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責任の所在 - リオス・モントのこと 

リオス・モントが大統領になった頃の
アメリカの大統領はロナルド・レーガンでした。
前大統領のジミー・カーターがラテンアメリカの左傾化に比較的寛容であったのとは対照に
レーガン・ドクトリンを掲げて、ラテンアメリカ諸国への介入を進め、
左傾化を防ごうとします。


当時、グアテマラは既に内戦中でしたが
エルサルバドルは1980年に内戦突入、
ニカラグアは1979年にニカラグア革命が起こり、親米であったアナスタシオ・ソモサが倒され、
サンディニスタが政権を取ります。
サンディニスタ政権に対してはアメリカが資金を提供して
反政府組織(コントラ)を結成して内政干渉したのは有名な話ですが、
そういうアメリカの姿勢がこの地域の内戦を激化させたのは言う間でもありません。


実際にどの程度の関与があったのかは明らかではありませんが、
おそらく軍事顧問がいて、CIAスタッフがいて、
国及び国軍のオペレーション策定に参加していたのではないかと思うのです。


もちろんそれを実行するのがグアテマラ政府で
故に軍事行動において虐殺行為が起これば責任を取るのは政府あるいは軍幹部となるわけです。


記事中に出てきたプラン・デ・サンチェスは、米州人権法廷に提訴され、
国に責任があることが認められた、数少ない虐殺事件の一つです。
判決には被害者への賠償と加害者の責任追及が盛り込まれており、
そういう流れも後押しして国内での裁判が行われ
3月には加害者5人に懲役7710年の判決が出ています。


ここで加害者と呼ばれているのは、プラン・デ・サンチェスの軍務委員と
国によって組織された市民警備パトロール隊(PAC)の4人で、
正規軍の兵士は一人も含まれていません。
多分、4人とも地元の人であったために身元がわかったのだと思うのですが
これでいいのかという気がするのもまた事実。


プラン・デ・サンチェスに関して付け加えておくならば、
この村では男性はPACに入れという軍からの指示があったのに対し、
住民らがそれを拒んでいたことから「ゲリラの味方」とみなされ、
事件当日までに村から逃げた人も少なからずいたのだそうです。


軍務委員やPACの隊員らは以前から住民に嫌がらせをしていたのですが、
7月に入ると村の上空を飛行機が飛び、村はずれに爆弾を落としていくという
警告のような出来事もあったのだそうです。
7月15日には国軍の短期駐留地ができ、村人に特定の人物の消息を尋ねるなど、
不安な感じは高まっていったのでした。


そして7月18日の午後、軍務委員やPAC、兵士ら60人ばかりのグループが村に到着。
村の出入り口となる道をふさぐと、住民を一ヶ所に集めます。
男らが隠れたのに女達が残ったのは「兵士は女性や子供には何もしない」と思われていたから。


後は記事中に書かれていた通りです。


「住民の友、保護者であれ」とされた国軍が一度住民の敵となった後、
堰を切ったかのように虐殺の波が押し寄せ、
まるで止まることが不可能であったかのようでした。


この間に何があったのかは不明。
この辺りをクリアーに説明できるような資料を私は見つけていません。


私はリオス・モント自身が虐殺を命令したことはないのだろうと考えますが、
リオス・モントが告発されたことで、
どうしてこれほど多くの虐殺事件が起こってしまったのかなどが明らかとなり
責任の所在がはっきりしてくれればいいと願っています。


なお、数回に分けてアップした「戦いを好まなかった将軍」、
誤字、誤訳等を訂正した後、
PDFにしてアップしてみましたので、宜しかったら見て下さいね。
Issuuのサービスを使ってみたのは始めてなので、今一つ使い勝手がよくわかってませんが。
タイトルは「戦おうとしなかった将軍」に変更しています。
http://issuu.com/xiroro/docs/001