11月1日は、諸聖人の日で祝日。 この祝日、基本的にはカトリックの祝日が国の祝日となったもので、カトリック教会のカレンダーでは翌2日は死者の日(こちらは祝日ではありませんが)。 そのため、この1,2日の両日は、ちょうど日本のお盆のような感じです。帰省してお墓参りする人も多いですし、この時期特有の食べ物「フィアンブレ(Fiambre)」もあったりします。 一方、ちょっと変わっているのは、凧揚げ。かなり大きな円形凧を墓地であげるのです。 これは、かなりマヤ的な要素の強い行事なのですが、地上と彼岸の世界を結ぶのがこの凧。この凧揚げで、亡くなった人たちとコミュニケーションを取る、んだそうです。 ・・・・・・実際に、彼岸の世界の人たちからの音沙汰があるのかどうかは、誰も教えてくれなかったりするのですが。 もっとも、この凧揚げの習慣が今でもある町では、この行事はすっかり観光化されていて、凧フェスティバルみたいになっています。有名なのがサンティアゴ・サカテペケスとスンパンゴ。いずれもグアテマラシティからそう遠くない場所ですので、凧を見に行く人も多いです。 こんな大型のタコ、上がるのかな???と思うのですが、ちゃんと上がるんですよね。こちらの写真を見ていただくと、大きさがわかるかな・・・・・・。 この時期には、巷でも子ども向けの小さなタコが売られています。こちらの方は、なかなか上がらなくって、お父さんやお母さんは大変なのですが・・・・・・。
最近、どうもケッツァルが強い。 グアテマラのこの通貨、実は、かなり長い間、1ドル=Q7.60くらい(中央銀行の買いレート)を保っていたのですね。多分、半年くらいかな。 それが、9月の後半あたりから、じわじわとドルが強くなり、10月半ばには1ドル=Q7.74まで行ったのです。 ところがこの10月の後半はケッツァルの急上昇で、10日後の25日には1ドル=Q7.60。なんだか、ふりだしに戻る、という感じです。 どうやらこのケッツァル高、熱帯暴風雨&ハリケーンのスタン君の影響らしいです。スタンが大きな被害を国内にもたらしたため、外国からの送金額が増えている(多分、これって、政府間援助も含まれているんでしょうねぇ)ので、折角ドルが強くなってきたところだったのに、一転ドル安に転じてしまったんだとか。 おのれ、スタンめ。 私の職場は給料がドル払いなので、このレートの変動には皆一喜一憂するのです。だって、この24センターボの差って、大きいですよ。 1000ドルを換金するとして計算してみましょうか。7.74レートならQ7740ですが、7.60レートだとQ7600で、Q140もの差が出てしまう。 お昼の定食5~6食分が、これで飛んでしまうのです。はああ。 一方、スタンのお陰で物価は上昇気味。おまけに学校の来年の登録(この国は公立も私立も毎年登録しないといけない)があって、再登録料を支払わないといけない時期となってきました。 寒波到来で冷え込みの厳しい今日この頃ですが、私のフトコロも冷えびえ・・・・・・。 ま、でもそこを何とか切り抜けていくのが、主婦の腕の見せどころ、なんでしょうねぇ。がんばろっと。
ウィルマちゃんが2泊もしていった、カンクン(メキシコ)のホテル街は大変な有様になってしまいましたが、人的被害が最小限に止まっているよう。キューバも水浸しとなり、戦々恐々としていたフロリダは、電気を消していく(停電)というウィルマの頭脳プレー?にやられてしまいました。 ハリケーンといえば、ウィルマの次のアルファってのも生まれまして、ホント、ハリケーン尽くしの今年です。 さて話しは変わりまして。土曜日あたりから、見慣れない戦闘機が上空をビュンビュン飛んでいるのを見かけます。これ、米空軍のF15、F16戦闘機なんだそうな。 いえいえ、ご心配なく。グアテマラを攻撃に来たわけではありません。この水曜日に航空ショーがあるのですが、そのためにわざわざはるばるやって来たサンダーバード部隊、なんです。本番のために、この上空でいろいろと練習をしているところ、なのですね。 この国、ラ・アウロラ国際空港にはグアテマラ空軍も駐留しているのですが、民間機の間をかいくぐってF15やF16が轟音をけたてて飛んでいくのが見えているのでした。上空たか~くまで上って宙返りして降りてきたりするのを、息子と二人でほけーっと見ていた私たち。 飛行機好きの息子は、もう自分がパイロットになって宙返り飛行をしている気分になってしまったようです。 サンダーバードがグアテマラにやってくるのは、今年が初、です。そして、これには実は大きな意味があったりします。 今年3月、ラムズフィールド長官(当時)がグアテマラを訪れ、ベルシェ大統領と会談したことがあるのですが、この際約束されたのが320万ドルに上る軍事援助。 空軍の装備改善と訓練、がこの援助の目玉になっているのですが、実は70年代、アメリカはグアテマラの空軍に多大な援助をしたものの、思ったほどの効果が見られず(何よりも、パイロットの技能不足がひどかったんだとか)、80年代前半頃にこれを止めた、という経緯があります。 今回のサンダーバードも援助の一環なのでしょうね。何よりもまず、グアテマラのパイロットへデモンストレーションして見せてやれ、ってことなのかもしれません。 さてこの空軍。存在してはいるものの、持っている戦闘機は今にも落ちてきそうな旧型機。実は戦闘機よりも、ヘリコプターをメインに使っているような空軍だったりします。 空港内にある空軍の演習場は、演習場というよりも、軍のサッカーチームの練習場という感じだし・・・・・・。この軍事援助で、グアテマラ空軍は変わっていくんでしょうかねぇ?まだまだ疑問、です。
