ロス・エスクラボス橋 

ロス・エスクラボス橋はアメリカ大陸で現存する橋の中でも古いものの一つなんだそうです。
建築されたのは1592年ですから、既に420年経っているわけですが、
度重なる地震や大雨による水害にあっても流されることなく今も現役というすごい橋。
(Wikipediaを見ると1579年に建設されたという記述があるのですが、
 1592年の方が正しいらしい。それとも1579年竣工で92年完成とか・・・?)


Puente Los Esclavos y Hidroeléctrica

橋の上の方に塗られている白がちょっと無粋だけど、コロニアルで美しい橋です。


ロス・エスクラボス (los esclavos) というのは奴隷という意味ですが、
この名前も橋と同様、植民地時代に由来します。
グアテマラにやって来たコンキスタドールのペドロ・デ・アルバラードは
この地域に住んでいた先住民であるシンカ族を征服すると奴隷にしてしまった。
なんでもシンカの抵抗はそれはそれは激しいものだったらしいですが、
マヤのテクン・ウマンのように伝説になっているわけではないですしね。


その当時奴隷たちが住んでいたいところは
今でもロス・エスクラボス村と呼ばれていまして、
この集落のあるところを通る川がロス・エスクラボス川、
川にかかる橋がロス・エスクラボス橋なのであります。


皆まとめて奴隷ですね・・・。
少なくとも川については、
植民者が来る前は別の名前があったと思うんですが、残っていないようです。


さて、奴隷となったシンカ族はエルサルバドル征服などに駆り出され、
それ以前は現在のハラパ県、サンタ・ロサ県、フティアパ県付近でかなりの人口がいたようですが、
その後急激に減少、10年前の国勢調査では16,000人となっていますが
シンカ語を話すのは1300人弱。これでも増えたんだそうです。


シンカはマヤともアステカとも関係のない、出自不明の民族と言われていますが、
言語学的にはホンジュラスやエルサルバドルのフォンセカ湾に近い地域に住む
レンカ族のレンカ語に類似しているという指摘があるそうです。
レンカ族で有名なのがホンジュラスのレンピラ族長。
ホンジュラスの通貨の名前となっている方で、
こちらもまたスペイン人植民者に抵抗したヒーローとして有名ですよね。


話がそれました。


さてこの地震にも大雨にも倒壊しないロス・エスクラボス橋には
建設にまつわる伝説がいくつもあるのだそうですが
そのいずれもが「この橋は悪魔が造った」となっているのがユニークと言えばユニークかも。


例えばこんな伝説。


むかしむかし、大金持ちの旦那が住んでおりました。
旦那には多くの奴隷が仕えておりましたが、
過ちを犯した奴隷には厳しい罰を与えることで恐れられておりました。


ある日のこと、奴隷の不注意で旦那が飼っていた子牛の一頭が死んでしまいました。
その奴隷は大いに恐れ、悪魔を呼び出して事情を話したのでした。
悪魔はその奴隷が善良で、キリストからこの魂を奪う価値があると判断すると、
魂を自分によこせば、一つだけどんな願いでも叶えてやると取り引きを持ちかけました。
奴隷は取り引きにのり、旦那の領地にある川に橋をかけてくれるよう頼みました。
その川には橋がなく、不自由していたのを知っていたので、
これで罰を免れることができるだろうと考えたのでした。
悪魔は奴隷の願いを聞き届け、手下らを呼び出すと作業に取り掛かったのでした。
翌日、奴隷が川に行くと、もう橋が出来上がっていました。
悪魔は自分の仕事を眺めておりましたが
奴隷は気付かれないように近づき、目の前で十字を切りました。
悪魔は悲鳴を上げると橋を2度蹴り、手下とともに消え去りました。
こうして奴隷は魂を守ったのですが、
悪魔が蹴った場所の石は何度元通りにしても、その度になくなってしまうのだそうです。


・・・弱っちい悪魔だな。


実際のところは、橋脚が菱形になっていて
激しい水流や倒木や石・岩にも耐えられるようになっているのだそうです。


ロス・エスクラボス川は雨が降ると水量も増えるし、流れも結構激しいです。
去年の大雨の時の写真はこちら
今は乾季なのでダム湖には水あるけれど、下流はこんな感じ。



Río abajo

岩がゴロゴロむき出しになって、両岸もえぐいですよね。
緑の家のちょっと下には土嚢が積まれていまして、
ちょいとやばそうな雰囲気でした。。。


この橋のところで周辺集落の排水も流れ込んでいまして、ちょっと臭かった。
ここから数キロ下流に行くと滝があるらしいんですが、
汚水やら何やら全部混ざって滝になっているのか・・・。


