


CGNは元々はロシア発で現在はキプロスに本拠を置くSolway Groupが所有しているのですが、
ソルウェイ社はロシアはもちろん、
ラテンアメリカ、アフリカ、東南アジア、東ヨーロッパと
世界中に展開して鉱物の採掘をやってる他、
モスクワなんかで住宅開発もやってる会社みたいです。


この地域では他にマヤニッケル社、
ニクロメト・グアテマラ社がやはり採掘を行っていますが
どちらもカナダの会社の100%子会社。


マヤニッケル社を所有しているのは
アンフィールド・ニッケル・コーポレーションという会社なのですが
アンフィールドのウェブサイトを見ると、
やってるプロジェクトってグアテマラのマヤニッケルのものだけなんですよね。
ここだけで会社を回していけるくらいの利益が出ているのか・・・。すごい。


なんだかそういう魑魅魍魎がうようよしていそうな世界で
おっかなびっくりで既に腰が引けてはいるのですが、
そういう世界をちょっと覗いてみようかと思います。



[ 2012/07/29 23:49 ] ニュース | TB(0) | CM(1)

大学生の溺死と鉱山会社 

セマナサンタ直前の3月31日にイサバル湖で
研究調査に訪れいてた大学生3人が溺れて死んだというニュースは
事故として報道されていました。


亡くなったのはグアテマラ・デル・バイエ大学(UVG)の生物学科の
ナオミ・ララ・オレヤナ、フアン・カルロス・ベラスケス、アンヘル・デ・レオンの3人で
夜間、ワニの生態調査のためにカヤックに乗って調査していたところ、
何らかの理由でカヤックが引っ繰り返り溺れた、というのが当局の見解です。


当時の記事も決して大きな物ではありませんでした。


ただし、当初から事故現場の近くにある鉱山会社が関わっているという噂があり、
最近になって「あれは事故ではなかった」との主張も新聞にも掲載されています。


その記事によれば、検察は当日の事実関係を次のように把握しているとか。
3月31日18時:ワニの生態観察のため、学生3人と生物学者のレムエル・バイエがボートに乗って出発。
19時:一行はエル・エストールの水路の行き止まりのところに到着、
ボートから降りて休憩をした。
20時半:湖岸から6mの場所でボートが転覆、学生3人が溺死。


検視の結果、遺体からは0.04%のアルコールが検出されたことから、
事故だろう・・・という見方が強いのですが、
記事中には遺体には殴られた痕(青あざ)があったと書かれており、
それが事実であれば奇妙なことです。


また、学生3人に同行していたというバイエという生物学者の行動が謎。
バイエは大学の関係者ではなく、地元に詳しい人物なので道案内役だったと思われるのですが、
事故が起こってから1時間以上後に他の学生らに知らせに来たことなど
解せない部分があるという。


更に、現場は流れのゆるやかな(ほとんど水の流れのない)場所で、
なぜボートが転覆したのかについては
「学生が驚いて立ち上がったのが原因」とバイエは証言していますが、
岸からそれほど遠くないところで、泳げない距離ではないし・・・。


と謎が謎を呼ぶ状態。


そんな折、亡くなったアンヘルの恋人で、
当時他の学生と共に現場付近にいた女性が書いた文章
が静かな反響を呼んでいます。
亡くなった3人のことと当時の状況を詳細に綴っている彼女の文から抜粋します。



3月30日、大学の必修単位である野外研修のため、
イサバル県エル・エストールにあるCGN(グアテマラ・ニッケル・カンパニー)の施設に行った。
大学は以前からCGNのために環境モニタリングを行っており、そこに行くのは初めてというわけではない。
参加したのは2年生7人と3年生10人の17人で、グループに分かれて活動した。


31日、3人はワニのモニタリングを担当したが、
CGNの生物学者で、その分野のエキスパートだというレムエル・バイエが責任者であった。
モニタリングはCGNの敷地内にある、湖から続いている流れのない沼状の小さな水路で行われることになっていた。
その日、私はアンヘルと午後を過ごし、18:30頃彼とフアン・カルロスが
キャンプ地から出て行くのを見送った。


22時頃、レムエルと他の社員がピックアップに乗ってやってきた。
レムエルは落ち着いた様子で、ボートが転覆し3人が行方不明だが騒がないようにと言った。
彼はいつどこで起こったのかとは言わなかった。
私はつい今しがた起こったことなのだと思った。
キャンプにいた全員が起きて着替えると懐中電灯を持って水路に探しに出た。
レムエルは一緒に来ず、倉庫番と一緒に会社の桟橋に座って見ていた。