最近明るいニュースのないグアテマラですが、また一つ。 南部のエスクイントラに凶悪犯ばかりを収容した、その名も「地獄(El Infierno)」という名の最重警備刑務所があるのですが、ここから19人が脱獄したという話。 なんでも、6ヶ月前から収容されていた房の床下を掘ってトンネルを作っていたんだとか。この、全長約120mのトンネルには、ランプやら換気用の扇風機やらあったんだそうで、何とも開いた口がふさがらないです。 この房、床はコンクリートパネルだったのですが、パネルをめくるとそこには穴がぽっかり。この国、刑務所の床を掘って脱獄するケースが後を絶たないのに、コンクリートの流し込みではなく、薄いコンクリートパネルを並べただけだったんですね。これで最重警備刑務所かい。 更に。トンネルを掘るわけですから、道具も必要ですが、何よりも、掘った後の泥が問題になりますよね。どうやら、看守がこれを廃棄するのを手伝っていたのではないかと見られています。ランプやら扇風機やら持ち込むのだって、誰かが手伝ったんでしょうし。 ここに収容されているのは、誘拐犯を中心とした凶悪犯。脱獄すれば、裁判で証言をした人たちが狙われる可能性も否定できず、被害者や関係者は落ち着かない日々を送ることになります。 この刑務所、2001年にも78人が脱獄するという、グアテマラ史上最悪の脱獄事件がありました。こういう、治安関係のニュースを追いかけると、どうもこの国が良くなっているのではなく、段々悪くなっているようにしか思えなくて、不安になります。 スタンの被害があった時にはメキシコのタパチュラの刑務所でも脱獄があったそうで、「どさくさに紛れてグアテマラに逃れてくるのではないか」と心配されていましたが、対岸の火事どころではなかった、って感じです。 再逮捕できるといいんですが・・・・・・、難しいんでしょうね、やっぱり。
グアテマラ市内にある古代遺跡といえば、カミナルフユ。 それが、先日、どうやら先古典期の遺跡がZona 14で見つかったそうで、これにはちょっとびっくり!です。なんでって、私が住んでいるのがこの辺り。 この遺跡、ラ・クレブラ(La Culebra)と呼ばれています。昨年から発掘作業が開始されていたそうなのですが、掘ってみると大判小判がザックザク・・・・・・ではなくて、ピラミッドの土台なんかが出てきたそうです。 恐らく紀元前600年頃のものと見られるこのマウンド、カミナルフユ同様、土でできた建造物。この発掘作業にあたった考古学者でさえ、 「こんなところに先古典期の遺跡があるとは・・・・・・」とビックリしているような有様。 まだ遺跡の詳細は不明で、何のためにこの建造物が使われていたのかもわかっていません。カミナルフユからは結構距離もありますし・・・・・・。今まで知られていなかっただけで、グアテマラシティって、掘ってみると、一面遺跡、だったりするのかしらん。 今回のこの発掘作業、実は別の目的のために行われていたのです。この場所(ちょうどZ10とZ14の境目)には1774年に建造された水道橋の遺跡(現在は使われていない)があるのですが、新しい建物の建設計画があったために、この遺跡を掘ってみることになった。んだそうです。 でも、この付近、既にいくつものビルが建ってるけれど、その時はちゃんと調査しなかったの???てな疑問も沸き起こります。この付近、高級アパートを含めた住宅がびっしりと立ち並んでいる地区で、今さら他のところを掘り起こすこともできないでしょうしね。 この水道橋、空港の北端をも走っているのですが、ひょっとして、この空港を掘り起こすと、こういうマウンドやらピラミッドやらが、それこそザクザクと出てくるのかも! ちょっとわくわくする話、だと思いませんか?
ハリケーン・ウィルマはユカタン半島で猛威をふるっているようですが、こちら、グアテマラには大きな影響は出ていません。 やっとこすっとこ、スタンの影響から立ち直りつつあるところですからね。パンアメリカン・ハイウェイが木曜日に復旧した。と思ったら、今度はアンティグアへ行く道で土砂崩れ。車が一台土砂に埋もれたようですが、幸いなことに軽いケガですんだようです。この土砂は土曜日中に撤去された模様ですが。 さてさて、そのスタン君の災害復旧支援に、各国からの援助が届いていますが、各国の緊急援助を比べてみました。内容は10月17日現在のもの。 ●アメリカ:320万ドル及びヘリコプターの提供 ●カナダ:医師団の派遣、支援物資の提供 ●チリ:5000ドル及び医薬品、飲料水等支援物資の提供 ●コロンビア:ヘリコプター2機、医薬品、食料、生活物資等の提供 ●キューバ:300人の医師団の派遣及び医薬品の提供 ●ホンジュラス:24万ドル ●ベネズエラ:専門家の派遣及び医薬品の提供 ●パナマ:医薬品の提供 ●米州機構:15000ドル ●ドイツ:155千ユーロ(復旧支援に20万ユーロ) ●日本:91千ドル ●スペイン:955千ドル及び消防士・医師の派遣 ●台湾:15万ドル ●フランス:消防士 ●EU:50万ユーロ ●スイス:災害専門家の派遣 ●国際赤十字:134千ドル及び専門家の派遣 ●AID(アメリカの国際協力財団):食糧200万ドル相当 などなど。これ以外にも、国際機関、NGOなどが緊急援助を行っていますし、モノが届かないものの、既に支援を表明している国もあるんだそうです。 これとは別に、グアテマラ政府は緊急支援として2200万ドル近くを国連を通じて国際社会に要請しています。今のところ、スウェーデン、ノルウェー、オランダ、アメリカ、カナダ、イタリア、ルクセンブルグ、フィンランドが支援を明らかにしており、金額も既に1500万ドル近くに上っています。なお、このお金は国連が管理し、6ヶ月以内に全て使い切らないといけないんだとか。 さて、復旧支援の方ですが、こちらはスペイン、ドイツ、EUが既に援助を表明しています。 さてさてこの数字、日本の皆さんはどうご覧になるか。先進国からだけではなく、近隣の国からも援助が来ているあたりが嬉しいんですよね。 それにしても、某援助大国の影が薄いのがちょっとばかりサビシイですが。
