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大統領の日記 その1 

大統領の日記

2月27日

今朝の新聞を見てビックリ。
だって、軍が国会議員20人に勲章をおくることになったって、
しかも、ボクが授与することになってるけれど、そんな話聞いてないし。
チクショー、奴ら、またボクのいないところで勝手に決めやがって。


頭に来たから、早速参謀総長を呼び出してやった。
食えない男なんだよな、コイツ。軍人なんて全然信用できない。
だから、出だしっからピシッと言ってやったんだ。

ボク 「こんな話が新聞に出ていたが本当かね」
アイツ「は、大統領閣下。今日、ご報告させて頂く予定だったのですが」
ボク 「いや、こんなのはダメだ。国会議員個人にやってはならない。
    授与するなら、国会の旗に対しておくりたまえ」
アイツ「は、旗ですか?」
ボク 「そう、旗だ。じゃ、ボク、急いでいるから後はヨロシク」


アイツはポカ~ンと口を開けたまま、座ってた。
あの間抜けづらったらホント、写真に撮っておけば良かったな。
そんなこんなで今日の朝はすっごく気分が良かった。


その後、警察学校の新校舎の開校式があったのでその場を借りて早速報告。
「国防省への予算増額に尽力を尽くした議員らに勲章をおくるつもりだったようだが
 そんな馬鹿げたことに国家予算を使ってはならないと厳しく言い渡した。
 (だってサンドリータのプログラムにお金送らないと、ボクが怒られるし)
 どうしても国会に感謝の意を表したいというのなら、国会の旗におくるよう指示した」。


ボク、格好良かったよなぁ~。
我ながら名演説だったとホレボレ。
これでちったあボクの人気も上がるかな。





monjablancaの日記

2月28日


最近、コロンってパラノイアなんじゃないかって気がするんだけれど
どうなんだろう。


自分はフィデルのところに勝手に勲章もっていきながら
国防省が国会議員におくろうとしたら、「それはダメ」って、
勲章の価値を落とした張本人に言われたかないよねぇ~。


大体、「国会の旗におくれ」って、旗なんてないじゃん。
単なる無知なのか嫌がらせなのか、
どうでもいいけど、コロンが思いつきで言った言葉に
周囲が振り回される様は笑うべきなのか、嘆くべきなのか。


ともかく、コロンの任期終了まで、あと2年10ヶ月と15日。
先は暗い。



[ 2009/03/01 22:02 ] 大統領の日記 | TB(0) | CM(0)

証言 

どうしようかと迷ったのですが、TBすることにしました。
TB先はこちら
日本の某大手新聞社のオンラインサイトにある風変わりなコラムです。
まずはそちらの方から読んで頂きたく。


コラムに出てくるアルゼンチン映画、
La noche de los lápices(ラ・ノーチェ・デ・ロス・ラピセス)という
1976年にアルゼンチンで実際に起こった弾圧事件を描いたものです。
この映画について書くのが今回の目的ではないので内容についてはスルーしますが、
Googleビデオにアップされていますので、見てみたいという方はこちらで。
ただし、スペイン語音声のみ。90分弱の映画です。




さて。


その映画を見たり、事件について調べたりしていた時に
引っかかってきたのが
ミゲル・エチェコラツ(Miguel Etchecolatz)という人物。
(私にはエチェコラスと聞こえるのですが、
 エチェコラツという表記が定着しているようなので、こちらで)


1976年から83年、アルゼンチンでは政府による国民への弾圧が繰り返し行われていました。
私はアルゼンチンについては詳しくないので間違いもあるかもしれませんが、
汚い戦争と呼ばれるこの弾圧行為、
やはりこれも冷戦の影響を受けたもののようで、
政府が弾圧したのは左派、あるいは左派と見なされた人物でしたが
政府はこれを「国家再編成プロセス」と呼んで正当化します。
(ちなみにこのアルゼンチン・メソッド、後に中米に輸出されたそうです。
 まったく、いらんことを・・・)


この弾圧による行方不明者は13000~30000人とされていますが、
当時の弾圧行為、軍政下の犯罪であり、長らく恩赦の対象となっていましたが、
2005年にアルゼンチンの最高裁が恩赦法を違憲と判断したことにより
近年、当時の軍幹部らへのやり直し裁判が続いています。


エチェコラツは映画の事件当時、
ブエノスアイレスの警察の要職にあった人物で
アカ狩りの指揮を取っていました。


エチェコラツは2006年、殺人、拷問、誘拐等の罪で終身刑の判決を受けますが
彼の有罪の決め手となったのは、当時やはり拉致され、拷問を受けたものの
生き延びることができた人たちの証言によります。


その証人の一人がホルヘ・フリオ・ロペス(Jorge Julio López)。
1976年10月に拉致・監禁され、拷問を受けたものの生き延び、
2006年のエチェコラツの裁判には原告として参加し、法廷で証言しています。


その法廷でのロペスの証言。
これが今日の本題です(あー、やっと辿り着いた)。
このブログに関係のないアルゼンチンの話をするのも、
このロペスの証言の映像を見ていただきたかったから。
先日のロメロ大司教の説教と同じように、
記録に残す価値のある、貴重な映像だと思います。


聞き取れる範囲で聞き取ったスペイン語と
(アルゼンチンのスペイン語は、本当に聞き取りにくい・・・)
その簡単な訳を【続きを読む】のところにアップしておきますのでご参考まで。
(間違ってる箇所もあると思うので、ご指摘頂ければ有難き幸せ)。
でも、言葉の意味よりも何よりも、見ていただきたいのが映像です。




2006年と言えば弾圧事件から30年。
アルゼンチンでさえ30年が必要だったという事実は重いです。


グアテマラでもリゴベルタさんがリオス・モントを告発しようとしましたが
結局諦めて、スペインまで行って告訴していますからね・・・、
そのスペインでの裁判の方も、最近はとんと音沙汰を聞きません。


スペイン大使館焼き討ち事件のような、
明らかな国際法違反の事件についても
国内では一切裁きが行われていないくらいですから、仕方ないのかな。


話は戻ります。
ロペスさんらの証言もあってエチェコラツは終身刑となりますが、
証言をしたわずか3ヶ月後の2006年9月18日、
ラ・プラタ市役所に向ったはずの彼が突如失踪、
その行方は現在に至るまで不明のままです。


まだまだ汚い戦争時代の裁判が続くわけですから、
見せしめとして処刑されたと思われるのですが
表向きは民主主義の世の中で、
それもアルゼンチンのような国でこんな事件が起こるとは。
言葉もありません。


アルゼンチンでもそうなら
グアテマラのこれは仕方ないのか。
リオス・モントが生きている間に
有罪判決が下されることはあるんでしょうか。


せいぜい長生きしてちょうだい、リオス・モント。





[ 2009/03/01 00:44 ] | TB(0) | CM(2)