水路には3人の姿は見えなかった。
私たちの何人かはレムエルに捜索のためにボートを貸して欲しいと頼みに行った。
彼は自分はここでは決定を下す立場にないと言って断った。
彼は会社がもうボートを一艘捜索に出しているに違いないと言った。
何があったのかと尋ねると、ナオミとフアンカが驚いて立ち上がり、転覆したと言った。
そこにはロシア人1人と彼の通訳がいたが、まったく関心を示さなかった。


捜索グループは岸に空のボートがあるのを見つけた。
誰かがボートを引っくり返すために潜ったが、誰も見つからなかった。
レムエルからもっと詳しいことを聞くために倉庫に向ったが、既に閉まっており、出てこなかった。
会社がピックアップを出して、キャンプ地まで私達を送って行き、
捜索が終わるまでそこから出るなと言った。
私たちは消防や大学や3人の親に連絡をした。


真夜中頃、大学の講師がナオミの遺体が見つかったと知らせに来た。
早朝、レムエルがキャンプ地に戻ってきた。
もう一度詳しい話をして欲しいと頼むと、
今度はボートから立ち上がったのはナオミで、岸から10m程のところだったと言った。
彼は泳いで助かったが、何も見ず、何も聞こえなかったと言った。
その後自分の部屋に閉じこもり、その次の日まで誰も彼の姿を見かけなかった。
大学関係者は正午過ぎにやって来た。


学生を迎えにきた親もいた。
大学、CGNと学生の家族らの会合が持たれ、
会社側はモニタリングが行われることを知らなかった、
事前に知っていたらもっと大きなボートを提供したし、安全対策も取れたと言った。
転覆したボートは自分たちの物ではないと言ったが、
他の生物学者は以前にそのボートを使ったことがあると話してくれた。
大学関係者は「このような事態になったことがないので、緊急対策は持ち合わせていない」と言った。


翌日午後2~3時頃、アンヘルとフアン・カルロスの遺体が並んで見つかった。
岸から6m程のところであったが、救命胴衣は着けていなかった。
アンヘルの救急箱は後に陸上で、木の陰に隠してあるのが見つかった。
その中にはエル・エストールの住所の見知らぬ人物の書類や小切手や領収書があった。
彼のナイフとリュックは陸の別の場所で見つかった。
フアン・カルロスの所持品は発見されなかった。


また、一部で報道されたように3人が酔っ払っていたとかクスリをやっていたとかいうのは嘘である。
出かける前、皆元気だった。
午後ずっと一緒に過ごしたアンヘルは、一滴のアルコールも取っていないと証言できる。


さて、解明されていないのは次の点である。
  • 検察が言っているように事件が8時に起こったのなら、どうして私たちにはずっと後になってから知らせたのか。
  • レムエルと警備員は3人とも救命胴衣を着けていたと証言している。フアン・カルロスは8時ちょっと前に父親にそれを話している。3人の遺体が救命胴衣を着けていなかったのはなぜなのか。救命胴衣はどこにあるのか。
  • 救命胴衣をつけた3人が岸から6mのところで溺れたのはどうしてか。
  • 大学が捜査に協力してくれないのはどうしてか。
  • (大学が)葬儀費用を負担したと言っているのはどうしてか。それは事実ではないし、家族にQ20,000支払ったと言っているのもまた事実ではない。この金額は親が負担している保険で支払われたものである。また親には、大学の責任を追及しないと記した書類にサインしなければ保険料を渡さないと言ったのはなぜか。
  • 救命胴衣をつけていなかったと言っている人物が唯一生き残ったのはなぜか。
  • スカウト活動でサバイバル術に長けていた人物が波のない水路で溺れたのはなぜか。
  • アンヘルのリュックにあった物は誰のものなのか。
  • 海軍によれば、ボートは2人乗りだったと言う。生物エキスパートが夜間にこのボートに4人で乗り込んで出かけたのはなぜか。



友人やご家族が根気強く活動を続けていなければ、
このできごとは事故としてとっくの昔に片付いてしまっただろうと思うのですが、
検察は6月末、過失致死でレムエル・バイエを起訴しています。
この辺りの話はこちらが詳しい