来週で息子の学校も終わりとなり、2ヶ月以上に及ぶ長い学年末休暇に入ります。 この長い休暇を、どう子どもに過ごさせるかは、親にとってはなかなか頭の痛いところ。そこで、「休暇コース」と銘打った、この休暇向けの特別コースのご登場となります。 とは言っても、内容はお勉強じゃないんです。スポーツ、ダンス、音楽、図工など、勉強以外のものが主で、この時期、実にたくさんのところで扱っているんです。場所によってはスポーツオンリーだったり、室内専門だったり、スカウト活動(えーっと、スカウトするのスカウトじゃなくて、ボーイスカウトとかのスカウトです)なんてのもあったりと、内容も様々。 息子の学校では、11月から1ヶ月間、3歳から13歳を対象にこの休暇コースを行います。スポーツ、音楽、図工、演劇の他、学校に一泊してのキャンプファイヤーと天体観測なんてのもありまして、なかなか楽しそう。 バスサービスもあることだし、勝手を知ったる自分の学校ですから行きやすいよね。というわけで、ここのコースを取ることにしました。費用は、バス代込みでQ1,300(約$170)。他のコースと比べても、ま、リーズナブルなお値段かと思います。 うちの子は比較的すんなり「ボク、行く」と言ってくれましたが、もう少し大きくなってくると、親の思い通りにはいかず、なかなか大変なようです。そりゃあ、毎日わざわざどっかへ行って何かするよりも、家で遊んでいた方が楽しいかもしれない。 1ヶ月くらいの休みなら、それでもいいかもしれないですけどもね。2ヶ月も続くとなると、親的には「もうちょっと何かタメになることを」と思ってしまいます。 どんな風に過ごしたって、時間は同じように過ぎていくわけなのですが、できることならこの2ヶ月を豊かに過ごしてほしい。どんな風になりますことやら、私もちょっと楽しみです。
明日、20日は革命の日で祝日。革命、といっても、フランス革命みたいな血なまぐさい革命のお話しではありません。 グアテマラの歴史上は、「独裁政権が倒れて民主政治が始まった」革命、と位置づけられているようです。80年代末から、1944年まで、グアテマラでは独裁政権が続きました。コロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア・マルケスが思わず「族長の秋」のモデルとせずにはいられないような、「強い男」が続出したのですね。1898年から1920年のマヌエル・エストラーダ・カブレラ、1931年から44年のホルヘ・ウビーコなどがそうです。 ウビーコの時代は、ちょうど第二次世界大戦が起こった時期でしたが、国内の勇気ある市民が「311項目の覚書」を突きつけてウビーコの退陣を要求。泡を食ったウビーコは国外へと「逃亡」し、あっけなく革命は成功します。 この無血革命、当時としては、本当に天地がひっくり返るほど大変な出来事だったのではないかと思います。今の北朝鮮で、市民が結束してキム・ジョンイルに反旗を翻す、なんてことを想像してみてください。当時としては、それに匹敵するくらいのことだったと思うのです。 もっともこの「民主主義の春」はグアテマラでは長続きしません。45年にフアン・ホセ・アレバロが、続いて50年にはハコボ・アルベンスが大統領として選出されますが、「共産主義者」とアメリカからレッテルを貼られたアルベンスが失脚するのが54年。 この後、グアテマラは暗黒時代に入ります。そう、軍の独裁による内戦の時代。「民主主義の春」を大きく後退させたのがこの時期です。ひょっとして、革命がなければ、「民主主義の春」がなければ、この内戦もこれほど酷いものにはならなかったのかもしれない。正直、そう思います。 それでも、先人が命がけで成し遂げたこの革命。スペインの衰退に伴ってタナボタ式に落ちてきた「独立」よりも、ある意味ではもっともっと価値のあることではないかと、私は思うのです。
ブルブルブル。最近、好天が続いているのですが、冷え込みが厳しくなってきました。6時半の気温が15度。どうやら寒波がやってきているようです。 西部、ウエウエテナンゴのクチュマタン山脈付近では零下10度、西部(サン・マルコス、ケツァルテナンゴ付近)では零下7度にまで下がるとの予報もあり、いやはや雨の後は寒さと、何だか大変なことになってきました。 ・・・・・・ただし、こういう風に冷え込むのは乾季の天気の特徴っぽいですけれどもね。ひょっとして雨季は終わっちゃったのかなぁ~。 一方、大西洋側は熱帯暴風雨Wilmaがニカラグア付近をお散歩中。お気づきになった方もいるかもしれませんが、ハリケーン・熱帯暴風雨の名前、ついにWまで来てしまいました。次にハリケーンなんかが発生したら、一体、名前どうするんでしょ??? と思ったら、今度はギリシア語のアルファベットでつけていくようです。つまり、次はアルファなんですって。日本語の五十音使えば、もっと楽チンだと思うけれど・・・。 さてこのWilma、今年21個目の熱帯暴風雨なわけですが、この21個という数、1851年に熱帯暴風雨の記録をつけるようになって以来、この154年間というものの、1933年に一度あったきり、なんだそうです。そのうちハリケーンまで出世?したのが12個。 このハリケーンのうち、Vince君は、なんとイベリア半島にまで到達するという熱帯暴風雨の歴史が始まって以来の偉業!?を成し遂げております。そう、スペインやポルトガルにまで行ってしまった。地元の人もびっくりだったんでしょうね。 そんなこともあって、その一挙一動が注目されているWilmaちゃんですが、今のところはユカタン半島で北にそれ、カリブ海を抜けていく、と見られています。 ジャマイカやニカラグアでもう被害が出ているようですが、どうか大きな災害とはなりませんように。
