革命記念日 

10月20日は革命記念日(Día de la Revolución)。
革命だ!新しい国だ!!希望だ!!!
などという時期もあったということだ、このグアテマラにも。
今ではもう目も当てられないが。


時は1944年。第二次世界大戦の真っ最中だ。
世界が大変な時期に革命だなどと叫んでみたところで
あまり注目を引くこともなかっただろうと思うが、
グアテマラ的には画期的なことだったのである。


昔、ホルヘ・ウビコ、という人物がいた。
この男、1878年生まれである。
文明開化の世の中である。いや、これは某極東の国だ。
グアテマラは独立したのが1821年、
その後メキシコに併合されたり、
中米連合という器の中で戦争してみたり、
紆余曲折を経て、今のグアテマラらしき国ができた。
1840年頃の話だ。
それ以降、自由主義的独裁政権が延々と続く。
グアテマラの中世と言ってもよいかも知れぬ。


そういう時代を背景に、ハイソな家に生まれホルヘ少年、
高等教育を受け、アメリカやヨーロッパの士官学校にも留学する。
将来を嘱望された若者だったってことだ。


28歳で旅団長とかいうヤツになったんだそうだ。
そして1922年には師団長様だ。
まぶしすぎる経歴だ。
まぶしすぎて何のことだかさっぱりわからない。
このまま軍で出世するのかと思ったら、
1923年には軍人を止めて政界入り、華麗な転身を図る。
宝塚のスターたちが、芸能界入りするようなものだ。
芸能界入りしてから大成するのか、
それとも芽がでず潰れるのか、結構な冒険ではある。


ウビコの場合、ウビコにして見ればこの転身は正解だったのである。
1926年、進歩的自由主義党とかいう正統を結成する。
当時のウビコはこの国をよくするんだ!という希望があった。
オレの力があれば、この国を良くできる!と。
問題はどういう国が「よい国」なのかという概念なわけだったりするんだが。


そして遂に1931年、大統領に任命される。
立候補したら、対立候補がいなかったのだ。茶番だ。
あらかじめ仕組まれていたのがミエミエだ。
就任しちまえばこっちのものだ。
てなわけで、大改革を行う。出足は良かったのだ。
まずかったのは、自分の取り巻きを重用したことだ。
「いよっ、グアテマラのナポレオン!」なんて
どこからどう聞いたっておべんちゃらでしかないようなセリフを
臆面もなく吐けるような奴した信用しなくなったのだ。
そう、ウビコはナポレオンに傾倒していたのである。
遂には「俺はラテンアメリカのナポレオンだ!」と誇大妄想を抱くに至る。
幸いだったのは、ナポレオン気取りで他国を侵略しなかったことだ。
そんなことをしていたら、グアテマラそのものが地図から消えてたに違いない。


他国を侵略できない分、矛先は国内に向く。
矢面に立たされたのは、反政府の立場にいる人たちだ。
労働者のリーダー、学生、野党政治家などが何百人も殺された。
恐怖政治の始まりだ。これで一気に悪名をはせる。
さらには憲法を改正して在任期間を長くし、
大統領の、大統領による、大統領のための政治に陥ってしまった。


この恐怖政治も12年も続けばほころびが出る。
そして国民は生命を賭けたゼネストを打つ。
さすがのウビコも民意を受け入れざるを得なくなり、
後釜にフェデリコ・ポンセを指名すると、自身はアメリカへと亡命する。
1944年の6月の出来事だ。


ウビコの後を継いだポンセ。
1889年生まれの、やはり軍人である。
恐らくウビコのイエスマンだった人物だ。
おべんちゃらは言えるけれど、政治的手腕は欠如していた。
というよりも、常識に欠けている人物だった、という気がする。
ウビコの後をついで恐怖政治を開始、
短い在任時間に殺された人は数知れず。
加えて、この政権の正当性を審議していた国会に軍隊を出して議員を脅し、
ナントカに刃物、ポンセに大統領、な人だった。
そしてポンセの回りは相変わらずのイエスマンだらけだ。
イエスマンだけでは世の中は成り立たない。
スノーマンだって必要だ。