ちなみにCGNはエル・エストールやパンソス付近に250平方キロ程の土地の権利を有し、
ニッケルやその他の鉱物の採掘調査及び土砂の採取を行っている企業です。
CGNそのものは現在カナダの企業のもので、
CGNがエル・エストールで行っている採掘調査の権利は
ロシアのSolway Investment Group Limited社が買い取っているのだとか。
鉱業と言えば、グアテマラでは最近あちらこちらで物議を醸していることもあり
余計きな臭さが増しているのかもしれないですけれどもね・・・。


というわけで、この話から今度は鉱業の話へと流れ込んでみる予定です。


[ 2012/07/25 08:50 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

バクトゥンの道 2 

バクトゥンの道、「マヤの巨大都市群」編。
ペテン及びイサバル県にある巨大建築物跡がメインです。


この地域はマヤの都市が多数存在し、
戦闘、支配、同盟といった関係が築かれていたことが
残された石碑などから伺われるわけですが、
一体いくつの都市があったのかすらまだ確定できないという、
そんな密林の中の都市群でもあります。


ティカル (Tikal)
場所:ペテン県のジャングル
時間:月~日 6:00~18:00
入場料:グアテマラ人 Q25、外国人 Q150(高いっ!)
施設:駐車場、ガイド、トイレ、博物館、近くにホテル、キャンプ場、食堂あり


言わずとしれた世界遺産。
日本語でも情報は多々あると思われるので、ここでは軽くスルー。


セイバル (Ceibal)
場所:ペテン県ラ・パシオン川のほとりのジャングル、ティカルからだと南西に90kmくらい
時間:月~日 8:00~16:00
入場料:無料(寄付歓迎)
施設:駐車場、ガイド、トイレ、博物館
最寄の町:サヤスチェ


アルタ・ベラパス県に源のあるラ・パシオン川は
北へ向かって流れてきた後、サヤスチェ付近で西へと曲がり、
メキシコとの国境の川であるウスマシンタ川に流れ込む川ですが、
この川沿いにはセイバルの他、
カンクエン、ドス・ピラス、アグアテカその他多数の都市が存在していました。


セイバルはパシオン川付近では最大の都市で、
紀元前400年から西暦900年頃まで、
マヤの前古典期から古典後期にかけて存在し、
最盛期には1万人の人口を擁したと考えられています。


西暦735年にドス・ピラスとの戦いに敗れて支配下に入ったということが
ドス・ピラスの石碑に記されており、
その時にセイバルにあった石碑もかなり破壊されたそうですが、
8世紀末には再び独立都市となっています。


行くとしたら、グアテマラシティからフローレスまで空路、
そこから陸路サヤスチェですかねぇ。
もちろんグアテマラシティからずっと陸路でもいいんですけれど。
一度は行ってみたい地域ではあります。


ウアシャクトゥン (Uaxactún)
場所:ティカルから北に23kmばかり行ったところにあるジャングル
時間:月~日 6:00~18:00
入場料:グアテマラ人 Q5、外国人 Q50
施設:駐車場、ガイド、トイレ、博物館、近くにホテル、キャンプ場、食堂あり


紀元前900年頃から900年頃まで栄えた都市で、
つい最近まではマヤ最古の都市跡とされていたのですが、
最近もっと古い都市が見つかったので既に最古とは言えないか。


西暦378年にティカルに破れ、
その後はティカルの支配下となったとされています。


ヤシャ-ナクン-ナランホ (Yaxhá - Nakúm - Naranjo)
場所:ティカルからちょっと南東、フローレスからベリーズ方面に行く途中のジャングル
時間:月~日 8:00~17:00
入場料:グアテマラ人 Q40、外国人 Q80
施設:駐車場、ガイド、トイレ、博物館、近くにホテル、キャンプ場、食堂あり


ヤシャ、ナクン、ナランホはそれぞれ別の遺跡ですが、
国立公園は3つまとめて「ヤシャ-ナクン-ナランホ国立公園」となっています。
それくらいご近所さん・・・と言っても徒歩2~3時間はかかりそうな距離ですが。


ベリーズ方面に向う道路から少し入ったところにあるヤシャ遺跡が一番アクセスしやすく、
遺跡からヤシャ湖も見えて絶景なんだそうで、
ティカル方面で少し時間に余裕があれば足を伸ばすのには絶好の場所かも。
紀元前600年から西暦900年頃の都市です。


ナクンやナランホへはヤシャからジャングルの中を徒歩または馬や驢馬で移動します。
ま、ご近所さんですからね。


エル・ミラドール (El Mirador)
場所:ティカルから北西へ約105km、メキシコ国境近くのジャングル
時間:最寄の共同体から8時と9時に遺跡に向うツアーが出発
入場料:無料だけれど最寄の共同体のお世話になるので現地でパックツアーを購入すること
施設:ガイド、近くにキャンプ場