あと10日もすれば、サッカー小僧の息子の学校もおしまい、となるのですが、この期に及んでもまだ「総合学習」なんてのがありまして、今週末は「たんぱく質は何の役にたつのか」という宿題がありました。 「肉を食べるとどうなるか」とかいうんじゃなくってね。大体、たんぱく質なんて知らないのにね、サッカー小僧は。「たんぱく質って、どんな色?」とか聞かれて、往生しましたよ私は、ハイ。 公立校も、普段なら10月の半ば、ちょうど今頃から学年末休み!となるのですが、今年はハリケーン(アドリアンとスタン)のお陰で学校が休みになることも多かったためか?いきなり、10月末まで授業するんだそうです。実質休校になったのは5日間程度だと思うのですが、2週間ばかりの延長。なんだかこれもよくわかりませんが、こういうことには反対しがちな教員の労働組合も、今度ばかりはさすがに何も言っていません。 今回、被害を受けた学校も多く、被災地では今年はもう授業はありません。今までの成績を元に、今年の成績をつけるそうですが、そういう元データすら、泥に飲み込まれたところも多いのではないかしらん・・・・・・。 ハリケーンといえば、息子の学校でも、救援物資集めがありました。学校側ではなく、生徒(高校生)主催によるものです。趣旨はいいと思うのですが、プレパのチビスケじゃあ、大したものは持てないですから、やむを得ず、私が学校まで送っていきました。いつもながら、お母さんは大変。 息子の学校だけではなく、多くの学校で同じような活動があったようですが、それにしても、若い世代が、こうして自分たちで何かをしようとしてくれることには、希望を感じますよね。
先週一週間、首都では雨らしい雨は降らなかったものの、パン・アメリカン・ハイウェイがロス・エンクエントロスの手前(首都から行った時、の話ですが)の、チュポル村で大陥没。で車が通れなくなりました。人は通れるみたいですけどもね。 今年の雨季は11月の半ばまで続く・・・という予報もあり、まだまだ安心してはいられないようです。 一方、アマゾン流域は30年ぶりとかいう大旱魃。北米大陸と南米大陸の雨の降り方がどうも逆なんじゃないかという感じです。 金曜日のSiglo XXI(シグロ・ベインティウノ)紙に、 「15人を救出しても十分ではない」と題した、タカナの自治消防団員の記事が出ていました。ちょっと長くなりますが、今日はこれをご紹介してみたいと思います。 * * * * * * * * * * * * 彼の家族はかすり傷一つ負わなかった。家も無事なら、ペットも元気で、その点では彼は運が良かったと思っている。しかしながら、この一週間というものの休むことなく働き続けたため、長靴は泥でまみれ、スコップを握る手はがちがちになってしまった。 7日ばかり前のこと。サン・マルコス県タカナ市のマウリシオ・アリエル・メリダは、その町の唯一の自治消防団員として、名の知られた人物であった。彼の言うところの「天職」が、近くの町で起こった土砂崩れから、15人を救い出したのであった。 すべては一本の電話から始まった。「午後3時頃だったか、携帯電話が鳴ったんです。私の家から約2kmのところにある、クア村からの緊急の呼び出しでした。土砂が落ちてきたということはわかっていましたが、あんなにひどいとは夢にも思っていませんでした」。 現場につくのにかかった時間は数分間であった。しかし、その時目にしたこと、耳にしたことを消し去るには数年が必要であろう。いや、あるいは決して消え去らないのかもしれない。おびえた住民が右往左往する騒音の中、助けを求める女性の声が耳に入った。 その声は土砂に埋もれ、今にも屋根が壊れそうな家の中から聞こえてきた。隙間から食堂に入ると、女性が泥の中でもがいていた。テーブルの下には、6歳の女の子の小さな体が見えた。 「最初に、母親の方を助けようと思いました。ですが、その時にはもう隙間がふさがっていたんです。若者たちがつるはしで屋根を壊し、そこから女性を助け出しました。そこで、女の子を助け出そうとしたのですが、腕の中から滑り落ちてしまいました。泥がどんどん上まで上がってきて、もう子どもを見つけられませんでした。真っ暗で、何も見えなかったんです。やっと何かに触れたと思ったら、それが彼女でした。でも、もう既に息がありませんでした」。 泥の中で亡くなった女の子のことを思うと、夜も眠れないという。15人を救出したという事実すらも、その女の子が自分の娘であったかもしれないと思っただけで感じる苦痛を和らげることはできない。 「最初に子どもを助けるべきでした。泥が女の子を飲み込もうとしていたのに、自分はそうしなかった」と涙を拭う。 「時間をもとに戻して、彼女を蘇らせることができるなら、命をあげてもいい。だけど、それはかなわないことです。であれば、自分にできることは、もう誰も死ぬことがないように働くことだけです」。 何人もの命を救うことができたにもかかわらず、マウリシオは、この時のことをいつまでも忘れることはないだろう、と言う。住民たちも、この夜、彼がしたことを忘れないであろう。この救出活動で、彼には新しい名前がつけられた。「英雄アリエル」。今ではそう呼ばれている。
敗戦の虚脱感がそこはかとなく漂っているグアテマラです。 曰く、「グアテマラはやるべきことをやったのに メキシコがやるべきことをやらなかったのが悪い」んだとか。 つまり、トリニダード・トバゴに負けたアンタが悪い、と。 モノは言いよう、ですよね。
3-1の勝利。だけど、それでも届かなかった! トリニダード・トバゴがメキシコに2-1でまさかの勝利。これでトリニダードが4位確定、5位となったグアテマラは、残念ながらバーレーンとのプレーオフにまではたどりつかなかったのでした。 最後の最後でいい試合を見せてくれただけに、ホント、悔しいです。 それにしても、勝たなければならない試合で、ホームとは言え、メキシコ相手に勝ったトリニダードはすごい、と思います。追い上げるものの強み、なのかも。 ものすごく残念なのですが、ま、これで、ハラハラドキドキの心臓の止まりそうなゲームからはしばらく解放されるかな。4年後に期待、ですね。