Nuevo Puente

この橋からパンアメリカンハイウェイにかかる新橋の方を眺めるとこんな風景。
この橋の方はバルタサール・デ・オレナ橋とかいうらしいです。
せいぜい数百メートルしか離れていないと思うのですが、高低差はかなりあります。
これだけの高さがあって、橋脚がないので大雨が降っても流されない。


このロス・エスクラボス橋、グアテマラシティからエルサルバドル方面に向けて
パンアメリカンハイウェイ、グアテマラ風に言うところのエルサルバドル街道をひたすら走ると
66km地点をちょっと過ぎた辺りで新橋に到着します。
進行方向の左手(上流側)にこのロス・エスクラボス橋、そのちょい奥にダムと発電所。
「グアテマラで一番アクセスしやすいダムと発電所」はここじゃないかな。


Hidroeléctrica de Los Esclavos

小じんまりとした発電所ですが、発電機は7MWのものが2基あるそうです。
と書いていても今ひとつピンとこない私ですが、
発電はもとより、雨季の治水にも活躍しているダムで、ダム湖はかなり大きいです。
てか、川のかなり上流までダム湖状態。
でもまださほど雨が降ってない時期でこの量だと、
雨降りだすとどうなるんだろう、とちょいとばかり素朴な疑問。


Represa y su embalse

えー、治水、発電の他、水浴も可能です!(おすすめはしませんが)


この橋のあるところ、
地名で言えばサンタ・ロサ県クイラパ市(アメリカ大陸の中央地点らしい)のロス・エスクラボス村で、
標高はGoogle Earthによれば730m程。暑かったです。


サンタ・ロサと言えばレストランで良く見かけるメニューはモハラ(ティラピア)のオイル焼き。
湖で捕れるのか養殖しているのか、多分湖で捕れるのではないかと想像。。。
お頭付きがででん!と出てくるので、一尾食べきるのはちょっと苦しいですけどね。
橋の近くにはちょっとしたレストランや宿泊設備も備えたトゥリセントロもあったりします。


こちらは番外編。


Chorro para la comunidad

橋のたもとにあった、共同水道。
壺を持ってここまで水汲みに来る人を見かけました。
この付近では各家庭に水道がついてるわけではないってことですね。


Pueblo Nuevo Viñas

パンアメリカンハイウェイ沿いのパイナップル屋台。
サンタ・ロサは海岸から標高1000m超まであって、バラエティに富んでいます。
プエブロ・ヌエボ・ビーニャスという町への分岐点近くなどに屋台がよくあります。
安くて甘くておいしい!
という訳で買って帰って来たのは言う間でもありません。


<参考>
El Puente de Los Esclavos: http://www.angelfire.com/pq/yo1/leyendas3.html
Prensa Libre "Puente Los Esclavos aún continúa en pie (06/06/2010)": http://www.prensalibre.com/noticias/Puente-Esclavos-continua-pie_0_275372508.html
Fenómenos Extraños Sin Resolver "Puente los Esclavos": http://fenomenos30.wordpress.com/2009/08/17/puente-los-esclavos/
Wikipedia "Río Los Esclavos": http://es.wikipedia.org/wiki/R%C3%ADo_Los_Esclavos
[ 2012/05/14 23:50 ] 市や町や村 | TB(0) | CM(0)

ポロチクの鍵−ポロチク地方のこと 

最近、夜あまり時間が取れなかったりして、ちょいと日があいてしまいましたが、
今日はポロチクの話の続きです。


2011年3月15日に立ち退き命令が執行されたわけですが、
その数日後、3月21日にエル・ペリオディコ紙に掲載された
フアン・ルイス・フォントの「ポロチクの鍵」と題されたコラムを取り上げてみます。


全文は次の通り。



大統領夫人はカルロス・ウィドマンを執務室に迎えた。


その目的は、砂糖の生産やエタノールによらないバイオマス発電のため、
2005年にアルタ・ベラパス県ポロチク川流域に引っ越してきたインヘニオ・グアダルーペの土地の不法占拠の背後に、
彼女がいないことをはっきりとさせておくことである。
ウィドマンが経営するグループ会社がその地に所有する37の農場の内、17カ所が占拠されていた。