アクセスは滅茶苦茶悪いので割と最近まで調査が行われていなかったのですが、
開けてびっくりだったのがこの遺跡。
都市が形成されたのはどうやら紀元前600年頃、放棄されたのは西暦150年頃。
ラ・ダンタというピラミッドはどうやら高さが70mあるんじゃないかという話で、
そうだとすると、スペイン人到来以前のメゾアメリカでは一番高い建造物だったことになり、
ついでにその体積ではエジプトのギザのピラミッドをも上回るんじゃないかという。


ちなみに現在確認されている一番高い建物はティカルの第4号神殿の64m。
クレーンもない時代にどうやってそんなものを造るんだか・・・。


そんなに大きなピラミッドらしいですが、
Google Earthで一生懸命拡大してみても影も形もありません(涙)。


なのでYouTubeからビデオを拝借(スペイン語)。




キリグア (Quirigua)
場所:イサバル県ロス・アマテス市キリグア村のバナナ畑の中
時間:月~日 8:00~16:30
入場料:グアテマラ人 Q20、外国人 Q80
施設:ガイド(有料)、駐車場、トイレ、博物館、近くにキャンプ場、食堂あり


ここも世界遺産に指定されている、石碑の美しい遺跡。
やはり日本語の情報が多々あると思われるので、スルー。


以上が「バクトゥンの道」に指定されている遺跡ですが、
マヤの遺跡はまだまだ存在していますし、
ペテン辺りは掘ればもれなく何か出てくるんじゃないかという気が。


ま、私もこんなの書きながら地元カミナルフユの遺跡公園は行ったことないので、
(ミラフローレス博物館とその庭?にあるマウンドには登ったことありますが)
その内、出かけてみようかなーとか思っています。


[ 2012/07/23 23:51 ] マヤ | TB(0) | CM(0)

バクトゥンの道 1 

なぜか人間て終末論が好きなようで、
20世紀末には地球が滅びるという話がありましたが、
無事に21世紀になってみれば、あっけないもので。


今まことしやかに噂されているマヤ暦の終わり=世界の終わり説もまたしかり。
今年の12月21日にマヤのカレンダーが13バクトゥンを満了するわけですが、
「マヤにとって13は特別な意味のある数字だからきっと何かある」って言われても・・・。


ま、それはともかく。
13バクトゥンと言えば1872000日に相当するわけで、
ひゃくはちじゅうななまんにせんにち、というのは5125年間。
起点となるのは紀元前3114年頃になります。


そんな昔に一体誰がマヤ暦(と呼ばれるもの)を始めたのかは謎のまま。
マヤと呼ばれる民族は紀元前1000年頃から文明を築いていったとされていますから、
ひょっとしてまだまだマヤと呼ばれる以前だったマヤ人が作ったものかもしれないし、
あるいはその地に住む他の住民が作ったものかも知れない。


何はともあれ、マヤ人がそのカレンダーを長年の間カウントしてきたのは事実で、
その暦が節目を迎える今年はマヤ民族にとっても意義があるに違いない・・・と私も思います。


そう思うのは何も私一人ではないようで、
グアテマラ政府もここぞとばかりに観光キャンペーン実施中。
その名もLa Ruta de los Bak'tunes(ラ・ルータ・デ・ロス・バクトゥーネス/バクトゥンの道)。


バクトゥーネスはバクトゥンの複数形で、
マヤの長期暦をカウントする単位で1バクトゥンは約394年のことですが、
そのバクトゥンにあやかろうという次第。


マヤの人にとってもスポットライトを浴びることになるわけで
喜んでいる人もいるそうです。まあ皆が皆かどうかは知りませんけれどね。


そのバクトゥンの道のサイトはこちら(英語、スペイン語もあり)。
13バクトゥンのカウントダウンもついています。


このサイトで取り上げられている11の遺跡がグアテマラの中では整備され、
比較的アクセスしやすいと思われるものらしい(かなりお金次第のような・・・)。


2つのルートが設定されていて、一つは「生の文化」コース。
タカリク・アバフ、
エル・バウル、
クマルカーフ、
カミナルフユ、
イシムチェ
の5つが上がっていますが、
クマルカーフとイシムチェは後古典期、
残る3つは前古典期の都市なので、
一緒にまとめるのはちょっと乱暴なような気がするんだけれど・・・。