泣いても笑っても今日が最後。W杯予選の話です。 この前のメキシコ戦でのボロ負けのせいで、国内では悲観的な見方が主流。この試合は、チケットの売れ行きもかんばしくないらしく、物事を悲観的にとらえがちな、グアテマラ人の性格が表れているようにも思います。負け犬根性、って言ったら言いすぎかしらん。 ま、チケットが売れないのは、ハリケーン・スタンの影響だよ、っていう話もありますけどね。こういう風に責任転嫁されると、ハリケーンの方が「またおいらのせいかい」って気を悪くしそうな気がするんですけれど。 それはともかく、トリニダード・トバゴに負けた辺りから、監督、選手に対する批判が少しずつ強くなってきていたのですが、メキシコ戦の後は、これが一気に噴出しています。 過激な意見は「みっともないから、いい加減もう試合に出るのやめろ」とまで。こういうのって、代表チームへの複雑な愛情の表れなんでしょうねえ~。何せ、皆が皆、代表チームの監督になったつもりでコメントしますものね。こんな国で代表チームの監督やるのって、なんだか大変そう。 対する相手、コスタ・リカは、もう出場が決まったので「イエロー・カードをもらっている選手は出さない」方針なんだそうです。お陰さまで、パウロ・ワンチョペとかヒルベルト・マルティネスとかいった主力選手が出てこない。ニヤリ。ここはチャンスですよぉ~!(何だか最近いつもこう言ってるような) しかも、このコスタ・リカチーム、昨日グアテマラ入りした後は、競技場に近寄ることもなく、ホテルで休養。当日、少し体を慣らす程度ですませるようで、もう、さすがの余裕を示してくれています。 たかがサッカー、なんですけれどもね。「絶対負けるに決まってるさっ!」なんてうそぶいているそこのオヤジも、何だかんだ言いながらも、気にせずにはいられないのがこのサッカー。当地、18時キックオフです。
月曜日は久しぶりに太陽が午前中ずっと顔を出していました。お久しぶりぃ~! 午後は少し雨もパラツキましたが、首都ではその程度。 今日火曜日も、朝から晴れの天気です。 日曜日からこちら、新たな被害は出ていません。昨日の好天を受けて、今まで救援物資の届かなかったところにも、やっと食べ物等が届き始めたようです。 でも、どうやらこの天気も長続きしなさそう。天気予報によると、コスタ・スール(太平洋岸)を中心とした雨がまたしてもやってくる、んだとか。タメイキです。 一方、市内のスーパーの店頭からは野菜が姿を消しています。日曜日にはじゃがいもとブロッコリーとカリフラワー以外はまだまだあったのですが、月曜日にはもう売り場がスカスカ。いやはやこの先どうなることやら。こちらの方も心配です。 かと思うと、我が家のカナリアのチャロ君が、寝ぼけたのか?夜中に止まり木から落ちたらしく、朝見てみるとなぜか水入れの中。一晩、そんな寒いところにいたのかと思うと、可哀想なんですけれど、なぜか笑える。 こんなところにも思わぬ水害??? いや、ひょっとしたら、これはチャロ君なりの、連帯感のなせる業、だったのかも。
首都では今日から学校も再開となり、曇り空の下、息子は学校へと出かけました。 この週末は、マスコミを中心とした救援物資集めが盛んに行われていました。お役所系のもあるのですが、「ネコババしている人がいる」とどうも評判が悪いのもこちらの方。 私だって、どちらを選ぶ、といわれたら迷わず民間系を選びます。 被災地へのアクセスができず、未だに救援物資の届かない地域も多々ある中、死者の数は昨日までで652人。 グアテマラの歴史を見てみますと、首都が自然災害で大ダメージを受け、遷都されたという事実が2度ばかりあります。 一つは、有名なアンティグア。こちらは地震でした。 もう一つがアンティグアの前の首都、現在のシウダー・ビエハ。この町はアグア火山からの土石流でやられたと伝わっています。そう、ちょうど今、この国のあちこちで起こっているような災害、ですよね。その年も、やはり雨の多い年だったのでしょうか・・・・・・。
もちろん、近年にない多雨が、この被害を招いたことは否定しませんが、余りにも脆弱な国内の治水対策、護岸工事、そして森林破壊が、今回の被害の拡大を招いてしまったように見受けられます。 今度こそ、中長期にわたるしっかりした国土建設を行ってほしいものですが。
パキスタンの地震もとんでもない被害をもたらしているようですね・・・。 CNNのサイト(英語版)がグアテマラの被害を、ビデオの画像なども交えて取り上げていますので、宜しかったらご覧になって下さい。 昨日のニュースでは、飼い主の遺体が埋まったところでなきつづける犬の様子が報道されていて、いや、もう、胸が痛かったです。 追記: BBCのサイト(やはり英語版)もやはり写真やビデオがありますので、ここにリンクしておきます。ビデオの画像はCNNのものより良いかと。BBCのスペイン語のサイトの方はビデオこそなさそうですが、英語版と違う写真がアップされています。右側のImágenesのところ、Abrirをクリックすると、写真が出てきます。
悲しい話題といえば、他にもあります。負けてしまいましたああああ。サッカーのW杯予選。5-2というボロ負けで、もう語る言葉もありません。最終戦の相手、コスタリカはアメリカに勝って本大会出場の切符を手にし、4位争いの相手、トリニダード・トバゴはパナマに勝って、最終戦を迎えます。 現在、4位はトリニダードなので、最終戦でグアテマラが勝ち、トリニダードが負けることが本大会出場の必須要件。トリニダードは、確か、メキシコと最終戦でしたっけ。 ここで一踏ん張りして、グアテマラの奇跡を見せてくれることを・・・・・・期待しているからねえ!!!!!