そう気づいたのが、ポンセの出身母体である軍だったってのは皮肉だ。
1944年10月20日、将校、学生、その他が力を合わせて
ポンセを大統領の座から追放する。
これがグアテマラ史上燦然と輝く10月革命なのである。
国民の力が権力を放逐し、民主主義を取り戻した、
記念すべき日なのである。


グアテマラに民主主義は100年早かった・・・てなのはまた別の話だ。


革命後、ハコボ・アルベンス、
ホルヘ・トリエヨ、
フランシスコ・アラナの3人による三頭政治が行われる。
この三頭政治の下久しぶりの大統領選挙が行われ、
1945年、フアン・ホセ・アレバロが大統領に選出される。
アレバロと後に続くアルベンス政権崩壊までの10年間、
「民主主義の春」と呼ばれる、
グアテマラ人が今でも涙を流して恋しがる
青春の1ページのような時代を開いたのが
この10月革命だったのである。


ちなみに、Wikipediaを参考にさせて頂いた。
ウビコのことやら何やら、おいしそうなところをつまんでいる。
興味のある方はご覧あれ。
Wikipedia - ホルヘ・ウビコ



[ 2008/10/20 11:55 ] Guatepedia | TB(0) | CM(0)

独立記念日前夜 

9月15日は独立記念日。
中米5カ国はこの日を独立記念日として祝うわけですが、
実はこの1821年9月15日の独立って、勝ち取ったものではなく
スペインの国力が弱体化したのに伴って得た
棚から牡丹餅独立であったのでした。


まあそれでも独立ならいいよね?
と言いたいところなのですが、この後メキシコにも併合されていたことがあって、
そのメキシコから独立したのは確か1823年の7月2日のこと。
中米連邦(República Federal de Centroamérica)と名のってまして
北のアメリカ合衆国をお手本とした国になるはず・・・・・・でした。


ならなかったのは、各地域の利害が対立して崩壊してしまい、
現在のグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカに分裂してしまったから。


エルサルバドルは特にこの中米連邦に力を入れていて、
現在のエルサルバドルの国旗はこの中米連邦のもののパクリ、
国の標語の"Dios, Unión, Libertad (神、連合、自由)"というのも流用、
だったりするんですが、
そんな国であっても独立記念日は9月15日。


傍目から見るとちょっと不思議。
不思議と言えば、ここらの人には日本に独立記念日がないのが納得できないらしい。
アメリカ大陸の国はどこも独立記念日を持っているわけだけれど、
日本も占領されていたことあったから、その後を独立記念日にしてもいいのかも?
国の成り立ちというのは案外様々で、
極東の島国であったが故に、大国の影響をさほど受けなかった日本は
やっぱり恵まれた国だよな、と思うのであったりします。


さて。


独立記念日の前日には、毎年恒例の聖火リレーが行われます。
以前にも書いたような気がしますが、
大抵の場合は学校単位で行われ、
私立でも参加するところはあるようですが、基本は公立校。
これが学校ごとにバスを仕立て、大挙してオベリスコまでやってきて
ここを起点として、自分達の学校のある方角へと走り出します。
ものすごく無秩序なところがラテン風。


おかげで毎年この時期はものすごい交通渋滞が発生するんですが、
今年は幸い、15日は月曜日。
金曜日に走ってたところもあれば、日曜日まで待ったところもあって
いささか交通渋滞は緩和されたようではありました。
・・・・・・と言っても金曜日は市内各地、ものすごい渋滞だったんですけれど。


小僧がこの聖火リレーを気に入っていて、
と言っても小僧の学校ではこんなことしないのですが、
見に行きたいと行っていたので、夕方くらいから出かけました。
ただし、4時半頃から丁度スコールが降り始め、
というか、市内の北の方をぐるりと一回りしてきたのですが、
私たちの行く先々にスコールが待ち構えておりまして、
たくさんの聖火リレーを見たのですが、皆雨にずぶぬれで、可哀想。


車窓から小僧が撮ったので、何がなんだか良くわかりませんが、
こんな感じだよ、って写真を1枚添えておきます。
びしょ濡れになりながらも聖火や旗を持って元気に走る子たち、
いや、すごいね。


そのエネルギーを他のことに回したらいいのに。
と思ったりしたことは秘密。






[ 2008/09/14 23:45 ] Guatepedia | TB(0) | CM(0)