もう一つはマヤの花、古典期の都市跡で、
セイバル、
ティカル、
ウアシャクトゥン、
ヤシャ-ナクン-ナランホ、
キリグア、
エル・ミラドール
の6ヶ所。
セイバルは遠いし、エル・ミラドールは陸路だとジャングルの中を徒歩かロバで数日、
ヘリなら数時間だそうですが、料金お高め。


そんなわけで、このルートを全制覇できる人なんて
ほとんどいないんじゃないかって気がいたしますが、
まあ気は心です。


新聞にこのバクトゥンの道のガイドが挟まっていたので、
簡単に抜粋しておきます。


タカリク・アバフ (Tak'alik Ab'aj)
場所:レタルレウ県エル・アシンタル市(屋外)
時間:月~金 7:00~16:00、土 8:00~12:00
入場料:無料
施設:駐車場、ガイド、トイレ、博物館。ホテル、レストラン、キャンプ場も近くにあり。


オルメカ文明及びマヤ文明の遺跡。
オルメカはマヤ以前に栄え、マヤの基礎となった文明と言われています。
マヤ同様に石の文明だったのですが、オルメカはなぜか巨大な石頭をゴロゴロ残しています。


エル・バウル (El Baúl)
場所:エスクイントラ県サンタ・ルシア・コツマルグアパ市(博物館)
時間:月~日 8:00~17:00
入場料:グアテマラ人 Q5、外国人 Q50
施設:駐車場、トイレ


遺跡そのものは都市開発で破壊され、その大部分は現在サトウキビ畑になっているのだとか。
7バクトゥンの日付のある石碑が出てきた遺跡で、
ものすごく価値がある場所のはずなんですけれどもね・・・。
紀元前に人が住み着き、西暦100年頃には放棄された都市だと言われています。


クマルカーフ (Q'umarka'aj)
場所:キチェー県サンタ・クルス・デル・キチェー市
時間:月~日 8:00~16:30
入場料:グアテマラ人 Q5、外国人 Q30
施設:駐車場、トイレ、博物館


キチェー族の都市跡。
都市はスペイン人に焼かれてしまっていますが、現在は遺跡公園になっています。


カミナルフユ (Kaminal Juyú)
場所:グアテマラ県グアテマラ市7区
時間:月~日 8:00~16:30
入場料:グアテマラ人 Q5、外国人 Q30
施設:駐車場、トイレ、博物館


現在のグアテマラシティに昔あった大きな都市跡。
グアテマラシティの都市開発のため、大部分が失われていますが、
一区画だけ遺跡公園になっています。


カミナルフユは紀元前1500年頃から西暦900年頃まで栄えた都市と言われています(諸説あり)。
オルメカ的な出土品もマヤ的な出土品もあり、
やがてティオティワカン(メキシコ)的な物も見られるようになっていきますが、
これが商業的交流によるものなのか、ティオティワカンに征服されたのか、その辺りもまだ不明。
カミナルフユの住民が後のキチェー族やカクチケル族になったと言われ、
ここもまた歴史的価値の高い都市跡ではあるのですが。


ちょっと離れた場所にあるミラフローレス博物館も
カミナルフユ遺跡に関係したものを展示しています。


イシムチェ (Iximché)
場所:チマルテナンゴ県テクパン・グアテマラ市
時間:月~日 8:00~16:30
入場料:グアテマラ人 Q5、外国人 Q50
施設:駐車場、トイレ、博物館、キャンプ場


カクチケル族の都市跡。
カクチケル族はスペイン人侵略者と手を結んだため
イシムチェのあったテクパンはグアテマラ最初の首都でもありました。


途中ですが、深夜になってしまったので、残りはまた後日。


[ 2012/07/22 23:54 ] マヤ | TB(0) | CM(0)

Fu Lu Sho 

日本の話はちょっと置いておいて、久しぶりにグアテマラ関係の話など。


というか、たまたま読んだ記事が気になっただけなのですが。


グアテマラシティの1区と言えば、
薄汚い、小便臭い、雰囲気悪い、建物汚い、治安悪い、てなイメージを持たれている方も多いかと思います。
実は私もそうでして、たまに通ると緊張したりします。
その1区が、数年前からセクスタ・アベニーダ(6a. Avenida)の整備もあり
今ではパセオ・デ・ラ・セクスタ(Paseo de la Sexta)という名前の
すっかりオサレな通りに変身してしまいました。
・・・という話をセマナ・サンタに書いたわけですが。