土曜日。時折雨の降る天気の中、救出作業が続いています。公式発表でも死者の数は既に500人を超えるという大惨事。行方不明が300人以上。 今日はほとんど一日中、ローカルチャンネルが特集を組んでいますが、とにかく、見れば見るほど胸が痛くなる状況が続いています。 グアテマラに来られたことのある方なら、アティトラン湖畔のパナハッチェルをご存知ですよね。あの美しいパナハッチェルの町が、見るも無惨な状態となっています。幸い、この町では大きな人的被害は出ていないようですが(今のところ)、ソロラからパナハッチェルに向かう道は、未だに復旧していません。 救援物資を積んだトラックが襲われる事件も出ています。今日だけで既に数件。そのため兵士が同行することになりましたが、本当は、復旧作業に加わってほしいところですよね。悲しい話です。 また被災地では病気も広がっています。薬が決定的に不足しているような状況下、厚生省はテレビで生理食塩水の作り方なんてのを流していますが、被災地の人はテレビ見てる場合じゃないでしょう・・・・・・。大体、電気もまだ復旧していないのでは。 被害が少なかった地域でも、この先も安全だという保証はありません。モタグア川の水位が4m50cm上昇したという話も伝わってきています。この川、水源はキチェー県にありまして、ベラパスを通ってサカパ、イサバルと太平洋側に抜けて行きます。そう、水源の方が今回の被災地域。それが今になって川下の方でも水位が上昇、こちらの方でも橋が流される危険が出てきているとか。 救援活動が盛んになってきている首都でも、既に店頭から野菜が姿を消しつつあります。食料、ミネラルウォーター等、救援物資の中心となる物資も、品薄気味。といいますのも、スーパーの店頭で、お客さんが救援物資を購入し、スーパー側が被災地に送るという、割と気軽にできる支援が行われているのですが、比較的安価で大量に購入できる商品を選ぶ人が多いようです。 現在、メキシコ国境と太平洋岸の港が閉鎖されており、輸入品も品薄気味になるやもしれない状況です。ここは私たち、首都の人間にとっても我慢のしどころ、というところでしょうか。 訂正: あああ、ドジな私。 本文中、モタグア川は太平洋に流れる、と書いてしまいましたが、正しくは大西洋に流れこんでいる川です。
金曜日になって全国的に雨も小康状態となってきています。国内の道路網が寸断されて通行不可となっているため、救出活動も支援活動も困難を極めているようですが、少しずつ状況がはっきりしてきています。 国内の幹線道路は、首都から西へ向かうパンアメリカン・ハイウェイが土砂崩れや道路の陥没のために寸断されています。ソロラ-トトニカパンで大きく道が崩れており、しばらくこの道は復旧しなさそう・・・。 首都から太平洋岸へ向かう道は、サン・ホセ辺りまでは問題なく行けるようですが、ここから西、メキシコ国境へ向かう道がやはり寸断されています。橋が落ちているところもあり、こちらも復旧には時間を要する模様。 そして国内の電話網。未だに一般回線・携帯とも、使用不可となっている地域があります。私の同僚にソロラ県(アティトラン湖のあるところ)の出身の人がいるのですが、昨日までは全く連絡が取れなかったところが、何とか向こうからの電話がつながるようになったりしています。首都からかけてもつながらない・・・のは相変わらず、のようですが。 それによると、彼の出身地、サン・ペドロ・ラ・ラグーナ自体は、大きな被害は受けていないものの、市役所は、住民や近隣の町の住民で一杯だそうです。サン・ペドロは大被害を出したサンティアゴの隣町。 その、村が丸ごと飲み込まれたサンティアゴ・アティトラン(同じくソロラ)の土砂崩れ。未だに何人が土砂の下となっているのか不明です。約600人が埋まっているという話もあり、死者の数はまだまだ増えそうな気配です。 メキシコ国境のサン・マルコス県タカナ市。ここでも崖崩れのために約90人が死亡、50人が行方不明になっているというニュースが伝わっています。山間地で、マスコミがカバーしている地域ではないため直接報道されているわけではないのですが、「バイクでも通れない」という道を、多分歩いてサン・マルコス市へやってきたタカナの住民が明らかにしたものです。 更に。7日の正午前、今度は地震が発生。震源地はエル・サルバドル。同国では被害が出ているようですが、詳しいことはまだ伝わってきていません。国内でも、影響が出ているとか出ていないとか。早い話が、雨のせいだろうが、地震のせいだろうが、どっちでも一緒、ってところでしょうか。 多分、76年の地震以来の大災害なのではないかと思います。特に、太平洋岸、中部高原といった、一大農業地帯が強烈な被害を受けていますので、穀物や野菜の被害は恐らく壊滅的。道路が通行不可になっていることもあって、既に野菜が値上がりしているとかしていないとかいう話も伝わってきます。 アメリカ、メキシコ、ホンジュラスがヘリコプターでの救出作業を既に始めています。日本は緊急支援を決定したとか。 確認されているだけでも、死者は200人を超しています。着の身着のままで逃げ出した人も多く、支援は急を要するのですが、余りにも被災地の範囲が広い一方、道路が通れなくなっているため、支援活動も困難を極めています。 せめてこれ以上雨が降り続かないことを祈るのみ・・・なのですが、非情にも今週末にはまた雨が降るという予報。現在深夜0時前。寒い夜です。グアテマラ市内は、少し前から雨が降り始めています。グアテマラ市に降る雨は、やがて太平洋側へと流れて行きます。 ・・・・・・どうか大きな雨とはなりませんように。