侵入者らはサトウキビ畑や小規模の森林保護区合わせて1500ヘクタールを破壊した。
農民グループの間には、大統領夫人サンドラ・トーレスが不法占拠を支持していると書かれたビラが出回っていた。
指導者らは政府が土地購入のための代金を支払ってくれると信じていた。
大統領夫人は内相に同席を求めた。
内相は立ち退き命令を出せるのは裁判所だけであることを説明した。
この命令は2月5日に出され、当局には45日の執行期間が与えられた。


政府は警察の特殊部隊を準備させるのに時間を必要とした。
一方で、農民統一委員会(CUC)、Conic、Uvocといった農民組織に
農民たちが自主的に立ち退くよう説得してほしいと伝えた。
当局が行ったと言っているこの呼びかけは、無視された。


その日が来た。
コロン大統領自らが指示を出した。
現在のところ、12の農場が明け渡され、農民1人が亡くなった。
政府全体が−検察も含めて−立ち退き執行に加わっていた。
人権擁護官すら、遅ればせながらではあったが、これに賛成の立場を示していたのである。


指摘しておくべきは次の2点であろう。
1つは選挙前のどさくさに紛れて、トーレス−コロンも−が制度への忠誠を示したという点。
私有地は当局によって保護される。
トーレスを批判する人達は、トーレスがウーゴ・チャベスの支持者であり、
その流れに乗ろうとしていると批判するが、
農民を立ち退かせる兵士や警官の長い列の映像はどんな言葉よりも雄弁である。


もう1つは現代に限った話ではないが、より喫緊といえる。
何世紀にもわたってそこにありながら、政治の世界では重要視されてこなかったからである。
農村には土地や仕事をもたず、飢餓状態にある人が何千人もいる。
アブラヤシ、サトウキビ、麻薬組織の畜産業といったものが繁栄する一方で
土地の寡占と低賃金はここ10年ばかり息を吹き返してきているにも係わらず、
政府がこれについて一言でもメンションしたことはない。
土地問題を解決しようとする試みはすべて失敗に終わっている。
最近では土地基金(Fontierra)によるプロジェクトが
ほとんど実りのないまま大規模詐欺に変貌しようとしている。
農村から都市への人口流入は著しく、貧困の環は日毎に大きくなっている。
土地を持たない農民から占拠代金を徴収する詐欺師もいる。


それ以外は大したことではない。
すべて、ペドロ・デ・アルバラードが文明化のためにやってきた時と、ほぼ同じままである。


今日は私のコメントははさみませんが、
フォントのコラムにあったコメント欄からエドガル・モラレスのコメントを紹介しておきます。



3年ほど前のこと、自分が働いている商店の前でインディヘナの一家が座って
トルティーヤとアボカド1個を分け合っていました。
私は市場でチチャロンを買ってきたところでしたが、
その一家が5人で、トルティーヤ10枚とアボカド1個を分け合っているのを見て
職場の皆で分け合おうと思っていたチチャロン2ポンドとトルティーヤ20枚を分けてあげました。
彼らはありがとう、と言いました。
驚いたのは次の日です。
彼らは同じ場所に座っていましたが、今度は食べているのではなく、
野菜の箱やら何やらをそこで売るために並べているところでした。
申し訳ないけれど、そこは店の駐車場だから物を売ることはできない、
と言ったらこう言われました。
あんたは他人のものを横取りする金持ちで、
わしらが自分の作物を売って生計を稼ぐのがイヤなんだろう、と。
私は作物を売ることに反対しているわけではない、
ここは店の駐車場だから他の場所でやってくれと言いました。
彼はこう言いました。
わしらは貧乏だから、どこでも好きなところで物を売る権利がある。
私は考え込みました。
そこにあった野菜や果物は−まだ作物を積んでいたトラックは含まないで−
10,000から12,000ケツァル程で、これだけの野菜や果物を持つ貧乏人とは、と。
インディヘナは警察を呼んでも構わない、でも血が流れずにすむとは思うな、と言いました。

[ 2012/05/13 18:44 ] ニュース | TB(0) | CM(0)