6a. Av.を通られたことのある方なら、
18 Calle辺りから中央公園に向かって歩いていくと中ほどに
中華料理のレストランがあるのをきっと覚えているのではないかと思います。
1区は中華のお店も多いのですが、6a. Av.にあるFu Lu Sho(福禄寿)というレストランは
一度見たらなぜか忘れられないインパクトがあります。


周囲になじんでいるようでなじみきらない、不思議な空間なんですよねぇ。


オープンは1956年、当時の大統領はアルベンス政権を倒したカスティーヨ・アルマス。
6a. Av.が華やかだった60年代(とか見て知っているように書いているけれど)、
内戦の暗い影に覆われた時代(これも実際のところは知らないけれど)、
そういう歴史と共に生き延びてきたレストランですが、
このお店が閉店せざるをえなくなるかもしれない・・・というコラムが
エル・ペリオディコ紙に出ていたのでありました。
そしてまたディナ・フェルナンデスがそれについてコメントしていたりとか。


Fu Lu Shoの場合はお店のある建物を買った家主が店舗の賃貸料の引き上げを求めており、
レストランの経営者はそんな金額はとてもじゃないけれど支払えないと言っているんですよね。
どうやら別のファーストフードレストランが家主に賃貸を申し入れており、
できることならさっさと出て行って欲しい、ということらしい。
というわけで6a. Av.の再開発のとばっちりと言っても良いのかも。


もちろんこの通りで営業していたお店の中にはとっくの昔に出て行ったところもあり、
その理由も治安の悪化とか、駐車場がなくて不便だとか様々で、
汚くて治安の悪い場所で営業続けてもジリ貧だったでしょうから
再開発されたからいけなかったとも言えないようには思います。


Fu Lu Shoだけを特別扱いするのは間違っているのかもしれないのですが、
60年以上同じ場所で歴史を綴り、
カピタリーノ(グアテマラシティーの人たちの呼称)達にも知られている
シンボリックなその場所がなくなってファーストフードになってしまうのは
ちょっとやりきれない気がします。


特に再開発された後に入ってきた店舗が
他の地区にあるモールにも入っているようなレストランやカフェばかりで
古き良き1区を思い起こさせる物とは縁遠いだけに
何とか残せる方法はないのかな・・・と私も思ってしまいました。


このお店、昔1,2度入ったことがあります。
エビタマドンだったか何か、そんな雰囲気のものを食べたようなかすかな記憶・・・。
実は昔1区に住んでいたことがあるので、この辺結構ブラブラしたりしてたんですよね。
ビンボー時代で、外食という贅沢はあまりできなかったのですが時間だけはあったので。
そういう自分の思い出ともちょっと重なってついついノスタルジー・・・。


アイデンティティーを守りながら再開発していくのは難しい。
この地区は建物も古いですから、維持費もかかりそうですしね。
いっそのことグアテマラシティーがこの地区丸ごと買い上げて
切り盛りしていってくれればいいのに・・・とかつい他人事のように思ってしまいました。




このビデオ、1区の再開発の話ですが、
最初の方にFu Lu Shoとレストランオーナーのマリエロスさんも登場しています。


新聞記事の方はすごい反響だったそうで、マリエロスさんも大いに励まされた模様。
家主と賃貸料金について交渉して、何とかお店を続けたいと言っておられます。


是非、そうなってくれますように。




[ 2012/07/18 23:47 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

大乗寺山 

私が育ったのは金沢市の南部の方なのですが、
この付近は室町時代に加賀の守護大名となった冨樫氏の城跡が近くにあり、
一向一揆ではおそらく鍬や鎌を持った農民たちが城に向かって走っていった・・・
らしい地域です。


現在実家のある野々市市はその金沢市南部に接している場所なのですが、
冨樫氏はその辺に住居を構えていたとか、
そう言えば冨樫氏といえば勧進帳でお馴染みの安宅の関の関守だったりとか、
現在一般的に観光名所となっている金沢の兼六園とか金沢城よりも
古くからの歴史が残されているのであったりします。
あ、そうそう、金沢の地名の由来となった芋掘り藤五郎さんもこの付近に住んでいた方でありました。


まあそうは言っても金沢と言えば兼六園とか武家屋敷とかいった江戸時代から残る場所や
最近では21世紀美術館が有名どころで、
そういった名所が並ぶ金沢市の中心部からちょっと外れた南部の方を訪れる観光客はさすがにいないのではないかしら。。。