国内の死者は3桁に入ってしまいました。報道によって数字が違うので、はっきりしたことはわからなかったりするのですが、134人という数字が出ています。隣国、エル・サルバドルでも65人。多分、数字はまだ増え続けていきそうな気配です。 他にも被害が出ているのはホンジュラス、ニカラグア、メキシコ(タパチュラ)。 被害が大きいのは、太平洋岸とMeseta Central(メセタ・セントラル-中央高原)と呼ばれる辺り。北部(ベラパス、イサバル、ペテン)、太平洋岸を除く東部(チキムラ、フティアパ、ハラパ、エル・プログレッソ)及び首都圏では大きな被害は出ていないようです。 西部を中心に、国内の電話網が一部つながらなくなっています。ケツァルテナンゴやパナハッチェル付近は、音信普通。携帯電話もつながらないようです。 アティトラン湖周辺の村でも被害が出ており、マシモンで有名なサンティアゴ・アティトランではアティトラン火山の土砂崩れによる死者が約50人。更に200人が土砂の中に埋まっているもの、と思われます。 5日より、首都では時折小糠雨が降る程度となっており、市内は水が引いていますが、被災地付近ではまだ降雨が続くという予報。”Llueve sobre mojado”(ユエベ・ソブレ・モハード、濡れてるところにまた雨→泣き面に蜂)という言葉がありますが、正にそんな感じです。 そして一方、明日7日は、サッカーのW杯予選。グアテマラはアウェーでメキシコと戦います。本大会進出を決めたメキシコは、ラファエル・マルケスといった主力選手が出てこないので、ささやかながらもここはチャンス。しっかり勝って、この国の上に立ち込めている暗雲を吹き飛ばしてほしいものです。
ついに大統領が災害事態宣言(Estado de Calamidad)てのを発動。ただし、私的に言わせると、タイミング遅すぎ。 あの、アドリアンの空騒ぎ(5月19日、5月20日)を覚えていらっしゃる方、いらっしゃるでしょうか。「直撃するぞ、大被害がでるぞ」って、大騒ぎしたのに何ともなかった、あのハリケーンです。 あの時も、今回も、結局は先が全然読めていない、ってことですよねぇ。気象台の予報・警鐘機能がダメってこと。 ま、お陰で6日より国内全部の学校という学校が休みになってしまいました。期限はなくて「公式の許可があるまで」。 でもね、5日午後からは雨も小降りとなり、今日6日は雨が止んでいる状態。タイミング遅いです。 この先の読めなさ、っていうのは、実は、グアテマラの人と話をしていると、よく感じることだったりします。目の前の現実にとらわれて、その先のことが考えられない。卑近な例では、これが欲しい!と思ったら我慢せずにローンで買ってしまい、後で払いきれないほどのローンを抱えてしまう(不動産のローンでも払いきれずに物件を召し上げられてしまうケースはかなり多いです)。 何だか話がそれてしまいました。国内の被害は深刻で、橋が流されたり、崖崩れで道路が通行不可だったり、国内の道路網がかなりの被害を受けています。浸水しているところも多いのですが、太平洋側に限らず、「低くなっているところ」で水につかってしまっているようです。停電している地域もあれば、電話が不通になっているところもあり、いやはや本当に大変なことになってしまっています。 ちょっとおかしかったのは「ガソリンが値上がりする」っていうデマが出たこと。グアテマラって、メキシコから石油を輸入していますが、今回ハリケーン・スタンが直撃したのが製油所のあるベラクルス。なので、供給が止まる、6日からドラスティックに値上がりする、というデマが流れ、5日はガソリンスタンドに長蛇の列が出来たんだとか。 や、6日以降はどうなってることやら、ちょっとばかり、見ものですよね。
4日は一日中、風も強く、雨も降り続く寒い日でした。日本でも報道されている通り、中米、特にエルサルバドルでは深刻な被害が出ています。 被害が大きいのはエルサルバドルのコマラパ国際空港があるラ・パス県、港で有名なラ・リベルタ県。いずれもきれいな海岸のあるところです。 ハリケーンになったスタンは、メキシコはベラクルスに上陸して勢力が落ちたようですが、こちらの方でも浸水被害が出ているようです。でも、被害が深刻なのは、このカリブ海側ではなく、太平洋側。 右側のリンク欄、To Konw Guatemalaのところにあります衛星写真、NOAAとかThe Wether Channelを見ていただくとわかるのですが、スタンはあっちに行っていてこっちには関係ないのですが、ちょうどグアテマラ付近に熱帯低気圧の渦が貼りついています。これが元凶。 今年の多雨でじわじわと来ていたのが、遂に限界点を越えた・・・・・・というような感じです。とにかく今年は例年を大幅に超える降雨量。至るところ水だらけ。 なのに無常にも雨はまだ降り続いています。