唯一例外かもしれないのが大乗寺。
永平寺の流れを汲む曹洞宗の禅寺で、座禅堂では一般の方が座禅を行うことも可能で、
遠くから来られる方もいるのだとか。
もっとも私は座禅したことないけれど。。。


私は中学・高校と、この大乗寺から遠くないところにある学校でしたし
小学校ではちょっとした折にこの大乗寺のある山(文字通り大乗寺山)に遠出したりしていたこともあり
懐かしい場所なのですが、
数年前に開通した山環道路がこのすぐ近くを通っていて風景が一変してしまい、
数回通った今でもまだ迷子になってしまいそうな、そんな気になるところでもあります。


そんな大乗寺山ですが、
お寺の隣の丘陵部が整備されて大乗寺丘陵公園というのができあがったのが昨年のことだとか。
この付近、昔はずーーーーっと田んぼだったよなぁ~、などという感慨にふけりながら
金沢を一望してみました。


20120611 1613 daijoji park

向こうの方に見えるのは日本海。
それ以外の建物は、私には何がなんだか・・・
左側の大きな建物は多分泉が丘高校で、右側のは多分長坂台小学校。
私の母校はこの方向だとちょっと見えてないな・・・


20120611 1614 daijoji park

も少しアップ。
こじんまりとした町なんですよね。
金沢駅周辺や香林坊付近にはも少し高い建物もありますが、
この辺りはそういうものもあまりないかも。


小学校の低学年の頃、冬、この付近にスキー遠足に来たことがあります。
スキーというか、そりだったんですけれどね。
スキー場があるわけじゃなくて、雪が積もった田んぼを皆ですべりまくるという。


基本田んぼや畑ですから、そんなに傾斜はついていないのですが、
もともとが斜面ですから上の田んぼと下の田んぼの間は斜面じゃなくて段差になっていまして、
ここをソリでぶっ飛ぶのが楽しかったという記憶があります。


もっとも滑った後はソリをひっぱって上まで自力で登るわけで、
スキー場みたいに圧雪されているわけじゃないから、
あちこちではまりまくって大変なことになるんですけれどね・・・


でもそんなことを覚えているくらいだからきっと楽しかったんだろうな(笑)


20120611 1615 daijoji park

丘陵公園の反対側を向くと黒雲でした。
不思議なオブジェがあったり、紫陽花が咲き始めていたり。
もともと田んぼが多くて開けた山だったような記憶がありますが、


20120611 1616 daijoji park

こっち側はまだ林か森かが残っていたり。
そ言えばどこに言ってもカラスがカァカァうるさくて、
最初の頃はものめずらしげに見ていた小僧もやがては煩くなってしまったらしい。


20120611 1622 daijoji park

ちょいぶらりと立ち寄っただけだったので、
マップにある見晴らしハウスや見晴らしの丘には行ってませんが
視界がすっと開けて遠くが眺められるこういう空間って気持ちいいですよね。


お弁当持参で行って絵を描いたり歌を歌ったりしたら楽しそうだな~。
いや、日本ではそんなことしませんが(グアテマラでもそんなことしませんけれど)。


[ 2012/07/17 23:56 ] 旅行記 | TB(0) | CM(0)

日本旅行 VI 立山編 帰り道 

立山を潜り抜けて安曇野に出てきた翌日は、当然ですが帰途になります。
松本から梓川沿いを遡り、木曽路を横切ると岐阜県の神岡を通過して神通川沿いに富山に出るというルート。
山また山、温泉また温泉の景勝地続きで、子供の頃、夏休みの旅行などで訪れた場所も多々あります。


20120607 1838 Wasabi

安曇野の宿の夕食で出た生わさび。
自分でおろして食べるのですが、おろしているだけでもワサビの辛味が鼻に突き刺さる。
なんでこんなにおいしいんだろうって鼻の奥をツーンとさせながら味わったのでありました。
お刺身なくてもワサビだけで十分食事が進んだかも・・・


余談ですが、グアテマラ人なんかは日本に行くと寿司や刺身についてくるわさびを見て、
「オー、グアカモーレ!!!(マッシュアボカド)」と感激し、
そのグアカモーレらしきものをつかむとまるごとペロリ!と飲み込み、
3秒後には鼻をつんざく刺激に身もだえする・・・なんてことがあったりします。
そんなラテン系をどこかで見かけたら、まるごとペロリすると大変なことになるよ、と教えてあげてください。
間に合わなかったら、大量の水をあげて下さい。。。