9月の後半からこっち、ひたすら雨、雨、雨の日々が続いています。 昨日3日は、激しくはなかったものの、朝から丸一日雨が降り続くという、こちらとしては変わった天気。このブログには天気と気温表示を貼り付けていますが、ひたすら雨と低温の日が続いているのが、これを見ていただいてもおわかりいただけるかと思います。 お陰で、低地では浸水の被害が深刻。グアテマラの低地、というのは、高地から太平洋側に向かって流れる川にそって、扇状地状に広がっているのですね。 一部湿原のようになっているところもあり、普段でも水には恵まれた地域なのですが、これだけ雨が続くと、水はひたすら邪魔者でしかありません。 「(97年に大被害をもたらしたハリケーン)ミッチの時と同じくらいの高さまで水が来ている」という人もあり、このまままだ雨が続くようだと、事態はより深刻になっていきます。 高地は浸水することはまれ・・・とはいえ、こちらで心配なのは崖崩れ。地盤のもろいところに、崖に家を建てている人も少なくありません。 現在、カリブ海側には熱帯性暴風雨のStan君が、太平洋側には別の熱帯低気圧が居座っていまして、ま、スタン君の影響は余りなさそうなのですが、太平洋側の熱帯低気圧のお陰で、今日は一日まだ雨が降り続く、という話です。タメイキ。 お日様が恋しいよう。
 リンゴといえば、寒い地方の果物、ですよね。そのリンゴがグアテマラでもとれる、というと驚かれるでしょうか。 もちろん、国内どこでもとれる、というわけではなくて、高地の中でも寒い、ごく一部の地域で生産されています。というか、より正しくは、木に生っています。 ただし、国内で一般的に売られているのは、アメリカ産のリンゴで、国内産のリンゴが流通していることは余りありません。多分、生産量が多くないせいかもしれません。というか、生えているリンゴの木がそれほど多くないせいかもしれません。 アメリカ産のリンゴがまた、おいしくないんですよねぇ。小粒で味のないものがほとんど。フジという品種のリンゴも売っていますが、これ、硬いだけで、全然おいしくない。ホントに、日本のフジと同じ品種なの???と思わず目を疑うくらい。 ところが先日、某大手スーパーへ行ったら、この国内産のリンゴが山積みにされていました。写真がそのリンゴです。 ワックスもかかっていないし、色は赤というより赤黒という感じで、つやつやにワックスのかかっているアメリカ産のリンゴと比べると見劣りしますが、手に持ったときのずっしり感、香りでは断然こちらの方が上。 虫食いもちらほらあり、ひょっとしてこれは無農薬!国内産にしては、玉が大きめだったので、生産者が手をかけているリンゴなのではないかと思ったのですが、さて、一体どんなものやら。 国内産のリンゴ、酸味が強めですが、素朴なリンゴの味がして、おいしいです。蜜が入っている時もあったりするんですけど、残念ながら今回はそれはナシ。 それでも、十分おいしかったですヨ。これでアップルパイとか作ると、おいしそうですよねぇ。じゅる。
明日10月1日は、息子の学校の創立25周年にあたる日。明日は夜の8時から、バンドも呼んで創立記念パーティーをやるんだそうです。終了予定は午前1時。 25周年ということで、今年はかなり力が入っています。卒業生も参加可で、夕食もあるし、ゲームやダンスもあるようですが、小さい子なんて、もう8時くらいには眠くなってくるじゃないですか(大体土曜日はサッカーもあるしね)。そんなわけで、我が家は欠席です。 生徒をメインにした行事の方は9月30日に行われます。そこでやってきた指示が「卵6個でハム入りスクランブルエッグを持ってくること」。あ、どうやら朝食会を皆でやるようです。多分他にもいろいろな食べ物が用意されているはず・・・・・・。いいなぁ、これ。こっちの方に私も行きたかったヨ。 と思いながらも、朝から大量のスクランブルエッグをつくって持たせました。 そして息子を送って行った時の会話。 私「今日は、授業ないって言ってたけれど、何するの?午前中ずっと朝ごはん?」 息子「・・・・・・。んー、多分、お散歩でもするのかな」 コレコレ。学校の手帳(連絡帳みたいなもの)には高学年の人たちの発表がある、って書いてあったよ。多分、それを見て、朝ごはん食べて、先生の話を聞いて、歌を歌って、あとは・・・お散歩かな、やっぱり。 学校も残すところあと1ヶ月。今週、ドイツ語の試験がありましたが、この後もバラバラと試験が続いていくのでしょう。それが過ぎれば、2ヶ月ちょっとに及ぶ長い学年末休暇。1年なんて、結構あっという間ですよね、やっぱり。
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