辛いものは嫌いというよりは食べられない小僧でも、この生わさびは美味しかった模様。
というわけで翌日はまず安曇野名物わさび田を見に行くこととなりました。


20120608 0855 wasabi farm

豊富な湧水を利用してわさびが栽培されている大王わさび農場。
わさびソフトクリームとかわさびコロッケとかも食べてみたかったのですが、
朝食をたらふく食べた直後でさすがに食べる気にならず。。。
生わさびがよっぽど気に入ったらしい小僧は、売店で一本買っておりました。
それから数日間、皆でわさびを堪能したのは言うまでもありません!


松本からは梓川沿いの国道158号線で西へ。
水量豊富な梓川沿いには水力発電ダムがところどころにありましたが、
どれも東京電力なんですねぇー。
そんなこと気にしたこともなかったけれど、最近はダムがある度にしみじみ見つめてしまいます。
長野県は中部電力管内だけれど、東京電力の電気が供給されているのが松本だとかなんだとか、
そういう話がwikipediaに書かれていました。
ここら辺のダムも見事です。


観光バスが行き交いする上高地入り口を通り過ぎ、
安房峠のトンネルをくぐり、平湯温泉で休憩。
平湯からは国道471号線に乗り換えます。
ちなみに158号線をずーっと行くと、高山を経て福井へと到達するのだそうです。
石川県と岐阜県って県境を接しているのですが、両県を繋ぐ道路ってないんですよねぇ。
そんなわけで、岐阜から金沢へ行こうとすると基本富山経由になってしまいます。


20120608 1048 hida

まあでも遠回りしてもいいかなって思えるくらい景色がきれい。
471号線は高原川とつかず離れずの関係ですが、高原川は神通川の支流、つまり日本海側に流れていく川です。
私たちが通ってきた道だと、安房峠の辺りで太平洋側と日本海側に分かれる分水嶺がある感じ。


奥飛騨温泉郷上宝の道の駅で昼食を取り、次は宙ドーム・神岡って名前の道の駅で休憩。
ホントに車で旅行するのに便利ですよね、道の駅。
日本はどこへ行っても綺麗だしトイレもあちこちにあるし、
旅行するのに何の心配もいらなくていいなぁ~、とつくづく思います。


さて神岡と言えばスーパーカミオカンデですが、
このスーパーなカミオカンデのレプリカがここの道の駅に展示されています。
スーパーカミオカンデには直径40m、深さ41.4mの超純水入りタンクがあり、
その内面に11,200本の光電子増倍管が並べられているそうですが、これがそのレプリカ。


20120608 1315 super kamiokande (replica)

スーパーカミオカンデと同じ間隔で並べられているのだそうで、これが40mぶん・・・。
物理とか宇宙線とかはチンプンカンプンというよりはトンチンカンチンな私なので、
そこに展示されていたリアルタイムモニターについても「うひょー」という以外の感想が述べられないのが悔しいところです。
というわけで、私の説明は抜きでスーパーカミオカンデのサイトのイベントディスプレイの説明をペタリ。


それにしてもモニタリング情報がこんなところでも見られるなんてビックリです。
売店にはJAXAグッズもいろいろあって、見てて楽しかったです。


余談ですが、グアテマラからの経由地のヒューストンにはNASAの宇宙センターがありますので、
ヒューストンの空港にもNASAグッズがあったんですよね。
妙なところで宇宙と縁があるようなないような。いや、多分ないです。


神岡を抜けると後はゆるやかに下って行き・・・


20120608 1402 jinzu river

ここはもう富山市。
この神通川水系はやたらとダムやら発電所やらのありまして、
写真の向こうの方に実はダムがあるのでありますが、これではわからないかも・・・。


20120608 1404 jinzu river

この付近はもう山地を抜けて扇状地に出たところ。
最後のダムが確かこの木の陰に写っているはず・・・。
写っているのだから見えるはず。
そう、多分きっと心の目で見れば見えるんです!


ここまで来ちゃえば、後は普通に市街地を通って金沢方面へ帰ります。


こうして北アルプスを半周の旅はおしまい。
景勝地だらけの場所をさささーっとつむじ風のように駆け抜けるという贅沢旅(?)でしたが
水は豊かで緑の美しい季節の日本の山は最高!!!


と今でもしみじみ思うのでありました。


[ 2012/07/10 23:30 ] 旅行記 | TB(0) | CM(0)